「お久しぶりですわ、夢喰い屋の店長さん」
黒づくしの女は、ふわりと舞い降りる。
05 : 黒で溢れかえる世界
+闇に抱かれた会社+
「はぁ?! 有力会社が3つも潰れたぁ?!」
「何でまた・・・」と顔をしかめる凌は、ツプと目の前の皿にのっかった極上肉にフォークを突き立てた。
細長い長方形をしたテーブルの向こうのオスカーは、口元を拭いて困ったように眉を垂らす。
「その様子では知らなかった様ですね?」
「ったりまえだ。ここんとこは四六時中寝て体力温存してんだぞ」
苛立ちを隠し切れていない凌のその発言に、亜月は首を傾げる。
四六時中寝てる?
確かに、凌はいつも目の下にうっすら隈があるような、病気寸前の顔色をしているが、四六時中寝てないといけないようなものじゃないように見える。
本人曰く、夜は食事の時間だから昼と夜が反転するのだったら分かるけど・・・
「体力温存って?」
「お前には関係ない」
呆れたような、それでいて蔑む訳ではない物言いに、反論の言葉を口にしようと唇を開いたが、凌はいつの間にかオスカーとの話に戻っていた。
「にしても、3つも潰すとはね・・・流石blackring社というかなんというか・・・節操ねぇな」
テーブルに肘をついてため息をつく。
すると、オスカーの隣に座っていたベーカーが、ナイフとフォークを置いて「そういえば・・・」と零す。
「そろそろここも潮時だよオスカー? 今夜もblackring社の下っ端を数人殺ってきたんだ」
「あぁ・・・だから血だらけだったんだ・・・」
「心配しないでお嬢さん。あれは全部返り血だから」
また、語尾にハートが付きそうな甘い声。
椅子がなかったらきっと数歩は後ずさっていそうだ。
必死にその衝動を抑え込むと、オスカーと凌の会話の中で度々出てくる「blackring社」が何なのかと思案してみた。
すると、隣に座っていた翔が食後の紅茶を飲み終えて「まぁた何か考え込んでない?」と見上げてくる。
にやりと笑った時に、歯並びの良い歯が覗く。
「どうせ、blackring社が何なのかって事考えてたんでしょ?」
「・・・よく分かったね」
「僕は天才だからね」
そう言って笑う翔。一瞬だけ、鏡のように反射していたゴーグルの奧にきらりと光る目を見た。
亜月はまだ話し込んでる凌とオスカー、何から妹と弟に話しているベーカーを一目見てから、翔の方に屈み込んだ。
「翔くんは知ってるの? blackring社ってやつ」
「勿論知ってるよ。酷い会社さ」
「酷い?」
「うん」
翔は短い黒の髪を掻くと、えーっとね、と口を尖らせた。
「人間の世界にさ、政治だとかあるように、闇の世界にも守るべき秩序があるわけ」
「それがblackring社?」
「違うよ、人の話は最後まで聞いた方がいいよ?」
「・・・・・・」
顔をしかめる亜月に構わず、翔は続ける。
「どっちかって言うと闇の世界は政治と言うより王政に近いんだ。それに、闇に住むには必ず何か商売をしなけりゃならない事になってる。経済力も上げられない小者なんて、闇で生きていく価値はないから、もし働いていなかったらその場で―・・・」
クイ、と翔が自分の首をかっ斬る動作をする。
「死刑さ」
ごく、と生唾を飲み込む。
「そんな世界で絶対的な力を持つのが、blackkingdomって言う裁判所。まるで人の意見を聞き入れない非道な裁判と死刑を行う所」
「ふーん・・・」
「blackring社って言うのはそのblackkingdomに仕える闇の有力会社・・・いわゆる警察まがいの事をする会社だよ」
ティーカップを玩び始めた翔は、詰まらなそうに口元を歪めた。
カチャカチャとカップが音を上げる。
「退屈な会社だよ、とってもね。まるで犬のように使われているんだ」
「そのblackkingdomに?」
「そうだよ。それに、僕はアイツらが嫌いさ。凌にたてついて来た事もある」
「山本・・・その時どうしたの? 相手は警察みたいな会社なんでしょ? 下手したら捕まるんじゃ・・・」
眉を顰める亜月に、翔は「バカだね」と言った。
その口元にままた笑みが零れている。
「凌があんな奴らに連行される筈ないでしょ? 凌は強いんだ、いざって時には全部喰っちゃえばいいんだし」
全部、と言う単語に引っ掛かる。
だって可笑しいでしょ?獏って夢しか食べないんじゃないの?
現に反対隣の凌は、出された料理をほんの数口しか口にしていない。
折角のステーキだって、フォークに意味もなく刺されて穴だらけ。
スープも冷えて、紅茶からは湯気も立たない。
「凌はああ見えて雑食なんだ」
にやり、と笑う翔。
「悪かったな、雑食で」
不意に反対隣から低い声がして振り返ると、頬杖をついた凌がこっちを見ている。
不機嫌に寄せられた眉に、亜月は引きつった笑みを返した。
「だけどな、雑食のワリには好き嫌い激しいんだよ、俺は。何でも喰って処理するダストシュートみたいな言い方は止めろ、翔」
「そんな事言ってないよ、褒めただけ」
にっこりと幼い笑みが返ってきて、凌はため息をつくだけに留まった。
「凌」
と、その時不意に掛けられたオスカーの真剣な声に、凌が真顔で振り返る。
いや、少しだけ顔をしかめていたかもしれない。どっちにしろ、今はもう綺麗になびく紺色の髪しか見えない。
オスカーはティーカップを置く。
何故だかその伏せられた瞼を透けて、鋭い目に見つめられているような気分に陥った。
「そろそろ私たちと共に、闇を討ちに行きませんか?」
+++
・・・―闇を討ちに行きませんか?―・・・
反響するオスカーの声に、凌は瞼を伏せた。
もう、たくさんだ。
深い夜はいつの間にか太陽を受け入れて、カーテンの端から光を漏らし始めている。
夢喰い屋に戻ってきてから何時間経ったか・・・
隣の部屋では亜月と翔が眠っている筈だ。
すこしでもいい、睡眠が取りたい。
けど・・・
冷めた頭は一向に眠ることをしようとしない。
普段なら嫌というほど眠いのに、なんでよりによってこんな時眠れないんだ。
くしゃ、と紺の前髪を掴み上げた。
朝日で照らし出され始める部屋。
色んなものでごった返しだったそこは、今は綺麗に整えられている。
きっと亜月の奴が掃除でもしたんだろう・・・一人暮らしだと聞いたから、こういう事は得意そうだ。
くだらない事を考えながら、頭痛にも似た何かが突然襲ってきた。
「ッ・・・!!」
頭を抱えると、脳裏に甦るあの・・・・・・
「山本・・・?」
聞こえる筈のない声に顔を上げると、寝転がっていたソファの向こうに、亜月が心配そうな顔をして立っている。
凌は無理に起き上がると平然を装って「何」と返事した。
まだ続く痛みに歯を食い縛る。
「どうしたの? 頭痛いの?」
オロオロと寄ってきて凌の方に手を伸ばす亜月。
彼はそれを反射的にはたき落とした。
驚く顔をする亜月。
ひどく、自分の息遣いが荒い。
「・・・なんでもない。まだ5時にもなってねぇんだから、寝てろ」
視線を逸らしてそう言うことが精一杯だった。
けど、亜月は言われたようにはせずに、反対側のソファに座ってじっとこっちを見てくる。
何故だかその瞳を見ていると、唸りたくなるほどの痛みがすぅっと消えていく。
息遣いを正そうと深く息を吸うと、見計らったように亜月が「ねぇ・・・」と声を零した。
返事はしないで、視線だけを送る。
「何で、あたしを従業員にしたの?」
「・・・教える必要ねーよ」
「何で」
強い眼光に目眩がしそうだ。
その目で俺を見るな。
俺は、そんな強い光を宿す目を直視できない。
俺を、見るんじゃない。
「・・・何で、知りたがるんだよ」
俺は、そんな目で見られていいシロモノじゃない。
綺麗な瞳で俺を見るな。
「不思議に思ったから。だって、あたしの夢はもう山本が食べたんでしょ?」
その目は、俺なんかを見ちゃいけない。
駄目だ。見るな。
見るな見るな見るな見るな。
頭が狂いそうだ。見るんじゃない。
頼む、頼むから見ないでくれ。
ほとばしる恐怖に啄まれそうになる。
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止
めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止
めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止
めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止め
ろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止め
ろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止
めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
「どうしていつまでも、あたしを側に置いておく必要があるの?」
頼むから。
どうしようもなく胸の奥が苦しい。
亜月の視線が痛い。
その眼差しが、俺の眼球を焼いているように。
痛い。気持ち悪い。吐き気がする。目眩が、する。
止 め ろ と 言 う の が 分 か ら な い の か
「・・・寝ろ」
今は何も、言えなんだ。
言っちゃいけない。
凌は立ち上がって亜月の両目を片手で覆った。
手のひらにふれるまつげがゆっくりと閉じていくのを感じる。
ふ、と亜月の体から力が抜けた。
ズルズルとソファに横になって規則正しい呼吸音を繰り返す。
ついさっきまで自分が使っていた毛布を掛けてやると、反対側のソファに座り直した。
分厚い毛布が上下する様を一瞬視界の端で捕らえて明るくなりつつある窓辺に視線を送る。
「いずれ、分かる時がくる」
だから今は君の為と偽って、俺の我が儘に付き合ってくれ。
あまりに現実は残酷すぎるから。
+++
荒い息。
走り抜ける足取りが段々重くなっていく。
気管が焼け付くように痛くて、噎せ返るような感覚に見回られる。
もう止まっていいだろう。と諦めたくなる自分にむち打って凌は走り続けた。
邸が見える。
よかった、何の異変もない。
ホッと胸を撫で下ろして足を止め、門を潜る。
が、はた、と足取りが止まった。
目前に広がる色は、たった一つ。
新緑を迎えた木々も、白い石もただ一色。
黒ずみ始めている、血の色。
ザリ・・・と足下の砂が音を立てた。
広がる腐臭に鼻を押さえて辺りを見まわす。
ズキン、と頭痛がした。
あまりの痛さに目を瞑る。
痛みに耐えて、うっすらと辺りを確認した時。
そこら中に転がる遺体の中、ただ一人、ぽつんと何かがあることに気付いた。
見るな。
頭のどこかで誰かが叫ぶ。
見ちゃいけない。
けれど瞳は自然とそれを追って、捕らえる。
振り返ったソレは、全身血塗れの、幼い頃の俺で・・・
「!!」
はじかれたように起き上がった。
反射的に常に瞑ったままの右目に手を当てる。
まるで本当に走ってきたみたいに息遣いが荒い。
冷や汗が頬を伝った。
焦点の合わない目が落ち着きを取り戻すと、辺りを見まわしてそこが夢喰い屋である事を思い出す。
そうだ、今日の朝戻ってきて、ソファでそのまま寝たんだ。
向かいのソファに亜月の姿はもうなく、昨日掛けてやった毛布は凌の上に掛かっていた。
除々に冷静を取り戻した頭が動き出す。
ふと、台所の方から料理をしている音と匂いが漂ってきた。
時計を見ればもう12時近い。
7時間近く寝てたのか。
頭をガシガシかいて起き上がるのと同時に、皿を持った亜月と翔が台所から出て来た。
「あ、凌おはよう!!」
「おー」
「山本起きるの遅いし。もう12時なんだけど」
「あー」
適当にあしらっておくと、亜月のため息が聞こえてすっかり綺麗なテーブルの上に、カレーライスが三つ並ぶ。
寝起きにこの匂いはキツイ。
っと言うより、俺は人の食い物をあんまり食べないんだけど・・・とある意味批判を持った目で亜月を見れば「好き嫌い言わないッ」とピシャリ、跳ね返される。
渋々スプーンを手にする。
丁度その時玄関のインターフォンが鳴った。
これはチャンスだとスプーンを置いて玄関に向かう凌に、「逃げるなー!!」と亜月の文句が飛んでくるが、無視だ、無視。
「どーぞ」
ガララ・・・と決して重くはない引き戸を開くとそこには。
「ごきげんよう、夢喰い屋の店長さん」
女が一人と男が一人。
全身真っ黒の服に身を包んで立っていた。