「俺らのサーカスを見に来てくれたのかい?」
血塗れのピエロはそう言った。




03 : サーカス団




+血塗れピエロ+


「どーゆー事だよ凌ぅッ!!」


明るい日差しが窓から差し込む昼下がり。
数十分前から、山本家兼夢喰い屋では一人の少年が凌に向かって抗議していた。
亜月はめっきりその様子を離れた所で見ているだけで、責め立てられている本人は面倒臭そうにあしらうばかりだ。


「うっせーなぁ、お前が居ない間に従業員が一人増えただけの話だろ」

「だぁかぁらぁ!! それが何でだって聞いてるんだよッ従業員は僕だけでも充分なのに!!」


小学生低学年ほどのその少年は、顔の半分を覆い隠すほどのゴーグルを掛けていて、背負っている鞄には「天才」の文字がプリントされている。
しかも時折ちらちらとこっちを見ては、「ふんッ」と鼻を鳴らす始末。
好い加減耐えきれなくなって、亜月も少年の隣まで行くと凌に向き直った。


「ねぇ山本・・・あたし邪魔みたいだし、やっぱここの従業員は辞めさせて貰う・・・」

「お前は黙ってろ」

「・・・・・・」

「大体、翔・・・何でそこまで嫌がんだ?」


亜月の言い分なんてキレイに斬り捨てる凌。
翔と言う少年は、う・・・と言葉に詰まると顔を背けてあからさまに拗ねたように眉を顰めた。


「・・・・・・」

「・・・拗ねてちゃ分かんねーよ」

「だって・・・だって・・・」


すっかりへそを曲げてしまった翔を見て、凌が大きくため息を着く。
・・・要するに、妬いてるんじゃないの?これ。
遠巻きに様子を見ていると、対応に嫌気が差してきた凌が眉を顰めてごろんとソファに寝転がってしまった。
翔はと言うとふて腐れて扉から出て行ってしまうし。
どうしようもなくて部屋の隅の方に座っていると、凌のため息が聞こえてくる。


「・・・山本」

「あぁ?」

「ため息つくくらいなら謝ってきたら?」

「あーあー 耳が突然聞こえなくなった」

「オイコラ」


横になったままの背中を睨み付けると、それを感じ取ったかのように棒読みな寝息が聞こえてきた。
寝息とタイミングの合っていない呼吸で上下する背中は、窓から差し込む光を淡く反射している。


「ねぇ山本」


凌からの返事はないが、さっきの歪な寝息が止んだことから、きっと一応は耳を傾けてくれているんだろう。
そう勝手に介錯してそのまま話を続けた。


「さっきの子・・・弟?」

「・・・・・・は?」


ゆっくり起き上がってこっちを見る凌の顔には、あからさまに嫌な表情が張り付いていた。
への字に曲がった口からは、なんでそうなる、と抗議の言葉が漏れる。


「アイツは拾い子だ」

「拾ったの? 山本が?」

「・・・拾っちゃ悪いのかよ?」


意外だと顔を驚かせた亜月を見て、凌が更に不機嫌な顔になる。
「いや、別に」と苦笑を漏らすと顔をしかめた凌はまたソファに横になった。


「ガラじゃない事は知ってる」

「・・・山本?」


その背中は温かい光を浴び、あまりの淡さに今まさに消えてしまうんじゃないかと少しだけ不安になった。


「獏ってのは、元々人間の感情を持ち合わせちゃいねーし」


ごろん、と天井を向く凌の横顔は、何の表情もなく静かに目を閉じている。


「それは、俺みたいな獏だけじゃなくて闇の住人全てだ」

「闇の、住人・・・?」


眉を顰めてオウム返し。
すると凌はあくまで静かに瞼を開き、紅色の瞳をこちらに向ける。


「この世は、沢山の“区別”で成り立つ。得に人間なんて生き物は正義と悪、真と偽、闇と光そういうように全部をより分けようとするだろ?」

「うん・・・まぁ」

「人間じゃない者の中だとしても区別はいくらでも出来る。その区別によって中に闇とより分けられた者。例えばそれが獏だったり悪魔だったりする」


「つまり・・・」と吐く息交じりに繋がれた言葉は、あまりに小さくて聞こえなくて、聞き返す事も出来なかった。
なぜなら、あまりに凌の瞳は寂しそうに天井を見上げていたから。
暫くして、また凌がこっちに背を向けるように寝転がった。
そしてやけに優しい声で囁くように言われた言葉に顔を上げる。


「だから、そう簡単に信用すんなよ」


「気をつけろ」と言っているように、凌の背中からピリピリとした緊張感が伝わってくる。


「・・・・・・なんか、あったの?」


何を根拠に言ったのか、自分でも分からない。
けれど、他に言葉が見付からなくて言ってしまってから言うんじゃなかったと後悔した。

凌が、飛び上がってこっちを見たからだ。

何か言いたそうな顔で、揺れる瞳が亜月を見るが結局は何も言う事なく、包帯の巻かれた手で山本は顔を覆った。
それから深く息を吐いて、ガシガシとうなじをかく。


「お前・・・少し黙ってろ」


蔑むように吐き出された台詞を残して、凌は立ち上がると台所へ向かう。
少しの間姿が見えなかったが、すぐに戻ってきた。
その手に麦茶を持って。

テーブルにコップを置いてソファにどっかりと座ると、凌は少し瞑想してからいつもの無表情で亜月を見た。


「あのな、亜月」


さっきよりも落ち着いた声で、更に低い声で。


「闇で生きる奴らは、お前が思ってるほど優しくないし、残酷だ」


凌は麦茶を飲み、頭をかく。


「闇は恐怖と欲望を煽る。そんな世界に長い間浸かっていると次第に脳は殺され、腐り、落ちる」

「・・・」


凌が言うとやけにリアルで、顔をしかめる。
そんな亜月に構わず、話は続いていくから、はもう何も言えなくなって何故か説教された子供のようにそこに座り込んでいた。


「俺が生きてきた中で腐った奴らを五万と見た。そいつらは例外なく他者を虐げるようになる」

「・・・」

「元来、闇は死と隣り合わせに生きる場所だ。誰でも一度は何かを犠牲にしなきゃ生きられない」


凌は目を逸らして窓の外を見た。
11月下旬のこの頃は、太陽はつるべ落としのようにすぐ沈む。
そろそろカーテンを揺らす風も涼しくなり、オレンジ色の光を運んでくる。


「人間のような死の匂いを知らねぇ瞳は、時に腹の底に眠る殺意を滾らせる」


低い声が震えていた。
それに、その整った顔が苦しそうに歪んでいる。


「闇に信頼を求めちゃならない。闇に、哀願してもそれはただの砂となって風に攫われるだけだ」


亜月を見下ろす紅色の瞳はひどく冷たく、憂いを帯びていた。


「信用するな、闇の奴らを。俺を含めて。こっちの世界で生きていくのなら、それはお前の命を守る最強の盾になる」


「気を緩めると、喰われるぜ」と寝転がって背を向ける凌を見て、亜月は眉を顰めた。
何でそんなに辛い顔をして言うの?
やっぱり何かあったんでしょ?

敵意をむき出しにするような性格じゃないくせに、さっきの紅色の瞳はまるで自分以外の全ての者が敵と言いたげな目だった。

暫くして、一向に動きをみせなかった凌の背中の動きが、いつの間にか規則正しい寝息と重なっている事に気付いて「寝たの?」と顔を覗き込むと、そこには珍しいほど幼い顔で目を閉じる寝顔があった。

昨晩紺色に染まった亜月の髪の毛は、サラサラとしている。
不思議だなぁ・・・この髪。
夢を食べたら色が変わるのか、昨日までの銀髪の姿はどこにもない。

穴が空くほどその髪を見詰めていると、不意に後ろから「あー!!!」と言う声がして驚いた。
振り返るとさっきの翔と言う少年が、不機嫌な顔でこっちを睨み付けている。


「お前ッ凌に何してんだよ!!」

「? 別に何も・・・」

「嘘だッ!! 離れろ!!」


少年が勢いよく亜月を押すので軽くよろめいた。
その隙に翔は寝転がっている凌に馬乗りになった。
「ぐぇッ」とカエルのような声がする。


「なにお前は・・・ふて腐れてたんじゃねぇの? それとも反抗に俺の睡眠を奪い取ろうという魂胆?」

「違うよ!! これを探してたんだよッ」


そう言って凌の鼻先に尽きだしたのは、2枚のチケットで、大きく「闇サーカス」の文字がプリントされていた。
亜月が「サーカス?」と呟くと、翔はこっちを見るワケでもなく凌に馬乗りになったまま頷く。


「これ、前にベーカーさんに貰ったんだ。今日は曇りで月が出ないし、見に行こうよ」

「・・・・・・オイオイ。お前拗ねてるんじゃなかったっけ?」

「それはそれ。これはこれ」

「そういうのを調子のイイ奴って言うんだぞ。知ってますか?」

「知ってる」


大きなゴーグルを見上げていた凌は、深い、限りなく深いため息を着くと翔を退かせて上半身を起こした。
その顔はあからさまに嫌そうなものだ。


「何で折角の休みをサーカスなんかに使わなきゃなんねぇんだよ」


「大体それアイツらのサーカスじゃねぇか」と文句を垂らす凌は、翔からチケットを一枚取ってじろじろと見たり引っ繰り返したりして玩ぶ。
更にそれを横から取ると、亜月は裏表を確認した。
真っ黒なそのチケットには、表面に銀色の文字で「闇サーカス」と書かれていて裏面には「日時:月のない夜」と書かれているだけだった。
亜月はそれを掲げて凌の方を見る。


「ねぇ、コレ本当にサーカスなの?」

「あぁ。まぁ、普通のサーカスじゃねぇけど」

「・・・それって・・・闇の人?」

「夢魔だよ」


声の方を見れば歯並びの良い歯をちらつかせるように、にやりと弧を描く口で笑う翔の姿があって、その手につままれた黒のチケットが、ひらひらと肌寒い風に揺らいでいる。
聞き慣れない単語に顔を顰めると、翔はますますその口端を持ち上げた。


「何も知らないんだね」

「仕方ねぇよ。知識皆無のガキだコイツは」


ガキ・・・?
顔を顰める亜月からチケットを取り上げる凌は、もう一度小さく舌打ちすると「まぁどっちにしろ・・・」とぼそぼそ呟いている。
30分も経たない内に顔を上げた凌が、テーブルの上のコピー用紙の上にチケットを放り投げる。


「サーカス、行くんだったら準備しとけよ」

「本当?! 良いの凌ッ」


返事の代わりに手をひらひら振って、凌は眠たげなあくびを一つ残し部屋を出て行った。




+++




翔の言うように、確かに空に月の姿はなくただ分厚く重たい雲が広がっている。
11月の夜道を漆黒のコートを着込んで歩く亜月と凌、翔の3人の間に会話はない。
亜月は顔の半分を覆うほどのフードをかぶり、これもまた黒の革ブーツ。
つまりは全身真っ黒な訳だ。
何でこんな地味な格好なのかって事は、是非とも凌に聞いてほしい。
「真っ黒の服着とけ」と言ったのは他でもない凌なのだから。

でも、まぁ一応意味はあるみたいだ。


『俺たちは闇を好むからよく黒の服を着る。そのコートを着てりゃ紛れて人間ってバレやしねぇだろ』


たしかにそう言って、このコートは凌に渡された。
だから、多分そう言う意味だ、このコートは。

それなりに、気を使ってくれているんだろう。
いや、もしかしたらただ単に亜月の着ている服が派手で気に入らなかっただけか・・・

・・・出来れば全力で前者を信じたい。

亜月はフードの端を抓んで深くかぶり直した。
前を歩く翔も丈の短い漆黒のコートを靡かせている。
だが、隣を歩いている凌だけはいつもの白のTシャツで色の薄いジーパン。
違うと言えば一枚灰色のセーターを羽織っているくらい。見てるこっちが寒くなってくる。

冷たい風の吹く夜道を歩いていると、段々と灯りの無い方へと進んでいく事に気付いた。
街灯の数がぽつぽつと減っていき、ついには一つも見えなくなった。
そして除々に道は森の方へと繋がれていく。

光もない森の中は、目の前の木すらよく避けられない状態で、よろめきながら凌の背中を追っていく。

すると不意に後ろから「やぁ」と声を掛けられた。
深い闇に少なからず恐怖を覚えていた亜月は、その一言に肩を振るわせて振り返る。


「・・・?」


けれどそこには誰もいなくて、辺りをキョロキョロと見まわした。
凌も振り返ってこっちを見ている。


「今・・・誰か・・・居たよね?」


凌を見れば、嫌そうな顔で闇の方を見据えている。
ザァ・・・と風が吹いてクスクスと笑う声が聞こえてきた。
ぞわりと背中の毛が逆立つ。
少し離れた所に突っ立っていた凌の方に近寄れば、上の方から小さくため息が聞こえた。


「ベーカー」


呆れた声は夜の風に乗ってどこかへ飛んでいった。
梟の鳴き声がする。
その声にかぶるように、また誰かが笑う。

次第にその笑い声が大きくなると、闇の中から、まさにぬっといった表現が合うように一人の男が現れた。
どっぷりと闇に浸かった姿を除々に見せるその男は上から下までハートづくし。
深くかぶった帽子を片手で押さえながら、にっこりと友好的な笑みを見せた。


「こんばんは、凌、翔くん、そしてはじめまして可愛いお嬢さん」


語尾にまでハートが付きそうな甘ったるい声。
前髪の一房だけが浅葱色をしている漆黒の髪を風に靡かせる。

けれど決してその男を、凌のように受け入れられるとは思いがたかった。
昼間の山本の言葉を思い出す。



『人間のような死の匂いを知らねぇ瞳は、時に腹の底に眠る殺意を滾らせる。
闇に信頼を求めちゃならない。闇に、哀願してもそれはただの砂となって風に攫われるだけだ。
信用するな、闇の奴らを。俺を含めて。こっちの世界で生きていくのなら、それはお前の命を守る最強の盾になる』



一歩一歩と狭まってくる男との距離に亜月は一歩身を引いた。

闇の中から完全にその姿を現した男は、全身に血をかぶった、血塗れピエロだった。


「今日は、俺達のサーカスを見にきてくれたのかい?」


彼の甘ったるい声が、夜風のように頬を撫ぜる。