「また随分ひどくやられたものだな」
包帯だらけの男は深いため息をつく。




16 : 灰色の病院




+包帯の男+


ふと昔、交通事故に遭った時の事を思いだした。
あの時も傷の箇所を誰かに指摘されるまで、全身の痛みなんてこれっぽっちも感じなかった。
ただ、目の前にやけに青い空が広がっているなぁ、とか。
何で体が思うように動かないんだろう、とか。
そんな単純な事ばかり考えていて、後々振り返って考えてみて、痛みは時間が経たないと体が感じられないんだと気付いた。

体の感性が痛みというスケールの大きいものを受け入れるのに、時間が掛かるんだ。

だから、今だってその筈。
きっと体中から血が噴き出して、痛みを感じる前に出血多量で死ぬだろう。
良かった。
死ぬときに痛いのなんか御免だもん。

最期に何を見るんだろう。

興味本位で強く瞑っていた瞼を開くとそこには・・・


「やまも・・・と・・・?」


傷だらけの体で、その大きな鎌を背中から胸まで貫通させながらも、亜月の前に立ちはだかる凌の姿。

状況がよく分からない。


「え・・・? 何で?」

「バ・・・カヤロ・・・だから逃げろっつったろ・・・」

「なっ・・・何で山本が・・・ッ?!」

「良いから・・・走れッ早く!!」


ゴフッと血を吐いて噎せる山本。
その血が数滴亜月の頬に散った。

山本が、庇ってくれた・・・?

凌の傷口から血が滴るよりも早いスピードで、亜月の目から涙が零れる。
恐怖に見開かれた瞳から、溢れるように。


「やッ・・・なん・・・でッ意味わか・・・なッあああああああああああぁッ!!」

「逃げろっつってんのがわかんねぇのか!!」

「ひッぁ」


まるでその言葉に背中を押されたように亜月が立ち上がって走り出す。
よろけながら、力の入らない膝で。
それを見届けた凌がイガラを振り返る。


「残念だったな・・・まだ死んでねぇぜ」

「・・・」

「ッ」


自らイガラの鎌から体を抜き、膝を付く。
荒い息が白くなって風に攫われていく。
「往生際の悪い」と言って再び鎌を振り上げるイガラ。
それをただ見上げる凌に避ける体力はもう残っていない。
牟白が叫んでいる。

最期か・・・

まぁ、俺にしちゃまだマシな終幕か?

皮肉じみた笑みを自分に送る。
ハル・・・

脳裏にあの優しげな笑みを思い出しながら、そっと目を瞑る。




+++




走って走って、息を切らし、気管が軋むのを感じながら、見知ったテントを見つけた。
派手で、きらびやかなテント。
それを見ただけで泣きたくなって、チケットを持って並んでいる客をかきわけテントの中へ入った。
すると突然「ちょっと困りますよ!!」と誰かが亜月の腕を掴む。

その腕の主が目の前に来てようやく、それがベーカーだと分かった。


「ベーカーさん・・・」

「って、亜月ちゃん? あれ、どうしたの? 血ついてるよ」

「・・・ベーカーさん・・・」

「何かあったの?」

「どうしよう・・・」


泣き腫らした目から、再び涙が零れる。
それを見てベーカーがあからさまな動揺を見せた。


「えッ、ちょ。何で泣くの?! 待って待って、もしかして迷子になったとか? 凌に電話して迎えに来て貰う?」

「ちがう・・・ちがうの・・・そうじゃなくて・・・」

「そうじゃないって・・・とりあえず落ち着こう? 舞台裏の方に言ったら何か飲み物をあげるから。ここじゃお客さんもいるし・・・」

「山本が・・・山本が」

「凌がどうかしたの?」


心配そうに顔を覗いてくるベーカーの顔が凌のそれとだぶる。
泣きたくて、でも泣きたくなくて、顔がぐしゃりと歪んだ。


「山本が死んじゃうよぉ!!」


亜月の大声に吃驚した客が寄ってくる。
ベーカーは亜月のかぶっているフードの上に手を置いて顔を隠させた。


「なぁに? 迷子?」

「あぁいえ。お気になさらずマダム。ちょっとしたトラブルです」

「しかし今誰かが死ぬような事を言っておったろう」

「彼女のペットの話ですよ」


社交的な笑みを零すと、ベーカーは亜月の背中をさすりながら舞台裏へと誘った。
椅子に座らせ、グラスに水を入れて亜月に持たせる。
自分も椅子を引っ張ってくると、相対するように座った。
ふと亜月の手が震えている事に気付く。

一体何が・・・

しゃくりあげる亜月を見下ろした。


「亜月ちゃん? 何があったの?」

「あたし・・・あた・・・」

「落ち着いて。ゆっくりでいいから」


まばらだった呼吸も次第に落ち着き、水を二口三口飲んですっかり冷静を取り戻した亜月。
それを見計らってもう一度質問を投げ掛けようとベーカーが口を開くと、丁度そこへ真剣な眼差しのオスカーが入ってきた。
「ベーカー」と呼ぶ声にもいつもより深みがある。


「ごめん、ちょっと今亜月ちゃんの話を・・・」

「重要な事です」

「・・・どうしたのオスカー」

「・・・たった今、電話が来ました」

「どこから?」


その真剣な面持ちから、良い知らせでは無いことがよく分かる。


「凌が瀕死の状態で病院に運び込まれました。ポイズンの所です。彼が執刀すると聞いたのでよもや死んでしまう事はないと思いますが・・・」

「?!」


ベーカーがガタンッと立ち上がった弾みに椅子が倒れる。
その音に敏感に肩を揺らす亜月の顔に、再び動揺の色が灯った。


「どうして・・・」

「詳しくは亜月さんに聞くのが一番のようですが、私たちは今からサーカスがあります」

「でもッ、そんなの中止して俺たちも今すぐ病院に・・・!!」

「お客様が居るんですよベーカー」


「私たちは商売人です。私情で勝手に動くわけにはいきません」とはっきり言い切るオスカー。
ベーカーは不満たらたらの顔で、「はい」と小さく返事する。
それを確認すると、オスカーが亜月を見下ろした。


「ベーカーに病院まで送らせますが、それからは貴方が一人でどうにかなさい。どうやら凌がこんな事になったのも悪意が無かったにしろ貴方の所為のようですし・・・どうあれ凌を傷つけた貴方に同情するつもりはありません」

「・・・・・・・・・はい」

「よろしい。ではベーカー、5分です。5分で戻ってきなさい」


コクン、と頷くベーカーが亜月の手を取るとドアノブに手を掛けた。




+++




「ここが病院だよ」


ベーカーがそう言って見上げるそこは、病院と言うより収容所の方が当て嵌まっている風貌の建物だった。
壁は全て灰色で、地下を通ってきたから正確な位置は分からないが、人里離れたどこかである事は確かだ。
見渡す限り家はないし、これという灯りもない。

亜月は恐る恐るベーカーの肩越しに病院と呼ばれたその建物を見上げた。
黒い十字が大きく描かれている。


「この病院の持ち主はポイズン博士って言うんだけど、ドSだから気をつけてね」


調子を取り戻したのか、ベーカーの語尾にハートが付く。


「入ったら病院内を彷徨かずにカウンターに言って凌の部屋を聞くんだよ。あんまり探検なんてしてると見ちゃいけないものまで見ちゃうから」


見ちゃいけないものってなんだ。
そう突っ込んでやりたいが、生憎そんな暇はない。
ベーカーはさっさと説明を終えると、また地下へと続く階段を駆け下りていった。
そう言えば5分で戻れって言われてたんだっけ。

亜月はこの場にきて妙に自分が冷静な事に気付いた。

ふっきれてるのかな。
自分は無傷で助かったってだけで、安心してるのかも。
最低・・・あたしって。

亜月は暫くその灰色の建物を見上げてから、ゆっくりとした足取りで院内へ入っていった。
中はそこまで病院らしくないわけではなかった。
医療器具もあるし、壁は相変わらず灰色だが、病院特有の薬の匂いもする。
何故かその匂いに和みながらも、足を進めカウンターへと向かった。


「あの・・・」


声を掛けると、パタパタと言う音がして小さな窓から一人の少年が顔を出した。
牟白のような鮮やかな赤い短髪の、眼帯をしたひ弱そうな少年だ。


「なんでしょう?」

「山本、凌の部屋を知りたいんですけど・・・」

「あぁ、凌さんのお知り合いですか? ちょっと待って下さい。今案内します」


ギィ、と脇の扉が開いて少年が出て来た。
白装束に身を包んだ少年は、黒い前掛けを掛けて腰によく幽霊が額に付ける三角布をぶら下げていた。
腕や足からは大小それぞれの絆創膏が覗き、歩く度に彼の短髪が揺れる。


「それにしても、始めて会いますね・・・夢喰い屋の新人さんですか?」

「え? あ、一応雑用係です・・・山本曰く」

「そうなんですか、オレもここの仕事を手伝わせて貰ってるんです。名前を聞いても良いですか」

「和親亜月です」

「オレは疲夜。呼び捨てで良いですよ、みんなそうですから」


にっこり笑って疲夜は更に廊下を進む。


「山本、大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。執刀医はポイズン博士ですし・・・って言うより他に居ないんですけどね。それに、あの人ならどんなに見込みがない患者も死なせる事はありませんよ」


「博士の腕は世界一です」と自身たっぷりに言う疲夜を見て、ほっとする。
逃げてきといて、何ほっとしてんだか・・・
自分で自分に呆れる。
どんな顔して山本に会おう。
怒られるかな、すぐ逃げなかった事・・・

そんな事をぐるぐる考えているウチに、疲夜がある病室の前で止まって「ここです」と入るよう促した。
一応ノックをしてから入ると、ベットより先に白衣を着た一人の男が目に飛び込んできた。

頭のてっぺんから指先まで包帯が巻かれ、頭に妙な矯正器具が乗っている。
灰色のザンバラリンとした髪がピンピン跳ねていて、その包帯の隙間から覗いている唯一の左目が亜月を捕らえた。
金色に輝く綺麗な瞳だ。


「おや、誰かな」

「あ・・・」

「和親亜月さんって言うそうですよ。凌さんのお店の雑用係の・・・お見舞いに来て下さったようで」

「ほぅ」


深みのある声で関心したような声を出すその男。
しかし顔の90%以上が包帯に覆われているため、どんな表情をしているかは定かじゃない。
男は亜月に向き直ると、白衣のポケットに左手を突っ込んだままカルテを右手に軽く会釈する。


「この院の最高責任者、ポイズンだ」

「初めまして・・・」

「いやはや、まさか君が来るとは思っていなかった」

「え?」


首を傾げる亜月に、ひやりとした冷たい視線が突き刺さる。


「凌を瀕死の状態に追い込んだのは君だろう」


ドキっとして背筋が伸びる。
嫌な汗が背中を伝っていった。


「牟白に聞いた話だが・・・まぁ良い。凌の選んだ事にとやかく口出しする権限は私にはないのだから、何も言わないでおこう」


琥珀色の瞳がやけに冷たく、ポイズンの言葉が一つ一つ辛辣に胸を突き刺していく。


「凌なら寝ているよ。出来れば起こさないでおいてくれ、寝不足が祟っている。栄養失調もしているし、何より精神的ストレスの溜まりすぎで心身障害を起こす一歩手前だ」

「・・・・・・はい」

「言ってくれれば院に泊まっていっても構わない。部屋は余るほどある」

「・・・・・・ありがとうございます」

「では私はこれで」


「行くぞ疲夜」と言って部屋を出て行くポイズンを振り返る事も出来ず、ピシャリと閉まった扉の音を聞いてから部屋の奥へと歩を進めた。
カーテンの閉まっている隙間からベットを覗けば、点滴を打った状態で、いつもより体を取り巻く包帯の多い凌がぐっすり眠っていた。
それにほっとしてカーテンを閉めると、その際にふわっと揺れたカーテンの下に何か見た。
何だろうと覗いてみると、凌のベットに顔を突っ伏して眠る翔の姿だった。

そっか、翔くんも心配してあたしより先に来てたんだ。

亜月は近くにあった毛布を翔に掛けて自分もパイプ椅子に腰を下ろした。
おそろしく静かな病室には、時を刻む時計のおとすらなく、ちかちかと視界の端でデジタル時計の点滅が見える。
しばらくそうして、ギシ・・・と椅子を軋ませて立ち上がる。

亜月は泊まる事を報告すべく、凌の病室を後にした。




+++



ゆっくり浮上していく意識。
まだ眠くて重たい瞼を無理矢理押し上げると、目の前に包帯だらけの男を見た。


「ポイズン・・・?」


掠れた声。
凌のそれに気付いたのか、カルテに何かを書き込んでいたポイズンが顔を上げた。
包帯で隠された顔の中で唯一確認できる左目が、安心したかのように柔らかい色を灯す。


「起きたか、凌」

「・・・・・・ここ病院・・・?」

「あぁ」


ジャッと勢いよくカーテンを開けられ、窓から差し込む光に顔を歪めた。
しかもやけに寒い事に気付いて窓の外を見ると、ちらほらと雪が舞っている事に気付く。
「雪?」と呟くとベッドの近くのパイプ椅子に腰を下ろしたポイズンが「そうだ」と頷いた。


「君が寝ている間に12月になったのだよ」

「・・・え、俺何日寝てたの」

「ぴったり6日間だ」

「・・・・・・うっわー寝過ぎた」


はぁ、とため息をつく凌に、ポイズンは目を細める。


「全身打撲、左腕の複雑骨折、肋骨及び臓腑破損、出血多量、背骨破損のために神経系の負傷。これだけ体にダメージを受けながら生きている方が驚きだがね」

「そりゃポイズンの腕がいいんだろ。どーも毎回毎回お世話になってます〜」

「治す側の気持ちも味わって貰いたいものだ」


肩を竦めるポイズン。


「まぁ、今回ばかりは安静にしておくことだな。死神が相手じゃ分が悪い。曲がりなりにも神なのだから」

「はいはい」

「薬はそこに置いてある。その状態じゃ一人では飲めないだろう・・・疲夜を定期的に来させようか?」

「いや、良い」

「そうか・・・あぁ、それとまた君は夢を食べていないだろう」


確信をつく眼光に、凌が視線をあからさまに逸らす。
それに大きなため息をついて、カルテで軽く凌の頭を叩いた。


「また栄養失調で倒れるぞ」

「もう慣れた」

「慣れるな」

「いや〜睡眠不足と栄養失調は俺のお友達だから」

「要らん友達を作るんじゃない」


目を細めれば、「スイマセン」と棒読みの謝罪が凌から返ってきた。


「君の体は元々他とは違う創りになっているんだ。夢以外の食べ物で君の栄養バランスが崩れないとは言い難い。その点を考慮すると、君が夢を食べないと言い張ろうが、医者側の意見としてはちゃんと口にしてもらいたいのだが・・・食べないと言うのなら私が直々に漏斗で流し込んでやるぞ。それともちゃんと夢を食べるか?」

「・・・・・・」

「まだ夢を食べると頭痛がするのか」


返事はせずに、瞳を伏せる凌を見据え、ポイズンが眉を顰める。
とは言ったものの、包帯に覆われたその表情が確かに歪んでいると言う確証はないが。
凌は静かに舞い落ちる雪を見て、まったくの無表情で話し始めた。


「夢を喰うと・・・これは悪夢に限るけど、ひどく苦しい叫び声が聞こえてくる」

「・・・」

「喰った夢が、胃袋に収まるまで・・・その痛みを嘆いてんのか・・・詳しく知らねぇけど、叫ぶんだ」


「怖ぇんだよ・・・」と掠れて消えてしまいそうな声で呟く凌。

それは餌に飢えた獣の慟哭のように。
ガラス砕け散るあの残響のように。
木霊しては俺の脳みそを狂わせようと鳴り響くあの“声”。

ぐしゃ、と前髪を掴んで、顔を隠す彼に、ポイズンは何も言わずに視線を向けた。
ひどく、病んでいるな・・・
カルテを持つ手に力が入る。


「・・・なんと言おうと、君の体は衰弱しきっている。食事を取らない分睡眠を貪ろうと、その衰弱は変わらない」

「・・・」

「最近はずっと眠りっぱなしだと聞いたが・・・やめておけ。適度な睡眠と、適度な食事を取りなさい」

「けど人間の喰いもんってマズイし・・・」

「我が儘を言うな。なんならウチの院の死人用給食を持ってこようか?」

「いや、やめてくれ」


青ざめた顔で首をふる凌に、ポイズンがフフフ、と笑みを零した。


「疲夜も私が生き返らせた死人のうちの一人だが、普通に美味しいと食べているがね」

「俺まだ死んでねぇし。死んでも潔く棺桶に寝てるから生き返らせねぇでくれよ、マジで」


「考えておこう」と言い放ち、ギシとパイプ椅子を軋らせてポイズンが立ち上がると、白い白衣がふわりと揺れた。
それに視線を投げ掛けると「そう言えば」と言ってドア付近まで足を運んでいたポイズンが振り返る。


「色々と見舞い人がやってきて居たんだが、君がいつまで経っても起きないから追い払っておいた。あのハーフの子供も来ているぞ」

「亜月が? そういやアイツ、無事なのかよ」

「あぁ、君のおかげでかすり傷一つない」


「ここ6日間はずっと院に泊まっているよ」と言い残し、ポイズンが部屋を出て行った。
凌は窓の外を見ようと上半身を起こそうとしたが、あまりの激痛に顔を歪め、再びベッドに倒れ込む。
いってー・・・
額に脂汗が滲んだ。


「ざまぁねぇな・・・」


嘲笑うように笑みを零し、落ちてくる瞼を素直に閉じた。