「Accueillez je suis venu」
そう言ってベーカーは優雅にお辞儀する。




04 : 闇の中のサーカス




+気の滅入るショータイム+


「アイツの名前はベーカー・D・ブランチ・・・まぁ、いかれピエロだな」


前の方を翔と肩を並べて歩くピエロを指さして凌が言う。
外国の人なんだ。なるほどだからキレイなエメラルドの瞳をしていた訳だ。
亜月はアコーディオン片手に陽気なテンポで歩を進めるベーカーを見上げながら、もう一度フードを深くかぶった。


「つか・・・あのピエロさんも、闇の人だよね?」

「せーかい。よく解りましたねーおめでとー」

「当たり前でしょ。全身血だらけのピエロなんか世界中のどこ探してもみつかりっこないよ」

「目の前に居るじゃねーか」


凌が血液の張り付いたピエロ服を指さすが、亜月はなるべく見ないように顔をそらした。
むしろ、あんな血だらけの服見てぶっ倒れないこの女子高生に賞賛を与えて欲しいくらいだ。
本当は食道らへんがもやもやして今にも吐きそうな気分。

思わず口元を押さえる。


「あれくらいの血で顔色さめざめって感じですねー亜月サン」

「あたしは人間なんだからね。あんたらみたいにグロい物には慣れてないの」

「・・・ふーん」


特に気にする素振りも見せず、凌はセーターの襟首を正した。
「まぁ・・・」と繋がれた言葉に顔を上げれば闇に溶けて凌の顔も半分も見えない中、きらりと光る紅色の瞳を見つけた。正直に、キレイだと思う。


「俺たちにとっちゃ、当たり前の事なんだけどなァ」


「よっぽど、安全な暮らしをしてきた訳だ」と皮肉じみた台詞が聞こえた。
亜月は言い返す言葉も見付からない。

だって、本当だから。
凌の過去は知らない。全身血塗れのピエロがいても平然としていられるほど、過酷な日々を送ってきたのかもしれない。
そんな奴に、何を言い訳できる?
特に何もない日々を過ごして、平々凡々な日常にいたあたしが。
亜月は突然その場に居辛くなって俯いた。

隣からぼりぼりと何かをかく音がする。
大方凌がいつものように首を掻いているんだろう。
亜月は特に気にも止めず、淡々と3人の後を追った。

ふと木々が開けると、さっきまでの闇はどこへやら。

淡く光る灯りが幾つも宙に浮き、森を照らしている。
その奧に黒い大きなテントが見えた。恐らくあれがサーカスのテントだ。
その証拠にテントの裏の方に幾つかの檻と思しきものが見える。
テントの周りには派手な格好で客引きをするサーカス団と、黒いコートに身を包んだお客が沢山。


「あれが俺たちのサーカス、闇サーカスだよ」


振り返ってにっこりと笑うベーカーの顔には、血の拭かれた後があるが、それはただ引っ張られて伸びただけのようにも見える。

・・・―ヴォン

ベーカーがアコーディオンを鳴らした。
よく聞くようなサーカスのフレーズが流れ出す。
陽気に踊り、微笑むベーカーはまさしくピエロだが、その服と顔にこびり付いた血だけで、狂った人形にも見えた。


「・・・―とある街のはずれ、髑髏の道を辿ると
真っ赤な血の絨毯が敷いてある。そこは街灯もない静かな森の中
灰色の瞳で溢れかえる様に、貴方を迎えるは
人の血と骨を固めて作り上げた、灯りのともったしがないドクロのランプ
   He paraissez
逃げ道なんてないのだから、おいでなさい
真っ赤な絨毯を踏みしめてまっすぐまっすぐ歩いておいで。そこではサーカスをやっているよ

異形な体つきに美しい声の掠れた歌姫
悲鳴で人を別世界へ連れ出し殺してくれる魔物
泣き顔で陽気に手を振る足の切れた空中ブランコ乗り
残虐な躾を施した獣に乗って現れる冷徹な少女に
鋭利なナイフを人へと投げる少年

それと、心臓と血の色に目がないこのサーカス案内役の血塗れピエロは私のこと

   Reunis sez-vous
 高らかに笑いながら、Vous devri ez re garder
魂の美味い楽しい事だぁい好きな人ほど
この暗闇に飲まれた異色な世界へと歓迎しましょう...?

命の保証は出来ません

暗闇に慣れたら魂震わす恐怖溢れるショーを御覧あれ
              君にその勇気があるのなら―・・・」


クスクスと笑いながら、ベーカーはテントの方にステップ踏んで掛けていった。
入り口前で踊り終えた彼は、こっちを向くと最後にまた友好的な笑みを零して優雅にお辞儀する。
そしてテントの中の暗闇に姿を消した。

妙な声の起伏を付けるその歌を聴きながら、唖然とそれを見詰めていた亜月ははっと顔を上げる。
そこにはこっちを見下ろす凌がいて、「心の準備は?」と聞いてくる。


「まさかこのサーカス・・・」

「気付くの遅いんじゃない?」


ひょこひょこと近付いてくる翔がにっこりと笑う。
歯並びの良い歯がちらりと見えた。


「闇サーカスは僕たち闇の住民向けのサーカス・・・まともなミセモノなんて無いよ」


ひやり、と夜の風が頬を撫ぜた。


「言っただろ、闇の奴らと人間とじゃ感性が違うんだよ。根本的にな」

「僕たちにとってはちゃんとした娯楽だよ? ただ、お姉ちゃんにとっては違うかもね」


何だか騙された気分に陥った。
同時に、二人に怒りがこみ上げてくる。
まるでこうなる事が分かってて連れてきた挙げ句、仲間はずれにされたみたいだ。
自然と眉間にしわがより、怒鳴りつけてやろうかと思ったその矢先。


「おや? 凌じゃありませんか?」


物腰柔らかな声が聞こえた。
声の主は結構な長身で、闇によく映える白のコートを来て、白い髪を一本に束ねている。
ベーカーとは一味違う服装だが、おおよその作りは同じで体中に見えるマークがハートではなくスペードだ。
これまた柔らかい笑みを見せる男は、盲目なのか常に瞼を両目閉じて、妙に長いステッキを持っていた。
ただ亜月は、この男が血塗れじゃない事に一番ほっとした。

その男はゆっくりと山本に近付き、もう一度微笑む。


「Bon soir 凌。 C'est apres une longue absence」


すらすらと男の口から零れ落ちるフランス語。
何を言っているのか分からず目を瞬かせていると、不意に隣で翔が「お久しぶりって言ったんだよ」と教えてくれた。


「相変わらずすげーな。目が見えないってのにこの大人数の中よく俺を見つけらるモンだ」

「鼻には些か自信がありますから」


肩を窄ませる凌に、クスクス笑う男。
何だか笑みの形といい、笑い方といい、ベーカーを思わせる節がある。


「コイツはオスカー・D・ブランチ。さっきのバカピエロの兄貴」


親指でオスカーを指す凌が亜月に説明する。
すると紳士的に腰を折って、オスカーがお辞儀した。


「Nice vous rencontrer オスカー・D・ブランチと言います。あなたが亜月さんですか」

「え、あ、はい・・・? 何で知って・・・」

「俺がさっき言ったんだよ」


そう言って凌がオスカーを小突く。
そんなの言ってる暇あったっけ?と小首を傾げながら二人の様子を見ていると、オスカーが感嘆の声を上げる。


「それにしてもよく隠していますね?」

「?」


「人間・・・でしょう?」


顔を近付けてそう言うオスカーに驚いて身を引くと、「そんなに警戒なさらないで下さい」と柔らかい笑みで言われた。


「私は昔、凌に大きな恩を受けましたからね。凌の不利になるような事はしませんよ」

「・・・・・・何で分かったんですか?」


恐る恐る問いかければ、にっこり笑ってオスカーは凌の肩を叩いた。


「あなたから凌の匂いがしますから」


「正確に言えばそのマントから、ね」と今度は亜月のコートを指さす。
あ、これ山本のコートなんだ。


「コートに呪いをかけてあなたの匂いを消し、自分の匂いだけ残す。あたかも凌の分身がそこにいると錯覚させられる訳です」

「分身・・・? 山本って忍者だったり?」

「んなわけねーだろ、バカ」

「よく闇の住人が使う手法ですよ。 命のやりとりが多い世界ですから、自分と自分に似せたフェイクを造る事で己の命を守るんです」

「へぇ〜」


納得したように頷く。
「そういえば・・・」ふと疑問に思った事を、凌に尋ねてみた。


「オスカーさんが気付いたって事は、他の人にも気付かれるんじゃないの?」


不安になって凌を見れば小さくため息をつかれてしまう。
凌の隣にいるオスカーもクスクス笑っている。


「私の鼻は特別にいいんです。そう簡単にそのフェイクは見破られませんよ、そのフードを脱がない限りね」


ぽんぽんと頭を撫でられ、オスカーは「さぁ」と微笑む。


「行きましょうか? そろそろ始めるにいい頃合いでしょう」




+++




「Accueillez je suis venu!!」


『ようこそいらっしゃいました』と言うベーカーの声によって始まったサーカスは、そこまで酷いと言うようなものじゃなかった。
いや、もしかしたら酷いものだったかもしれないけれど、少なくとも亜月にはそう感じられなかった。

不気味だと思ったものはたくさんある。
だけど、吐き気を誘ったり、あまりの残酷さに顔を顰めるような事はなかった。
それは何が原因か分からないけれど、心のどこかで確信した。
きっと数年前のあたしなら、こんなサーカス1秒だって見てられる筈がなかったと。

ベーカーの歌のように、見たことのないような、足のないおぞましい生き物が空中ブランコをし、見目形が美しい歌姫は、鼓膜が破れそうなほど掠れた声で喚き散らす。
司会進行のピエロであるベーカーは流石に血塗れじゃなかったけど、血を拭いたおかげでその右頬にハートの化粧をしている事に気付いた。
それに、驚くほど身体能力のいい少年は、テントのポールを巧みに使って空中を移動しながら、選抜されたお客の頭に乗ってる林檎をナイフで切り落とすし、ライオンや猛獣を連れる少女は笑顔で何かの腕のようなもので餌付けする。
その他にも、見たことも聞いたこともないような出し物ばかり。

普通の人なら、きっとこれを地獄絵図と言うのだろうけど、亜月はまるで何かに取り憑かれたようにそのサーカスに魅入っていた。
積極的に拍手をする亜月を横目で見る凌にも気付かずに。


「さて、最後のショーとなりました・・・Cryの登場です」

にこやかにそう告げるベーカーの後ろを、大きな檻を引きずった大男が横切った。
その檻が舞台の中心にくると、ベーカーは観客に両手を広げる。


「お手元の耳栓をお付け下さい。彼の声はたった一呻きで何百人もの人間を殺せますからお気を付けを。耳栓なしでは魂を引き摺られていきますよ」


凌たちも椅子にある耳栓を付けながら、ベーカーの声を耳栓越しに聞いていた。
完全に声を遮断するのではないようだ。
ステージにいるベーカーも、大男も同じように耳栓をする。


「さぁお気を引き締めて!! Appa rence!!」


ばッと大男が檻にかけられていた布を取り去った。
現れたその生き物は、一瞬人間と見間違えるものがある。
白い肌、黒い髪、コバルトブルーの瞳はキョロキョロとテント内を見まわして、大きく息を吸う。

次の瞬間。


「ギュギュキュァァアアァァァァァアアアアアウゥゥグギュギャァァァァァアアア!!!!!」


耳を劈く声がして、頭が大きくゆさぶられる。
その声は耳だけじゃなく頭から直接入り込み、頭蓋骨を辿って背骨に達し、臓器を震わせるようだった。
一瞬にして吐き気に襲われる。
辛うじて開く目で隣の凌を見れば、彼も苦虫を噛み潰したように顔をしかめている事に気付く。
叫び声は続く、続く、続く。
その声が割れるほどにまで。
何分経っただろう。漸く止んだ声に、耳栓の上からさらに手で耳を押さえていたベーカーと大男がCryの檻に再び布を掛け、早々にテントの奧に押しやった。

まるで忌々しいものをしまうかのように。

亜月はガンガンする頭を押さえながら耳栓を取った。


「なんなの・・・アレ」

「“死の子”・・・嗜好品だよ」


右隣の翔が口をへの字にしたまま呟く。
生憎、顔をしかめているのかは、その大きなゴーグルの御陰で分からなかった。


「さっきの呻き声が、狂気した奴らにとっては快楽って訳だ」


ざわざわと出口に向かう客の波に乗るように凌も立ち上がる。
しかし、出口を出て直ぐに帰る訳でもなく、凌はテントの裏の方へ歩を進めた。


「俺は嫌いだね、あんな声。煩わしいったらありゃしねぇ」

「僕も嫌い」

「って、あんたらだって闇の住民でしょ」


すると、凌はとんでもない、と言いたげに振り返った。
その顔は本当に嫌そうな顔をしている。


「誰が好むかよ、あんなもん」

「闇と狂うをイコールで結ぶなんて、失礼だよ」

「・・・だって」

「狂うの意味を知ってるか?」


見下ろす凌の目が、真剣よりも剣呑を含んでいる事に気付いて、喉元まできていた反論の言葉を飲み込んだ。


「“死”の恐怖を忘れた人達の事を“狂う”って言うんだよ」

「必要以上に力を求める奴らはみんな揃って“恐怖を失って、更なる高みへ”なんて言うけど、んなもん能なしのする事だ。生き物は恐怖なくして生きられはしない。感情の抜けた奴はその穴を埋めようと何か他のものを求め出す。例えそうして恐怖を捨て、その穴を力で埋めたとしても、それはただ引き際を知らねぇバカを作り上げるだけだ」

「でも、じゃぁ何で狂っちゃうとさっきの声が好きになるの?」


よく分からないと顔をしかめれば、呆れたように凌はため息をついた。


「恐怖ってのは刺激が強い感情だ。それを失えば、対等の刺激を欲しがるのが道理。何でも・・・狂気した奴らには死ぬ直前の感覚が最高の快楽・・・つまり、さっきの死の子の声に魂を引き摺られそうになる感覚そのものが、快感なんだって話だ」


紅色の瞳がうっすらと細められた。
ザワザワと沢山のお客がテントの前に屯っている。


「恐怖を捨てたら、生と死との境すら朧気になる」


「結局のところ、自分の命を大事にしたけりゃ恐怖心は捨てんなって事だな」と言って凌は再び歩き出した。




+++




「あー!! ここは勝手に入ってきちゃ駄目なのよ!!」

「・・・立ち入り禁止の札、かかってたと思ったけど」


そう言う少年と少女に亜月は目をぱちくりさせた。
双子・・・? 随分とよく似た顔をしている。
あぁ、そう言えばこの少年はあのナイフを投げていた身軽な子で、少女はライオンや獣を従わせていた子じゃないか。
扉を中途半端に開いた状態で突っ立っていたら、後ろにいた凌が「おい何もたもたしてんだ」と背中を押してきた。
とりあえずつんのめりそうになりながら中に入ると、今度はさっきと違う黄色い声が上がった。
振り返れば、さっきの凌が山本に抱き付いている。
抱き付かれている方は顔をしかめて嫌な顔をしているが。


「凌ちゃん久しぶりッ!!」

「・・・オイ、チェスカ・・・お前の姉ちゃんどーにかしろ」


チェスカと呼ばれた少年は、眠たげな雰囲気を醸し出しているが、無表情のまま凌にひっついている少女の服を引っ張った。


「ジェスカ、ジェスカ。オスカー兄さんがいつも言ってるでしょ。突然抱き付くのは行儀が悪いって」

「だって仕方がないじゃない? 久しぶりにfianceに会えたんだもの」

「フィアンセ・・・?」


まさかその言葉が出てくるとは思わなかったものだから、亜月は顔を顰めてオウム返ししてしまった。
少女は満足そうだが、凌の顔はほんのり青ざめている。


「ふざけんじゃねぇ。誰がお前みてぇなじゃじゃ馬娘の婚約者になるかよ」

「もー照れちゃって、凌ちゃんカワイイッ」

「お前は限りなくキモイ。くっつくな、離れろ、喰い殺すぞ」


「ちょっとちょっと・・・」とこっちが心配になってくる。
何しろ凌の纏っている空気が本気なんだから。
しかし力まかせに引っぺがして痛い目をおわせるつもりはないらしい。
ぐいぐいと抵抗はみせるものの、ジェスカが笑顔を見せてる分、手加減しているんだろう。

ふと、そこにオスカーの声が割り込んだ。


「こら、ジェスカ。凌に迷惑を掛けるんじゃありません」


悠然と歩いてくるオスカー、と、その後ろのベーカー。
二人に気付いたジェスカが、渋々と言った顔で凌から離れた。


「ごめんなさい、オスカー兄さん」


しゅん、としおれるジェスカに、チェスカが近付いて宥める。
身長も同じ、瞳の色も同じエメラルド、髪は毛先に向けて向日葵の色から透き通る橙へのグラデーション。
顔の作りも似通った二人はきっと一卵性双生児だろう。


「すみません凌、いつもいつも」

「本当だよ・・・レディならもっと淑やかになれって言っとけ」


苦笑するオスカーは、チェスカとジェスカの肩に手を置いて「紹介します」とこっちを向いた。


「姉のジェスカと弟のチェスカです。どちらも私の妹弟ですよ」

「えッ、4人兄姉なんですか?」

「Oui」


はぁ、とため息をつく凌の肩に、ベーカーが手を置く。
にっこりと、あの友好的笑みが向けられた。


「まぁまぁ、それよりさ一緒にディナーでも食べようよ♪」

「はッ? お前、今何時だと思って・・・」

「良いじゃない? 俺達まだ何にも食べてないんだ。お嬢さんもどう?」

「え、あたし?!」

「美味しいフランス料理だよ〜一流シェフを雇ってるんだ♪」


フ・・・フランス料理・・・。
滅多に食べれない単語によだれが垂れる。
そっか、この人たちフランス人なんだね、きっと。
どうしようと翻弄されている間に、翔が「食べるッ」と言ったせいでいつの間にか話は進み・・・
気付けばブランチ兄妹と共に裏舞台を歩いていて。
前を行く彼らの親しさを目の当たりにし、改めて思い知らされた。

あたしは、この人達の物語に飛び入り参加しているに過ぎないと。

どこかズキリと、胸が痛んだ。