「取引だ」
イガラは鎌を手ににやりと笑い、赤い月をバックに黒髪を揺らした。
17 : 取引
+企み+
「オイてめーら・・・見舞いに来てんのか。それとも俺の病状を悪化させに来てんのか」
そんなに広くはない病室には今、凌を含めて五人いる。
亜月、翔、ベーカー、そしてオスカーだ。
最初は亜月がやって来て、看病をすると言い始め。
その次に翔が来て凌の膝の上ではしゃぎ回り。
見舞い品を持って尋ねてきたベーカーとオスカーは、その後だ。
それだけならいい。
「しーのーぐーッほら、あ〜ん」
「あの、まじ止めて・・・キモい。ベーカー、お前キモいって」
「え〜ひどッ俺看病してあげてるだけじゃん」
「看病じゃねぇよイヤガラセだよ。リンゴくらい自分で喰えるっつの。つかまず要らねぇし」
睡眠を取りたいと言うのにベーカーは看病と言う名のイヤガラセを繰り広げ、要らないと言う凌の頬にリンゴを押し付けてくる。
つかリンゴ貫いてつまようじの方が頬突いてるから。いてぇよ地味に。
「こら、ベーカー止めなさい」
「え〜オスカーまで〜」
「リンゴより栄養のあるモノを食べさせてあげた方が良いでしょう?」
「あ、そっか」
突っ込むとこ違うよ。絶対違うよオスカー。
「凌、いつになったら退院できるの?」
「知るかよ。つーかもうお前らうざいよ、出てけ。今すぐ出てけ。5秒で立ち去れ。じゃないと喰う」
ガルルルル・・・と顔をしかめる凌を見て、亜月が冷や汗を垂らす。
あの死神と会った夜から凌の対応は全く変わらない。
いつもどおり気怠げで、しかしいつもどおりのそれに少なからず亜月は救われていた。
ベーカーを押さえるオスカーや翔を小突く凌でドタバタしているそんな所に、ガラリと扉が開く音が響いた。
亜月が振り返れば、そこに見知らぬ着物の女の人が立っていた。
綺麗な黒髪を左だけ掻き上げて後ろで止めている彼女は、気を緩めれば見とれてしまうほどの美しさだ。
「あの、部屋間違いじゃ・・・」
「あれ、杉村店長・・・?」
凌に頬をつねられながらもそう言葉にした翔を振り返る。
知り合い?
亜月が怪訝そうな顔をするのと、ベーカーの顔が青ざめるのはほぼ同時だった。
「ッぎゃ―!! 何でいるの?! オスカー助けて!! 解剖される!!」
「解剖?!」
本来ならいくら焦っていても出てくるはずがない単語に驚いて杉村と言うその女性を振り返る。
すると煩いと言わんばかりに耳を両手で塞いでいて、ベーカーがガタガタ震えながらも口を閉ざしたのを確認してからその整った唇を開いた。
「相変わらずね。ホント解剖してその甘ったるすぎる声の元を断ってやりたいわ」
「ヒィッ!!」
「オイオイ店長。好い加減その解剖するって口癖止めろよ」
「あら、凌」
目を細めてやんわり笑う杉村が凌のベッドの脇まで歩いてくる。
亜月が場所を空けると、「ありがとう」と零し腕を組む。
「お久しぶり。お元気?って、元気だったらここにはいないわね」
「俺が元気な日って一日でもあったっけか」
「なかったわね〜君がうちの店でバイトしてた頃もしょっちゅう栄養失調で倒れてたし」
うふふ、と不適な笑みを零す杉村に、凌が渋い顔を返す。
「正直、3日に1度倒れられた時には殺してやりたいくらい迷惑だったわ」と言うと、オスカーの後ろに隠れていたベーカーが「殺すって・・・」と更に震え出す。
「自立してからはうちの店に顔出してくれないし、店長寂しいわ」
「自分で自分を店長って言うの止めた方がいいぜ。このド変人」
「仮にも数百年前までは君の上司よ。もっと敬いなさい」
「俺は病人なんだ。むしろ俺を労ってくれ」
一歩も譲らない二人の間を行き来する火花を幻覚じゃないかと思いつつ傍観し、部屋の隅でベーカーを宥めているオスカーの団服を引っ張った。
「はい?」と振り返った彼の隣に立って凌と言い合う杉村を見る。
「あの人、誰なんですか?」
「あぁ、彼女ですか?」
オスカーと亜月は身長差がありすぎるため、オスカーが気を使って腰を折ってくれた。
「杉村店長と言いまして、凌が夢喰い屋を始める前バイトをしていたお店の店長ですよ、呼び名通り」
「なんで店長って呼ぶんですか?下の名前呼べばいいのに」
「彼女の名前、誰も知らないんですよ」
苦笑を零すオスカーに、亜月が目を見張る。
ベーカーは「知らなくていいよ」とこっそり囁いてきた。
「彼女は不思議な所ばかりで・・・長年彼女の下で働いていた凌さえも本名を知らないんですよ」
「え・・・」
「あぁ、でも分かっている事と言えば彼女はポイズンの妹と言う事ですかね」
「へぇ・・・・・・って、はぁぁぁ?!」
一瞬流してしまいそうになっていた言葉を飲み込んでオスカーを見つめれば、オスカーもまた「信じがたいでしょう?」と苦笑していた。
ポイズンって・・・この病院の・・・?
有り得ないでしょ。と顔を歪めると、不意に凌がオスカーを呼んだ。
「オスカー。俺んちマジナイかけ直すから暫くの間入れなくなるぜ」
「えぇ、分かりました。と言うより、うちのテントにもかけて頂きたいのですが」
「構わないけど、君たちのテントは大きいからそれなりの金額になるよ」
「分かってますよ。毎回毎回blackring社の相手をベーカーにさせておく訳にもいきませんし」
そう言えば、最近blackring社に見付かったとか言ってたっけ。
ここ最近色々あったから忘れてた。
亜月が凌のベッドに近付き、「マジナイって?」と聞くと、凌はいつもの眠そうな目で見上げてくる。
「闇に住む奴らってのはいつ殺されても不思議じゃねぇからな。それぞれ住む家にマジナイかけて外界との干渉を断つんだよ」
「へぇ〜」
「でもこの前blackring社と死神の野郎に見付かっちまったし、新しくかけ直すわけ。分かりましたか」
「はい、あたしが原因だって事は痛いほど分かってます」
項垂れる亜月に視線を流し、杉村が小さくため息をついた。
「その死神なんだけど・・・」と目を細める。
「イガラ、と確かに名乗ったのよね?」
「あぁ、ガキ連れてたぜ、翔くらいの」
と、凌が翔の頭を軽く叩く。
すると杉村は少し悩むように首を傾げ、「そう」と言ってベッドに背を向け歩き出した。
「帰るのですか」とオスカーが問えば、「いいえ」と微笑む。
「兄さんに会って話さなきゃならない事があるの。その後君たちの家にマジナイをかけてあげるわ」
「お願いします」
「いいのよ」とひらひら手を振る彼女が扉から半分消えかかったころ、漸く緊張の糸を解いたベーカーがオスカーの影から出て来た。
大きく息を吸って吐く。
そんなに苦手なのか・・・
亜月は珍しいものを見た、とばかりに苦笑した。
にしても・・・
「本当にポイズン博士の妹さんなんだね」
「おそろしい兄妹だよ、本当・・・」
身震いするベーカー。
すると不意にうふふふ・・・と不適な笑い声が聞こえ、扉の方に視線を向ければ少しだけ開いたその向こうから覗き込むように杉村が笑みを零しているのを見つけた。
彼女の後ろに黒いオーラが見えるようで、背筋がゾクリ、となる。
「聞いたわよベーカー。兄さんに言ってやろ〜」
「えぇ?! まッ 待って!! 止めて!!」
「兄さ〜ん!! ベーカーがね〜!!」
あははは!!と高笑いをしながら廊下を駆けていく杉村を血相を変えて追いかけるベーカーの嘆きが聞こえる。
「違うんだよポイズーン!!」廊下をドタバタ走り抜けていった。
「騒がしいったりゃありゃしねぇ・・・好い加減寝かせてくれ」
ため息つく凌にオスカーが苦笑を零した。
+++
夜になって辺りが暗くなり。
見回りにきた疲夜も去り、呪いをかけたと報告しにきた杉村も去り。
最終的に部屋に残ったのは凌と翔だけ。
亜月は明日が休み明けの学校だと言って夢喰い屋に帰った。
ようやく静かになって寝れるかと思いきや、突然静かになると逆に眠れないものだ。
簡易ベッドで眠る翔の寝息だけ聞こえる。
「満月か・・・」
でけぇなぁ・・・とぼんやり見上げていると、その月明かりの下。
ひらりとはためく黒いコートを見つけた。
思わず目を見開いてしまう。
あれは・・・まさか・・・
嫌な直感はどうやら当たっていたらしく、ふわりと窓の外に浮かんでいるそいつは鍵の部分に手を掲げる。
内側にある筈の鍵がパチンッと音を立てて開いた。
からりと開け放たれた窓から優雅に入ってきたのは・・・
「イガラ・・・」
黒髪を靡かせる、イガラと付き添うガキだった。
「一週間ぶりだ。獏」
「・・・何しに来やがった? 忘れモンですか」
「なぁに、取引しに来ただけだ」
予想外の回答に、凌が顔を顰める。
イガラはその様子が楽しいと言わんばかりに唇が弧を描く。
それに比例するように凌の不機嫌さが増していった。
「取引?」
「そうだ。一週間前、貴様を殺さなかったのもその為だ」
「・・・やっぱりな。まさか殺しで死神がしくじるとは思えねぇから、俺自身生きてるのが変だと思ったんだ」
「賢いじゃないか」
クス、と笑みを零すイガラが、背後に控えていたガキの頭を撫でる。
「私は達成しなければならない事がある。それを貴様に手伝ってもらいたい」
「俺が“はいそうですか”って死神の手伝いをするとでも思ってんのか? 脳みそ洗って出直して来い」
「人質を取っていると言っても?」
ピクリと凌の眉がつり上がった。
イガラの笑みが濃くなっていく。
「和親亜月。悪魔と人間のハーフ・・・貴様とのつながりも、貴様の事を知るついでに調べておいたのさ」
「・・・・・・」
「あの女は無防備だな。新しくマジナイをかけたからといって安心しているようだ」
「・・・亜月に何かしたのか」
「してない。今は」
「だから取引なんだろう?」と呆れた顔をするイガラが、コツコツと部屋を歩き、パイプ椅子を引っ張り出して座った。
その一連の動作を睨み付けていた凌の紅色の瞳に殺意が籠もる。
「あの女、殺されたくなければ私と共に闇を討て」
「闇を?」
「そうだ」
フン、と鼻を鳴らすイガラから笑みが消えた。
「気に食わないんだ、あのblackkingdomが。罪人を全て独占して私たち一介の死神にはおこぼれしか回ってこない」
「それでいいじゃねぇか。殺しなんて沢山だ」
「私は殺したくて溜まらないんだ」
「腐ってるな」
「お互い様だろう?」
「ふざけんなよ」と言う言葉に、イガラが「貴様がな」と嘲笑った。
「私はかつて、あのblackkingdomにいた」
「・・・」
「今の最高裁判官であるダンプ・ダック・ダーツと言う男・・・奴も私と同じように下っ端だったがそこにいたよ」
「あぁそう」と興味なさげに呟く凌が視線を逸らすと、ベッドの淵で何も言わずに佇んでいる子供を見る。
深くフードをかぶったままのその子供からは何か不気味なものを感じた。
「昔の奴は今のようにバカじゃなかったんだけどね。あの男が死んでしまってから変わった」
「あの男・・・?」
「かつてblackkingdom最強と謳われた剣士のことさぁ。崇拝するかのようにひどく慕っていたよ」
そこで一回口を閉じる。
小さな沈黙に凌が顔を上げ、イガラの整った顔を見据えた。
その顔はひどく複雑で憂いを帯びたもので、思わず眉を顰める。
コイツも訳ありか。
「貴様も闇の住人・・・知っているだろう。かつて私らの世界を揺るがした戦争“ネーログェッラ”の存在を」
「・・・あぁ」
「あの戦争において、blackkingdomは多大な被害を受けた。その頃だ。ダーツが狂い落ちたのは」
「・・・」
「いつしか奴はblackkingdomの長となりその権力を乱用していった。そしてネーログェッラと同様にこの世に名を馳せる最大のリコール運動“ディーサイド”で数々の命が落ちていく中、奴は・・・」
憎しみに灯った声がする。
どこかで聞いたその声色は、昔の自分のそれと重なった。
何もかもを憎んでやまなかった、あの頃の自分に。
凌はイガラの言葉に耳を傾けるばかりで、遮ろうとはしなかった。
敵と分かっていても、どれほど危険な女だと分かっていても、その瞳の色に懐かしさを感じたからだ。
イガラはその憎しみの灯った瞳で、怒りに震えた声ではっきり言いはなった。
「ダーツは、私の父たる男を見殺しにした」
驚いて目を見開くと、「何だ、自分とかぶったか?」と嘲笑いを零すイガラ。
「そうかもな」と微かに苦笑するほか無かった。
「だから私はblackkingdomを、ダーツを潰す。私の父たる男・・・ジギへの餞のために」
吸い込まれそうなほどの信念の強さ。
それに静かに目を閉じて、凌は思った。
なるほど・・・
ここにも、怨嗟の念を抱えた奴がいたのか。
不意にふわりと開け放たれたままの窓から冷たい空気が流れ込んできた。
するとそれに身震いした翔が、「さむ・・・」と目を醒ます。
寝ぼけた目で辺りを見渡し、イガラとそのガキの存在に気付くと、驚いて凌に駆け寄る。
「誰・・・?」
「黙ってろ翔」
冷たい一言に、動揺を隠しきれない翔が凌を見上げる。
「・・・それで、どうしろってんだ」
「簡単な事だ。blackkingdomさえ潰せばあの女の命は奪ったりしない、約束しよう」
「保証がねぇ」
「ならこれをやる」
ぽい、と粗末に投げられたそれは小さな小瓶で、中には血が入っている。
「私の血だ」と言うイガラを見ると、にやり微笑んで椅子から立ち上がった。
「貴様らの方にも居るだろう呪いをかけられる奴が。ソイツにそれを渡せばいつだって私を呪い殺せる。私が約束を破って女を殺そうとしたら、その前に私を呪い殺すがいい」
「・・・・・・」
「どうする?これは正当な取引だ。それにblackkingdomが潰れて私がその頂点に君臨すれば、あのハーフの女がblackring社に追われぬように配慮する事も可能だぞ」
イガラがそこまで言った所で、頭のいい翔が全てを理解する。
凌は、亜月の命を天秤にかけた取引をしてるんだ。
でも、blackkingdomに喧嘩を売るのは容易な事じゃない。
裁判所といえど、幹部は選りすぐりの腕を持つ6人の席官がいて、その上に最高裁判官が君臨している。
半端な覚悟で向かえば、確実に死ぬ。
リスクが高すぎるよ。と翔が目で訴えかけても、凌は気にも止めず。
「いいぜ」
しっかりとした意思の籠もった瞳でイガラを見据え、そう言いはなった。
「ただし、てめーがblackkingdomの頂点に就いたら、本当に亜月を追い回さないんだな?」
「あぁ、約束しよう」
「それなら、いい」と視線を逸らし、疲れたように凌が息を着く。
「では」と歪な笑みを零して窓辺に向かうイガラに、視線を送ると、不意に銀色の何かが彼女の頬を掠った。
それはストン!!と空気を斬って壁に突き刺さり、始めてメスだと言う事に気付かされる。
イガラが振り返るといつの間に居たのか、扉に寄りかかるようにポイズンが立っていた。
「そこで何をしている?」
凄みのある声も諸戸もせず、イガラはいつもの笑みを零して「別に」と言い切った。
包帯で見えはしないが、ポイズンの回りの空気が数段と冷たくなるのを肌で感じる。
「ここは私の病院だ。勝手なマネは困る」
「それはすまなかった」
「普段ならさっさと出て行けと言いたい所だが・・・」
もう一度メスを投げると、それを避けイガラが窓枠に乗り上げた。
ふわりと揺れる黒いコート。
唯一見えるポイズンの金の左目に殺気が見え隠れしている。
「ゆっくりしていきたまえ。腐った残飯でおもてなしをしよう、この腐烏め」
「遠慮しておく」
最後に小さく笑みを零し、イガラはコートを翻し窓から飛び降りた。
それに続くように小さな子供も飛び降りる。
殺気をしまいこんだポイズンが、窓とカーテンを閉め凌のベッドに近付いた。
「怪我は?」
「・・・ない」
「そうか」
「まったく、害虫の絶えないな」とため息をつくポイズンが、安静に休めと言いはなって部屋を出て行った。
翔もまた自分のベッドに戻ろうすると、不意に凌に呼び止められる。
「お前は頭が良いから大体の話の内容は分かっただろ。誰にも言うなよ」
「でも・・・」
「いいな」
「・・・うん」
翔の小さな返事を確認し、凌は頭まで布団をかぶった。
空には雲一つなく、綺麗な満月がどっぷりと闇に浸かって浮いている。