罪人の魂を狩るのは、それが憂いに満ちているからだ。
善人の魂を喰わぬは、それが歓びに満ちているからだ。




15 : 魂狩り




+死神の目的+


亜月はばっさとコートを羽織り、フードを深くかぶるとブーツに足を突っ込んだ。
凌はまるで死んだように眠りについて、もう二度と起きないんじゃないかと言うほど熟睡している。
牟白の姿もなければ、翔も自分の部屋に籠もりっきりだ。

チャンスは、今しかない。

サーカスのテントまで行って、全部、闇の事を全部知りたい。
自分の不安が消えるまで、凌が何で自分に何も教えてくれないのかが分かるまで。
迷惑だろうけど、オスカーやベーカーは気の良い人達だ、きっと話してくれるはず。

最初は、翔くんに聞こうかと思ったけど、翔くんは山本が大好きだから口止めされてるだろうし。
もしかしたらオスカーさんやベーカーさんもそうかもしれないけど、これは賭だ。


「俺の居ない夜は、この家を出るなよ」


山本家を出てから数メートル歩いてから、凌の言葉を思い出す。
でも、もう遅い。


「勝手に出て来たんだもん・・・引き返せないよ」


はためくフードを手で押さえて、振り返っていた道を再び歩き始めた。
しかし、それは突然起こった。


「おやぁ・・・これは随分と罪深い奴を見つけた」


背筋を逆撫でする声が、夜風に乗ってやってきた。
首の関節が急に硬くなったように、上手く動かない。

やっとの事で振り向いた先には、真っ黒のコートに身を包み、腰まで届く黒髪を靡かせた女が電柱の上に立っている。
その脇には、翔ほどの身長の子が大きなフードをかぶって宙に浮いている。
それらは、一目で闇の住人だと分かった。
凌や牟白とは違う、人間とは掛け離れた存在だと肌で感じる。


「口がきけないのかぃ? 可哀想に足が震えているよぉ」


「悪党って輩の魂が、肉体を残してすっぽり抜け堕ちるっつー事件が多発してんだ」

「どっかの誰かが人間狩りをやってるようだしな」


昼間の牟白の言葉。
黒いコートを靡かせる女を見上げて、その背中に背負っている鎌を見つけた瞬間、殺されると悟った。
それは悪夢に襲われた時やアンブレラ婦人やクラウディ男爵に狙われた時とは違う。
もっと明確で、はっきりとした恐怖。

殺される・・・

どうしよう、山本は寝てる。
翔くんもいない。ベーカーさんもオスカーさんも、誰もいない。

どうしよう。


「親に習わなかったのかぃ? 夜は一人で出歩くなって」


すらりと月明かりを浴びて不気味に光る鎌を見た。
女はそれを手に歪んだ笑みを見せる。


「さて、みじん切りとぶつ切り・・・どっちがいぃ?」


クククとこぼれ落ちる笑い声が妙に耳にこびり付く。
山本・・・


「死になよ・・・ハーフ!!」


助けて!!

怖くて目が離せない。
それと同じで足も動かない。
声も出ない。
そんな状態の亜月の目の前に、何かが女との間に割り込んだ。
それはまっすぐな銀色の刀身を二本輝かせて、見事な紅色の髪を靡かせていた。


「あ、れ・・・?・・・牟・・・白・・・」

「てめぇに呼び捨てにされる磐余はねぇぞ、女」

「・・・・・・さん」

「よし」


大きな黒い鎌をはじき返した牟白は、女に向かって刀の切っ先を向ける。


「てめぇが魂狩りの犯人か? それとも人間狩りか」

「人間狩りぃ? そんなもの興味ない・・・私が欲しいのは魂、それも罪人のだ」

「ハンターぶって罪人だけ狙ってるってか? かッ、めでてぇ野郎だな」

「ふん。何を言っているんだ貴様は」


女はクククと歪な笑みを見せて前髪を掻き上げた。
さらさら流れる黒髪に目が奪われる。


「本物の悪党は、善人なんかに興味はない。罪を犯すと言う事は、それ相応の覚悟を持っているからか、ただ愚鈍だからだ」

「・・・」

「斬るなら覚悟のある奴かバカと決めている」

「趣味を疑うぜ。だったら善人は何でもねぇって言いたいのかよ」

「違うな。善人とは危険を冒す事をしない、肝っ玉のない野郎共の事を言うと私は考えるんだよぉ」


ククと肩を揺らす。


「そんな奴らをいたぶっても楽しくもなんともない」


「それなら」とどこからか声がした。
そこにいた全員が驚いてその声の主を捜す。
すると、振り返ったその女の横っ腹を、闇に隠れて現れた凌が蹴り飛ばした。



「俺なんかどうだ?」



垂直に吹っ飛んだ女は空中で体制を整えると、ザザッと地面に足を付いて上手く着地した。
「誰だ?」と顔を顰めた女に凌はいつもの無表情で「人の名前知りたきゃまず名乗れ」と言い張る。


「生意気なガキめ・・・まぁいい。私の名はイガラだ」

「ふーん・・・聞いたことねぇ名前だな」

「貴様の名は」


ゆらりと立ち上がるイガラに、凌は首を掻きながら女に歩み寄っていく。


「山本凌だ」

「山本凌ぅ・・・?」


「どこかで聞いた名前だ」と首を傾げるイガラの黒髪がさらりと垂れた。
少しして何か思い出したような顔をすると「なるほどぉ」と笑んだ。


「・・・貴様ぁ、獏か。」


にやり、と凌の口元に笑みが灯った。
イガラの唇も歪につり上がる。


「いいねぇいいねぇいいねぇ!!! 獏!! 聞いた話じゃ貴様は獏家の生き残り!!」


「そして・・・」と声のトーンを落とすイガラ。


「大罪者リストSランクだ・・・!!」


山本が大罪者・・・?
亜月が目を見張る。
まただ。
こんな話聞いてない。

どうして?

どうして山本はあたしに何も言ってくれないの・・・?


「ベーラベラ一人でよく喋るな・・・」


夜の風も吹かない路上に、素足で、いつものルーズな格好で突っ立っている凌。
生憎、亜月や牟白からは表情は読み取れないが、彼の周りを漂う雰囲気が妙に痛い。

ピリピリと肌を刺すような痛みが駆け抜ける。


「俺は喧しい女は嫌いなんだよ。くだらねぇ話ならさっさと終わらせてくれませんかね? 死神さん」

「・・・面白いねぇ貴様ぁ・・・その首いただいたぁ!!」


まるでそれが合図のように、凌とイガラが消え、二人の距離の丁度半分で刃を跳ね返す音が聞こえた。
イガラの黒い鎌を、凌が蹴り飛ばす。
しかし、大きく振られたそれは一回転してもう一度凌の首を狙う。
しゃがんで鎌を避けた凌に、高いヒールのブーツが襲うがそれを逆手に掴み、バランスを崩させる。

ガードの薄い背中を蹴り飛ばすと、それと同時にイガラが鎌で凌の右肩から左脇腹にかけて斬りつけた。

両者が吹っ飛んでいく。


「山本!!」


駆け寄ろうとする亜月を牟白が止めた。


「危険だ。死ぬぜ」

「でも!!」

「誰のせいで凌が奴と戦ってると思ってんだ」

「っ・・・」

「黙って見てろ」


体制を立て直した凌が牟白に向かって「亜月を連れ出せ」と叫んだ。
牟白はそれに小さく目配せすると、亜月を肩に担ぐ。


「ちょ!! 待ってよ山本が!!」

「うっせーぞ!! 耳元で叫ぶな!!」

「山本ォ!!」

「あーうるせぇ!!」


怒鳴る牟白の背中を叩いて、バランスの崩れた内に牟白の手を離れた。
山本とイガラの居る所へ駆け戻ると、目で追えないほどのスピードで相手を傷つけ合っている。

怖い。

それはその闘いが、ではなく、凌に対してだった。


「山本・・・」


いつも無表情で何を考えているか分からない凌が、ひどく怖い。
全身から殺気がこぼれ落ちている。
こんな山本、見たくない。

恐怖。
そんな言葉だけじゃ物足りない。

「止めて」と制止を入れようとする亜月の腕を牟白が強く掴んだ。


「黙って見てろと言ったはずだぜ、女」

「でも・・・ッ!!」

「てめぇは足手まといなんだよ。さっさと俺と来い。この場所を離れる」

「山本は?! 山本はどーするの?! 放っておくの?!」

「野郎の言った頃だ。自分でどうにでもするだろ」

「そんな!!」


強引に引っ張る牟白に抵抗しながら、縋るように凌を見る。
だって死んじゃうかもしれない。
相手は、死神なんでしょう・・・?
「やめ・・・」と声が零れた。
震えてる。
歯もガチガチ音を上げているし、唇も震えて発音が悪い。

怖い。

逃げようか。
山本を残して?
でも怖いもの。
それって酷くない?

酷くない。

自分の命は自分で守れと言ったのは山本だ。

亜月は強く瞼を瞑ると、牟白に引っ張られるまま走り出した。
刹那。
風を切って何かがその場を去ろうとしていた牟白と亜月の間に吹っ飛んできた。
吃驚して思わず牟白の腕を振り払う。
よくよく見れば、それは凌だった。

コンクリートにめり込んで、瓦礫と一緒に地面にずり落ちる。

それを見て完全に足がすくんだ。
どうしよう。

逃げたい。
この場所から、こんな運命から逃げたい。
逃げ出してしまいたい。


「獏ってのも案外手応えないなぁ・・・貴様ぁ、それで終わりか?」


山本の返事はない。
地面にゆっくりと足を着いたイガラは、足音も立てずにこっちへ近付いてくる。
「逃げろ!!」と牟白の声が遠くで聞こえる。
神経と筋肉がまるで別の生き物のように、言うことを聞かない。

動けない。


「死んだか? 獏。それならそれで、私はこの娘の魂を頂くぞ」

「あぁ・・・ぅ・・・」


段々近付くにつれて、イガラの笑みがよく見えるようになる。
そして同時に、恐怖も増して気絶してしまいそうだ。

いっその事、気絶してしまいたい・・・

威圧に耐えられずに膝を折る亜月にイガラが鎌を振り上げる。
「ちッ」と舌打ちして牟白が刀を抜くが、その刀身が抜ききる前に動きがピタリと止まった。


「なッ、金縛り・・・?!」

「邪魔をするな」


ガタガタ震える亜月に微笑むイガラ。


「心配するな。痛みはない。それを感じる暇もなく殺してやる・・・あの獏も、貴様を追うようにすぐ殺してやるさ」


キヒヒヒとイガラの高笑いが響き、ビュッと空を裂く音がする。
口からこぼれ落ちる声は最早言葉にも悲鳴にもなっていない。
「あぁあああああああああああぁぁあ・・・」と恐怖に染まった顔でガクガクと顎が軋む。
力の入らない手足が激しく震えだした。

殺される殺される嫌だ殺される殺され
る殺される殺される
死にたくない殺される殺される殺されるヤダ殺さ
れる殺される止めて死ぬ死死死殺される死死死何もない無
殺される死ぬ嫌死殺される殺される殺さ
れる殺される死ぬ死死死死無何もない死殺される殺される殺
される嫌だ止め


ドスッ、と肉に突き刺さる刃の音を聞いた。