「よそ見してたら逆に喰われちまう」


悪夢ってのはそーゆー奴らだ。と言って凌は薄く微笑んだんだ。




02 : 胃袋に含む




+群がる、夢+


「なんで、いるの」


昨日の今日で疲れた体を引き摺って登校してきた亜月は、脱力しすぎた肩を垂らし、不審者を見るような目つきで目の前の男を見上げた。
しわしわの白いポロシャツじゃなくて、かたっくるしい制服に身を包んだソイツは、あの凌で。
相変わらずの片目の瞳が、座ったままの亜月を見下ろしてきていた。


「なんでって・・・高校生が学校に来るのは義務だろ?」

「義務教育は中学までです。そうじゃなくて、自称人間外生物が何で学校なんか・・・」

「食事のためだ」


そう言ってグッと親指を立てる。
言っておくが、凌は会ったその時からいつもの無表情だ。


「お前の夢が俺の飯になる。昼間に夢が襲ってきたら面倒だしな」

「えッ昼も出るの?!」

「夢はオバケじゃありませーん。誰が夜にしか出ないって言った」


呆れたように言い放つと、凌は何も気にする事なく亜月の隣の席に座った。
そこで始めて、クラスメイトが誰一人として凌を不審に思っていない事に気付いた。
皆、凌が見えているのに、何も言わない。
普通見慣れないヤツが居たら「転校生?」くらい聞くと言うのに・・・。
挙げ句、通り過ぎ様の男子が凌に向かって「おはよー」だの言っている。


「・・・どーゆー事?」


通り過ぎていった男子を見送って、凌を見るとさも当たり前のように説明をし始めた。


「転校だとか手続きが面倒だったから知り合いに頼んで記憶いじったんだよ。つまり俺は入学当初からこの高校に通ってる事になってる」

「何ィ?!」

「便利だろー。いや〜でもこれだけの人数の記憶置換は骨が折れる」


トントンと自分の肩を拳で叩く凌は、その顔に全然苦を表していない。
まるでどこかの縁側で交わす売り言葉に買い言葉を返すようなのんびりした口調だ。
亜月はそれにまた頭痛を覚えた。
確かに、確かに凌は見た目が17、18歳ほどだ。
そこは良いとしよう。しかし、しかしだ。
凌の瞳を覗き込む。
そこにはキレイな紅色の瞳がある。


「その瞳の色は…さすがに無理があるんじゃ・・・」

「あぁ大丈夫だ。ハーフって事になってる」


そしてまたグッと親指を突き出す。
そしてまた言っておくが、この時も凌はいつもの無表情だ。

満足げに亜月を見下ろしてくる凌の頭に、今度は視線を移した。
瞳の色は百歩譲っていいとしよう。
でもコレは・・・。


「その銀髪は確実にアウトだと思うよ」


半開きになっているだろう目で凌を見詰めてやれば、これまた満ち足りた雰囲気で親指を立ててくる。
敢えて言うが、これも無表情で行っている。


「この髪に関してはちゃんと先手を・・・」

「おーい、席に座れー」


凌が言い終わる前に先生が入ってくる。
と同時に、はたと先生の歩みが止まった。
訝しげな目が凌を見据え、亜月は期待と不安を半々に抱きながら次の展開を待った。


「おい山本…」


威嚇するような低い声で先生が凌を呼ぶ。
席に着いた生徒の机の間を縫って、凌が教卓に近付いていった。
まさか先生の記憶置換、忘れてたとか…とハラハラ焦ったが、先生は


「山本ォ…お前、今度は何だ? 銀色? 夜空のお星様になりたいとか言い出すんじゃないだろうな?」


と呆れたように言いはなった。
瞬間、亜月は机に突っ伏し、教室に爆笑の渦が巻く。
突っ込むべき所はそこ・・・?違うでしょ。もっとこう、お前は誰だ的な。


「先生言ったよな? 髪は黒が原則だって」

「すいません先生。でも俺これでも自重した方なんです」

「…ほぉ? じゃぁ自重しなかったらどうなってたんだ?」

「全身メタルになってました」

「何でだァァァ!!!」


鋭いツッコミが入るが、凌は怯む事なく言葉を続けた。


「実はこの前全身メタルの像を見付けてすっげーって思ったんです」

「お前の頭は小学生か?!」

「今時の小学生でもこんな考えは持たないと思います」

「自分で言うなッ!!」


それからくだらない討論で数分を費やすと、「もういいからとにかく明日は黒く染めて来い」と言って先生が先に折れた。
凌は何事も無かったようにまた机を縫って戻ってくると、ストンと椅子に座る。
その際に銀髪がふわりと揺れて、アレはメタル像をモデルに染めたんだ…とげんなりなる。
亜月は頭を抱え込んでため息をついた。

そしたらその原因であるヤツに「幸せ逃げるぞ」と言われて余計深くため息を着いた。




+++




どうやら記憶置換というものは相当な優れものらしい。
学校の隅々に凌が居たという証拠が確かにあって、どの男子のグループにいつも居るだとか、この先生とは仲が良いとか、校庭の隅の鉄棒を折ったのは凌の仕業だとか・・・今までなかった“事実”が確かにそこにある。
不思議な感覚に陥りながらも、亜月は夕方の日の陰り始めた教室で、山本と二人帰る準備をしていた。

記憶置換によると、凌はかなりモテている事になっているようで、確かに整った顔立ちをしているし、声も深みがある。
それなりにランクは上なのだろうけど・・・丸一日いるだけでよく分かってしまった。

コイツは毒舌だ。

その端正な顔のどこからそんな嫌味ったらしい言葉が出てくるんだ、と言わんばかりの台詞が飛び出してくる。
常に身構えていないと、危うくこっちが山本のペースに巻き込まれて気付いたらどん底にいそうで恐い。
それくらい、コイツの口は達者なのだ。


「・・・」

「・・・」


互いに無言なのに、ほら、今でさえ凌のペースだ。
ただじっと帰る支度をする亜月を見るだけで、何となく急かされているような、そんな感覚。
肌がぴりぴりと感じ取っている雰囲気。
まるで表情のない凌は、体に纏う空気で感情を表しているように思えてならない。
いやむしろ、もうそう思わざるを得ない。
亜月が見たコイツの表情は微かな笑みと眉間のしわのみ。
他は全部空気が重くなったり、呆れているようなものになったりと表情ではまったく読めない感情が、あからさまに態度に出ていた。
単純なヤツなのかも・・・。
横目でちらりと凌を見やると、バッチリと目があってペンケースを肘に引っかけて引っ繰り返してしまった。


「お前、誕生日明日だっけ?」

「は?」


慌ててペンを拾い上げる手がぴたりと止まる。
顔を上げれば、頬杖をついた凌がだるそうにこっちを見ていた。


「何? いきなり」

「影はお前の誕生日に正夢となってお前を襲ってくる。だから聞いてんだよ」

「・・・そう、だけど」

「どーりで影のくせにリアリティに富んでるわけだ・・・」


頬杖に使っていた手で、今度は口元を隠して考え事をする凌。
制服のYシャツの下から見える厚い包帯を巻いた腕。
それに視線を向けながら拾い上げたペンケースを鞄に詰め込んだ。


「・・・今日の夜」

「へ?」

「俺の家に泊まれ」


「は?」とは声にならないまま、口がその形を作る。
何を言っているんだこの男は。
思いっきり変な物をみる様な目で見返してやれば、凌は首筋を数回かいて、いつもの左目を向けてきた。


「12時を過ぎた瞬間に夢はお前を狙う。それを阻止するには側に居た方が楽だろ?」

「まぁ確かにそうだけど・・・」

「んじゃ決まりだ」


「帰るぞ」と鞄を持って教室を出て行く凌を慌てて追いかける。
こんなんで良いのか自分。知り合って1ヶ月も経たない男の家に泊まる?
普通有り得ないだろう。しかも、相手は自称人間じゃないときた。


「・・・」


亜月は前を行く凌の背中を見ながら頬をつねってみた。
あの夜のように痛みが来ないワケじゃない。
確かに指と、つねった時の痛みを感じる。

夢だったなら、消える筈の凌の背中は揺らぐ事なく前を歩いていた。




+++




「ねぇ、夢って美味しいの?」


出されたお茶と茶菓子を食べながら、12時になるのを待っている間、亜月は凌に質問をしていた。
答える側の凌はうんざりしている様で、ぐったりとソファにもたれ掛かっている。
それでも死んだような声で質問に答えていた。


「あぁ・・・? 夢? さーねー美味いんじゃないの?」

「ちょっと真面目に答えてよー」

「もういいだろ。どんだけ質問攻めにあったと思ってんの? 小一時間は経ったから」


ずるずると座っていた体制を崩して横になる凌。
大分疲れているみたいだ。若干顔色が悪い。


「顔色悪いよ? 山本」

「ほっとけ。 それより自分の事心配したらどうなんだよ」

「自分の事って・・・」


そんな事言っても、本当の事を言うとまだよく自分がどういう立場に置かれているのか分からない。
凌に聞いても、あぁ・・・だのぅうん・・・だの、曖昧な返事にもならないような返答ばっかりだし、かと言って今まで教えてくれた話で自分がどう関連してくるのかが分かる訳でもない。
面倒臭がらずに説明して欲しいものだ。
じとーと寝ころぶ凌を見下ろすと、ゴロン、と顔を背けてしまった。
小さくため息を着いて、壁に張られた無数の書類に埋もれるようにある時計に視線をやった。

12時まであと10分。

ここまで来ると、自分がどんな立場であれ狙われているのだから危機感を覚えるものだ。
ただ、それがないのはきっとまだ心の何処かでコレは夢だと思っている事と、目の前でゴロゴロしているヤツが原因なんだろう。
どこをどう頑張ったら緊張感を持てるようになるだろう。
きっと無理だ。
何しろ、一番事情を知っている本人がこうやってだらけているのだから。

ズルと亜月も姿勢を崩すと、会話の途切れた部屋に時計の針の音だけが響く。
コチコチ・・・と進む針に合わせて自分の心音が聞いて取れた。

数分経って、そろそろ10分経っただろうか、と時計に視線を向けようとしたその瞬間、目の前には凌がいて、いつの間に立ち上がったのかと目を見開いたと同時に襟首を掴まれて凌の後ろに引っ張られた。
ぐんッと強い力で引っ張られて苦しかったYシャツを引っ張ると、頭上で「こんばんは」という凌の声が聞こえた。

見れば、さっきまで自分が座っていたソファの後ろに、一人の男が立っている。
それは、キッチリとスーツを着こなし、優しげな笑みを浮かべてこの前と同じ様に亜月に手を差し伸べた。

心拍数が上がる。
どこかで見た光景だ。

デジャヴの様なむずがゆい感覚。


「迎えにきたよ、亜月」


柔らかく笑う父が悪魔のように囁く。
コチン・・・と12時を知らせる様に、時計が鳴った。




+++




ひっかくように腕を伸ばす父の攻撃を軽々と避ける凌は、机の上に積まれている大量のコピー用紙を払い除けて父の足を払った。
バタンッと倒れ込む父を押さえ込むが、尋常じゃない豪腕で凌を投げ飛ばし、窓ガラスを割って外へ飛び出していった。
「アァッ?!」と起き上がる凌は裸足のまま窓を飛び越す。
その時、呆けていた亜月に「ボケっとしてないで奧から狂夢瓶を持って来い!!」と言いはなつ。

亜月は反射的に立ち上がった。
狂夢瓶が何なのか分からないまま、凌の飛び出していった窓を数回見やってから部屋の奥の扉を開く。
ゴチャゴチャと色々な物が散乱する中で、瓶らしきものは沢山ある。
理科室のようなそこは、見たことのないもので埋め尽くされていた。


「きょうむびん・・・きょうむびん・・・どれ?!」


焦く気持ちで目に入った瓶を片っ端からひっつかんで張られているラベルを見る。
「記憶置換」「忘却薬」「消毒」「回復草薬」・・・
一通り見て、それでも無い。
キョロキョロと部屋の中を見渡すと、灯台もと暗しとはよく言ったものだ。
壁にもたれ掛かけるように、身長以上の大きさを誇るフラスコのような形をした瓶を見付けた。


「これ・・・?」


ラベルは貼られていない。
しかし、直感でこれが狂夢瓶だと感じた。
ガラス製のそれは結構重量があって、引き摺るように玄関まで持って行く。

引き戸を開いた瞬間、直ぐ側にあった垣根に父が吹っ飛ばされてきた。


「?!」

「おっせーよ」


ぺたぺたと裸足で近寄ってくる凌は、狂夢瓶を受け取ると軽々と片手で持ち上げた。
それから細い管の部分を取り外し、管の先を倒れ込んだ父に向ける。

次の瞬間・・・

ぞわりと背筋を何かが逆撫でていく。
生暖かい風が頬を過ぎ、髪を巻き上げていった。


「いただきます」


整った形の凌の唇が、キレイに弧を描いた。
みるみる内に父は砂粒になって、狂夢瓶に吸い込まれていく。
頭から足の先まで、全てが砂状になって瓶の中に収まった。


「狂夢瓶は・・・俺が夢を喰いやすいように分解するための道具だ」


驚いた顔のままその様子を見ていた亜月に、凌がいつもの落ち着いた声で言い放つ。


「夢は、喰わなきゃ逆に喰われる」


凌の紅色の瞳が細められた。
続きの言葉は聞かなくても分かる。

情け無用。

亜月は変わり果てた父を改めて見て顔を背けた。
ズ・・・と重そうな狂夢瓶を持ち上げて、流し込むように夢を飲み込んでいく凌。
夢が凌ののどを通ると同時に、夜の風に靡く銀髪が根元からどんどん紺色に染まっていく。
その色は、とてもキレイで、とても、悲しい色だった。

瓶の中が空になると、凌は狂夢瓶を降ろして「ごちそうさま」とまた薄く笑う。
言葉一つ言えないこっちに向かっていつもの無表情の凌が、歩いてきていた。
何事もなかったように戻ってきて、亜月の脇を通って家に戻ろうとする。
掛ける言葉なんて見付からずに振り返って口をぱくぱくさせていると、「そういえば」と凌が振り返った。


「誕生日プレゼントまだだったっけ」


唐突な問いかけに「え?」と素っ頓狂な声を上げる。
凌は構わず亜月を人差し指で指さすと、満足そうにこう言った。


「お前、今日からうちの店の雑用な」

「は?・・・はァァ?!」


「最高級の誕生日プレゼントだろ?」と淡く笑うと、凌は狂夢瓶を引き摺って家に戻っていった。

まるで動けない亜月を嘲笑うように、夜空には何の変哲もなく満月が浮かんでいる。