「失敗してばっかだ。何も得ちゃいない」
凌はひどく哀しく笑う。




07 : 意外な一面




+君が思うより僕は+


思えば酷い人生だ。
生まれてすぐに父と母を亡くし、施設で暮らし始めた。
親と言うものが居ない事が当たり前で、いつも写真に写った変わらない姿の父と母。
普通に公園で遊び回る子供と親という組み合わせを見る度に、少しだけ胸の奥が痛んだ事を覚えている。
でも、仕方ないと割り切る事しか出来なかった。
元々、あたしには親がいないんだ。そう思って生きてきた。
それでもいい、施設の仲間を家族と思って生きていこう。そう決めてきた。
やがて独り立ちしても、その意識は変わらない。

だからまさか、17歳の誕生日に夢に取り憑かれたり、変な世界に引っ張り込まれたり、予想を超える事があっても割り切ってきた。
両親が居ない事と同じ様に、軽く見てきた。

あぁ、だけどどうして。

困惑した顔で目の前の凌を見る亜月に、容赦ない言葉が振ってくる。


「お前の父親は、俺たちと同じ闇の住人なんだよ」


そうだ、山本はこういう奴だ。
人の気も知らずに淡々と事実を話していく。
しかもそれを明確に、分かり易く話してくれる訳じゃないからたちが悪い。


「お前の父親のハルは闇の掟を破って逃走し・・・あろう事か人間と恋に落ちた。つまりはお前自身が罪の塊なんだ」

「・・・どういう、事・・・?」

「ハーフなんだ、お前は」


凌は細めた左目で、静かに亜月を見下ろした。
ひどく長い沈黙が訪れたようだ。
「ハーフ?」声が掠れている。


「お前は悪魔と人間の間の子供だ」


キーンと耳鳴りがする。
頭がぐらついていて視界も朧気だ。
おかしい。そんなの、絶対おかしい。


「本当は昔・・・15年前までお前はこっちの闇の世界で生活してた。俺とお前はもっと前に会ってんだ」

「・・・」

「でも、ハルの居場所がblackkingdomに割れて・・・blackkingdomの奴らがお前に呪いをかけた。お前を人間にして、17の誕生日に悪夢で死ぬように。その頃、お前の誕生日が近かったからそうしたんだろ」

「そんな・・・」


泣きそうな声が唇からこぼれ落ちた。


「でもハルがその呪いに被せて守護呪文をかけた。記憶がねぇのは・・・二重も呪いがかかったせいだと思う。俺はハルに頼まれてお前の事を15年間見続けてきた・・・本当は、このことは言わないつもりだったんだけどな・・・」


そう言って顔をうつむける凌。
でも、それが本当だと信じたくなくて、亜月の心は揺らぎ有り得ない、と連呼し続けた。

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ
嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘

そんな嘘付かないで。


デ タ ラ メ を 言 わ な い で


亜月は下唇を強く噛むとテーブルの上にあった花瓶を掴んで凌に投げつけた。
パリンッと割れた破片が凌の頬を傷つけたが、知った事じゃない。
今あたしは、怒っている。
でも、何に?
答えは明白だ。


「ふざけないでよ!!」


止めてよ、そんなデタラメ言わないで。
今まで築いてきたあたしの中の自己が崩れていく。
悪魔?何それ。
そんなものの血が流れていると?
その血の御陰でこんな意味の分からない世界に引っ張りこまれたと?
何て皮肉な。何て理不尽な。


「意味分かんない事なんかもう沢山だよ!! あんたはッ・・・あんたはいっつもそうやって理解できない事ばっか!!」

「亜月・・・少し落ち着・・・」

「落ち着けるわけないでしょ?!」


そしてまた近くにあった皿を投げつけた。
凌は避けない。
また、パリンッと割れて今度は血が垂れる。


「もう、ヤダよ・・・意味分かんないよ、頭痛い。おかしいでしょそんなの・・・何で・・・」


ぐるぐると脳みそが回ってるみたいに吐き気がしてくる。
この先の言葉を言っちゃだめだと、腹の底の誰かが叫んだ。
でも、でもでもでも。
もう限界なんだよ。


「何であたしなのッ?!」


自己中心的で、我が儘な屁理屈を一つだけ残し、あたしは椅子を倒して走り出した。




+++




「凌」


切れた頬に絆創膏を貼りながら、ベーカーが哀しそうに眉を顰める。
それをちらりと見やってから、凌は視線を足下に落とした。
どだい無理な話だった。
俺に、アイツを守りきれる筈はなかったんだ。
責め立てる自己に流されながら、凌の首は項垂れて覇気のない目が床をうろうろする。


「大丈夫だよ凌。亜月ちゃんはちょっと混乱してるだけさ」

「・・・あぁ」

「ゆっくり時間を追って話せば理解してくれるよ」

「・・・そう、かもな・・・」


泣きそうな顔をするベーカー越しに、やたらと真剣な顔をしたオスカーを見た。
言いたい事が、沢山あるんだろうな・・・

ハルが死んだあと、亜月を施設に入れたのは他でもない凌だ。
傍に置いておくと言う選択肢も勿論あったが、月日が流れても姿カタチを変えない自分に、普通に成長を遂げる亜月が不審がるのは目に見えていた。
それに、きっとこっちの世界に連れ戻される日は必ず来る。
亜月はハーフ。そして、大罪を犯した男の娘なんだから・・・
せめてその時まで人間の世界で平凡に過ごして欲しかった。
だからこそ施設に入れた。

オスカーは、それを最後まで拒んだうちの一人だ。


「自覚はなくとも人と違う事は事実です。免れる事は出来ない事を隠して、はたして幸せと言えますか?」


正論だった。
確かに、それは言える事だった。
でもできるだけ幸せにあって欲しかったし、ハルの娘だけあってどんな状況下であろうと融通が利くと・・・勝手に決め付けていた。
だからこそ、ハルの形見を受け継ぐという重荷を背負う事もせず、亜月の為と言って逃げられた。
結局は、自分の為に亜月を人間側に押し付けたと同然なんだ。
しかしその結果、今のようになっている。
落ちる所まで落ちている。
亜月はきっともう、二度と闇の世界を受け入れはしないだろう。

今更、自己嫌悪に陥る。


「やっぱり・・・」


初めから傍に置いておけば。
自分が逃げなければ。


「間違ってたのかもな・・・」


亜月は自分の立場をしっかりと受け入れる事が出来ていたかもしれない。
こんなに不安な気持ちにさせる事もなかったかもしれない。

しかし今はもう、遅すぎて・・・


「・・・懲りずに間違いばっかやってんなぁ、俺も」


大きなおもちゃ箱の底にしまっておいたモノを捨てられた時のような損失感が、ぐるぐる目まぐるしく胸の中を往復していた。




+++




「ばっかみたい」


突然背後から軽蔑じみた声を聞いて振り返ると、よく似た顔をした二人の子供が立っていた。
確か、姉のジェスカと弟のチェスカ。
亜月はゆっくりとした動きで二人を見比べた。
視界は滲んでよく見えない。


「・・・ひどい顔」

「当然よ。何も信じられない奴が綺麗な顔していられるわけないもの」

「ジェスカ・・・言い過ぎだよ」

「いいのよチェスカ。だってコイツ、凌ちゃんに何したか見てたでしょう?」

「皿を投げてたね、花瓶も」

「そうよ。あの人を傷つけるなんてどうかしてる」


顔をしかめるジェスカは露骨な敵意を向けてきた。
「ジェスカ」とそんな姉をたしなめるチェスカの声も聞き入れようとはしない。
亜月はどうしようもなく、その存在すら消し去りたいと顔を背けた。


「何よ。こっち見なさいよ」

「・・・何しに来たの」

「・・・あんたが凌ちゃんにした事、謝ってもらいによ」


そう言ってジェスカは、苦い顔をした。
それを見上げても尚、亜月の顔色は変わらずそこにある。
放心状態。と言ったところか。顔が心なしか蒼白だ。


「見てたの」

「見てたわよ!! 凌ちゃんに花瓶投げるなんて最低だわ!!」

「・・・ジェスカ」

「チェスカは黙っててよ!!」


鼻息荒く肩を揺らすジェスカから、チェスカは視線を流すと俯いてしまった亜月を見下ろした。
項垂れている姿は、さっき見た凌の背中に酷似していた。

周りが全く見えていないみたい。


「謝りなさいよ」

「・・・」

「謝ってって言ってんのよ!!」


「ジェスカ」とチェスカの制止が再度はいるが、もう無視の域に達している。


「凌ちゃんは・・・ッ凌ちゃんはずっとあんたの事待ってたのに!! あんなにやつれてまでしてあんたの事待ってたのに!!」

「・・・何、意味分からない事・・・」

「意味分からなくない!! 理解しようとしてないだけじゃない!!」


頭に血の上ったジェスカが亜月に掴みかかると、不意に「お止めなさい」と言う制止が入った。
落ち着いた深みのある声はオスカーのもので、前方から歩み寄ってくる彼は亜月を掴み上げているジェスカの手を取る。


「オスカー兄さん・・・」

「落ち着きなさいジェスカ。ここは私に任せて・・・チェスカ、ジェスカを部屋に連れていってあげなさい」

「でも兄さんッ」

「行こうジェスカ。ボクも日差しが眩しいし、眠いんだ」

「・・・・・・分かったわよ」


手を繋いでテントの方へ歩いていく二人を見送って、すっかり座り込んだ亜月の隣にオスカーが腰を下ろした。
流石大規模なサーカスをまとめる団長と言うべきか、こんな時にでさえ優雅さを醸し出すのだから大した物だ。
亜月はぼんやりそんな事を思いながら、なかなかに落ち着いてきた自分を嘲笑った。
今更になって凌に投げつけた花瓶や皿について後悔してくる。


「少しだけ、昔話を聞いて貰えますか?」

「・・・・・・どうぞ」


亜月の返事に満足したのか、オスカーは淀みない声で「15年前・・・」と語り始めた。


「15年前、あなたをハルから預かった凌はひどく悩んでいました。凌はあなたがハーフだと言う事で、こちらの世界で生きていくに辛い事を知っていましたから。傍に置いて小さな頃から親の罪を背負わせて育てるか、人間の世界に一時的に預けて時が来たら引き取るか」


「何でそんな事悩むの」と唇を尖らせれば、「あなたが大事だからですよ」と大人の笑みが返ってきた。


「こちらの世界に留めておく事は簡単です。blackring社やblackkingdomに見付からなければいいだけの話です。軟禁でもしておけばそんな問題簡単に解決できる。しかし、凌がそうしなかった理由が分かりますか?危険をおかしてまでして、少しでもあなたを普通の人間と同じ様な日常を送れるようにと施設に入れた意味を」


半ばどうでもいい、と投げやりな気持ちで「さぁ」と言っても、オスカーは気分を損ねる事なく続けた。


「あなたがハルの形見であって、凌にとってあなたとハルはとても大事なものだからですよ」

「・・・・・・」

「正直に言いますと、私もそのハルと言う方をよく知っているわけじゃないんです。だから正確に凌の気持ちをくみ取れていないかもしれません・・・それでも、彼はあなたを待っていた。この15年間ずっと」

「・・・でも・・・」

「よく考えてください。あなたは何に怒っているんですか? 凌がずっと真実を黙っていたから? 違うでしょう。あなたは突然自分というものを知って戸惑っているんです。その躊躇をどこかに当てたいが為に凌へ向けた。恥ずかしい事ではありません。生きていればそうやって逃げ出したくなる時もあります」


「だけれど忘れないでください」と微笑むオスカーの顔がじわりと涙で滲んで歪んだ。


「凌はいつだってあなたを守る最善の道を選んでいる事を」


そう言えばいつだって山本は好き勝手させてくれた。
突然の事だったとはいえ、何故かあたしを不安にさせないような。そんな気構えでいてくれたから今まで住む世界が大幅に変わってもとくに気にする事もなかった。
もしかしたらあたしは、いつも盲目的に彼に支えられてはいなかったか?

花瓶を投げつけた時に、凌が無表情だったか覚えていない。
もしかしたら、泣きそうな顔をしていたかもしれない。

それを思うと申し訳なさに涙腺が緩んだ。


「オスカーさん・・・」

「何ですか?」

「あたし・・・どうすればいいんですか?」


尻すぼみになっていく声が、震えている。
花瓶を投げつけたという事実がとても恥ずかしく思えてきた。


「あたし・・・カッとして花瓶投げつけちゃって、ジェスカちゃんも言ってた。あたし理解しようとしてなかっただけなのに・・・全部山本の所為にしてた・・・」

「・・・仕方ない事です。時に不安は一人では抑えきれなくなる時があります」


「でも」と続けるオスカーが亜月の頭を優しく撫でた。


「あなたが不安な今、もう一人不安になっている人がいる事は確かですよ」

「・・・」

「その人の不安を拭ってあげられるのは、あなただけです亜月さん」


少しの間オスカーを見上げていると、小さく頷いて立ち上がった。
亜月を追うようにして腰を上げるオスカー。
「ありがとうございます」と小さく呟いて、テントの方へと踵を返した。
走り去っていく背中を穏やかに微笑んで見送るオスカーは落ち着き払った声でクスリと笑う。


「あなたは間違ってなんていませんでしたよ、凌」


風に乗って流されていく柔らかい声。
揺れる前髪を掻き上げると「亜月さんは・・・」と言葉を続けた。


「彼女はとてもいい子に育っています」


本当に、良かった。




+++




それから凌に亜月が泣いて謝った事は、また別のお話。