俺の右目は全てを映す。
歓びも、憎悪も、哀しみも、快楽も。
それはこの干からびた目玉から、涙を流させるほど鮮明に。
19 : 右目
+アンブレラの危機+
「俺の力が必要だと?」
眉間にしわを寄せる牟白を見据え、凌は「おぅ」と頷いた。
「バカ言うな。俺の力なんざblackkingdomに比べたら無に等しいもんだ」
「そんなのは俺だって同じだ」
「だったら・・・」
そんな無謀な事、と顔をしかめる。
神子と言えど、牟白が特別戦闘に長けているわけじゃない。
凌なんて病弱なのだから尚更だ。
しかし、「けどな」と視線を落として言う凌の瞳は、ひどく・・・そうまるで弱者の命を喰らう猛獣のような鋭さを帯びていた。
しかしどこか危なげで、不安定な色。
有無を言わせぬ眼光がセピア色の髪の下から覗く。
「俺だって、闘いたいわけじゃねぇんだよ」
「・・・」
分かってるよ、と言おうとして止めた。
お前がいつも、何かから逃げようとして身を隠すように生きてる事を俺は知ってる。
何かに怯え、震えるお前を知ってる。
誰よりも諍いを嫌って、孤独と愛を追い求める背中を今まで何度も見てきた。
だから俺やあのサーカス野郎どもはお前をこんなに慕っているんだ。
お前の中の孤独を知っているから。
お前がどんな奴なのかをちゃんと理解しているから。
ふぅとため息をついてうっすら開いた障子の向こうに見える、ちらちら降る雪をサングラス越しに見た。
そういや、コイツに始めて会った日も雪が降ってたな・・・
話す度に口から白い息が上がってたのを覚えてる。
まぁ、今はそんな事どーでもいいんだけど。
亜月と翔のじゃれあいを横目で詰まらなそうに見る凌。
なんでこうなるかな。
俺は凌の監視以外に闇の世界に浸かるようなマネはあまりしてない。
多分、きっと・・・おそらく。そのはずだ。
なのになんでコイツの為に命張らなきゃなんねぇんだ。オイ。
大きくため息をついたら、「幸せ逃げますよ唐辛子サン」と棒読みで凌に突っ込まれ。
うるせぇよと返すのが精一杯だった。
正直、面倒事に首を突っ込むのは趣味じゃない。
凌の監視とは言っても、俺はコイツが暴走しないように傍にいるだけで何かやっている訳でもない。
けど。
俺には凌を裏切らない理由がある・・・。
「・・・」
「オイ、どーすんだ」
「・・・・・・わぁったよ。お前の好きなようにすればいい。blackkingdomにでも神にでも喧嘩を売ればいい・・・俺も一緒に殴り込みにいってやる」
それでお前の気が済むなら何度だっていってやるさ。
それで、少しはその瞳に危険なほど哀しい色を灯さなくなるのなら。
「んで? どうする気なんだ? このままじゃ返り討ち確定だろ」
「あーそれなんだけど」
「今回お前を引っ張り出す理由は、どっちかってぇとこっちの意味でなんだわ」と自分の瞑られた右目を軽く叩く凌。
何か企んでいる笑みを微かに浮かべて机に肘をつき、サングラス越しに目を眇めている牟白を見やった。
「右目、使おうと思ってる」
苦笑する凌に、牟白が目を剥いた。
隣に座っていた亜月も驚いている。
「は・・・? おま、右目を・・・使う・・・?」
「そ。本当は嫌なんだけど、まぁ背に腹は代えられねぇだろ」
「ばッ バカじゃねぇのか?!」
ガタン、と机を揺らして立ち上がった牟白に、「ほーら怒った」と凌が視線を逸らす。
まるで子供だ。
「当たり前だろうが!! てめぇ、その右目を使ったらどんな事になんのか分かってんだろ?!」
「分かってますー。これでも俺の右目だしー」
「だったら余計・・・ッ」
「でも使わなきゃなんねぇだろーが」
落ち着いた声色で、どこか諦めたような・・・そんな顔をする凌に言葉が詰まった。
確かに右目を使う危険性は、凌が一番分かっているはずだ。
無言のまま凌を見下ろしていると、亜月が痺れを切らせて問いかけた。
「その右目、そんなに使っちゃダメなの?」
「・・・使っちゃダメって言うか・・・危険なんだよ」
「何で?」
興味津々な目に、凌が眉を顰めるとおもむろに話し始めた。
「この右目はもともと夢を見極めるためにある。それは元来からの獏の当主の特徴で変えられねぇもんなんだけど・・・時々暴走するから厄介な事極まりねぇ代物なんだよ」
「ふぅん・・・・・・で、いっつも右目だけ瞑ってんだ」
「瞑ってるって言っても、透けて大方のものを識別出来るけどな」
「べ、便利ですね・・・いっそ恐いくらいに」
「はんぱねぇくらい視力いいから。こっちだけ」
「病気じゃなかったんだ」と呟く亜月を小突き凌はまた牟白に視線を送った。
そこには険しい顔をした牟白が居て少しの間それを見据えた後、凌は立ち上がって襖を開いた。
「つーわけで、よろしく」
襖の向こうに消えた凌を慌てて追う亜月と翔。
それを牟白が追う事はなかった。
+++
「あら」
黒い扉を開いてすぐ、部屋の真ん中にある豪華なソファに行儀悪く座りテーブルに足を上げているその男を見てアンブレラが小さく声を上げた。
見事な金髪と左頬で十字に交わる傷跡に覚えがあった。
そう、ガット・ビターだ。
あくまで静かに歩を進めると、ガットの視線を気にしながら向かいのソファに腰を下ろした。
くるくると指先で鍵を回す彼は、アンブレラがソファに座ったのを確認すると歪な笑みを唇に灯す。
「どうなさったのですの? blackkingdomの幹部の方がいらっしゃるなんて珍しいですわね。事前に仰ってくだされば紅茶でも用意いたしましたのに」
「うっせぇ。つまんねー話は後回しだ」
ガットは回していた鍵を握ると、銃へと姿を変えその銃口をアンブレラの眉間へと向けた。
それに軽く顔を歪ませ、アンブレラは姿勢を正す。
「何ですの? 突然」
「ゔぁか野郎。分かってんだろ」
「・・・」
「てめぇが今まで隠蔽してきた獏の所在・・・吐いてもらおうか」
うすら笑みを浮かべてトリガーに指をかける。
それに軽く視線を向けるがアンブレラはいたって真顔のまま静かに答えた。
「隠蔽していた・・・? どなたがそんなおかしな表現をなさったのかしら?」
「誰だっていいだろ。さっさと答えろ」
「お答えするもなにもありませんわ。私どももずっとその獏の所在を追っているのですもの」
「オイ!! 猿芝居も好い加減にしろ!!」
パァン!!とアンブレラの頬を掠めて銃弾はソファを打ち抜いた。
はらり、と数本の黒髪が散っていく。
「吐かねぇって言うんならてめぇの心臓を穴だらけにしてやるぜ」
銃口は眉間を逸れてアンブレラの胸元へと向けられる。
真っ直ぐ進めば、彼女の左胸に命中するだろうそれは意図的に狙われていた。
「さっさと答えろ」と言うガットの声がしんと静まった部屋に溶けて消え行く・・・・・・。
+++
次の日、これといった変化はなく亜月は目を覚まし、学校の身支度をしていた。
朝ご飯を3人分作り翔に食べさせいつまでも寝ている凌を起こす。
それから学校に行って当たり前の毎日を送って、帰ってくる。
はずだった。
その時、亜月はまた保健室に逃避した凌の空いた席の隣で数学の授業を受けていた。
今までの自分だったなら黒板の板書や問題を解くことに忙しくて色々と考えていられなかったはずだが、最近の出来事を考えると随分とゆっくりした時間に思えてきて眠くなる。
いつだったか凌が「こんなゆるくて眠くならないとか、人間ってある意味すげぇ」と言っていたのを思い出した。
なるほどこういうことか。
確かにせっぱ詰まった世界に生きていたら眠くなる時間だ。
そんなこんなで半分まどろみの中にいた亜月は、その音に人一倍驚いた。
窓ガラスを割って入ってきた黒い塊、おそらくガラスで切れたのだろう、床にちょっと血が飛んだ。
悲鳴が上がって騒がしくなる教室に、これでもかという大声が響く。
「うるせぇぞクズ共が!!」
大音声と共に鳴り響く銃声。
割れた窓から入ってきた黒のYシャツに黒のズボン、ブーツと言う黒づくめの金髪男。
生徒たちが更にパニックになり収集のつかない事態へと変わっていた。
亜月も友達とともに教室の端で震えていると、飛び込んできたその黒い物体がいつか見たアンブレラ婦人だと言う事に気付く。
どうしてあの人が・・・?
「アンブレラ!! 好い加減無意味な抵抗はやめてさっさと吐け!!」
ぐりぐりと彼女の腹を踏みつける男に、血塗れのアンブレラは静かな視線を送った。
これだけ傷を負わされながらも澄ました顔でいられると言うのも、いささか神経がいかれているんじゃないかと思う。
「んだぁ? まだ逃げる気か」
「・・・」
「てめぇがそこまで体を張って守るほどの奴なのか、その獏はよぉ。それとも義理ってやつか? 昔救ってもらった」
「・・・彼は、罪人などではありませんわ」
眉を吊り上げる男を見上げるアンブレラの顔は真顔のまま。
「何だよあの頭いっちゃってる奴ら・・・」と呟く優生と巫人に一瞬視線を投げ掛け、再び男に目を向けた。
イガラと言っている事が違う・・・と亜月が眉を顰める。
「彼がしたことは正当防衛ですのよ」
「それが何だってぇんだ? まさか情けをかけろとか言い出す気か?」
「数百年、彼を追ってきて知ってしまいましたの。彼のあまりに悲惨な人生を。彼はただ愛に乏しかっただけ。それを求めるあまりあんな・・・」
「黙れ」
パァン!!と快気な音を立てて、銃弾がアンブレラに向かって放たれた。
血が飛び散ると同時にアンブレラが気を失い、床を赤く染める。
「ひっ」と亜月が肩を揺らしたその時。
「今度は何なんだよ」
パニック状態の教室に入り込んできた呑気な声。
それに皆が一斉に視線を向けると、ドアに寄りかかるように凌が立っていた。
「凌!! あぶねぇぞ!!」と優生が叫ぶが、完全に無視されてしまう。
金髪の男の視線が細められる。
「あぁん? 何だてめぇ・・・人間、じゃぁないようだ」
男の発した言葉に、生徒たちがざわつく。
しかし凌はいつもの如く呑気な声で「さぁ、何だろーねー」と零すだけ。
面倒臭そうに首筋をかいた。
「ふざけた野郎だな」
眉間に深くしわを寄せる男の足下に転がっているアンブレラに視線を落としてもなお、凌は無表情のままだ。
それが気に食わなかったのか、男は銃口を凌に向ける。
「何だっていい、どっちにしろ下界にいる時点で犯罪者だ」
「・・・」
「俺の任務外だが・・・犯罪者なら、殺してもソルヴァンも文句言わねぇだろ」
ガチャリ、と拳銃が重々しい音を立てた。
「死んどけ」
「やだ」
ふっと凌が消えた次の瞬間、男の隣に姿を現しその拳銃をたたき落とした。
しかし、男は身を翻しそれをよけたせいで実際にたたき落とされる事はなく、ひらりと机の上に着地する。
凶悪な笑みを浮かべた男が容赦なく凌に向かって発砲した。
凌はそれに向かって右手を掲げる。
その次の瞬間、空間が硬くなったように銃弾の動きが鈍くなり、ついには空中で止まる。
それを確認してから凌が右手を下ろすと、その動きに合わせて銃弾がコロコロと床に落ちて転がった。
硝煙たなびく拳銃をくるくる回し、金髪を掻き上げた男。
「その異常な速さと空間の操り方・・・てめぇ・・・獏だな?」
「そう言うお前はおおかたblackkingdomの部下かなんかだろ」
吊り目のコバルトブルーの瞳が凌を捕らえる。
それに微かな笑みを浮かべるだけで返事を終えた凌は、男に向かって手を掲げた。
「もし俺が獏だったら・・・どうする?」
挑発的な言葉に、男はやはり凶悪な笑みを浮かべて言った。
「即刻、死刑だ!!」
勢い良く机を蹴って足を踏み出す男は今までしまっていたもう一つの鍵をホルダーから抜き取った。
それはさっきまでの黒い鍵とは違う白い鍵で、くるりと回すとモデルは同じ拳銃へと姿を変える。
二丁の拳銃から発砲される銃弾は凌によって軌道を逸らされ天井や床にめり込む。
一発撃つたびに教室には悲鳴が上がり、亜月や優生、巫人も例外なく床にしゃがみこんだ。
「オイ獏。てめぇのことは聞いてるぜ」
「・・・・・・」
「てめぇらは人様の夢を喰って生きてる蛆虫。故に嫌われ孤立した種族だってな」
「だから?」
男の懐に入り込んだ凌が、自分より数センチ大きい男の顎を蹴り上げた。
が、蹴りと共に体を後ろに反らせた男にダメージはなく、バクテンをうって床に着地する。
ジャリ、とガラスの破片を踏む音がした。
「オイオイ、そんなちんけな反応はねぇだろ。てめぇが犯した罪はその孤立した蛆虫どもを一掃するものだったんだからよ」
「・・・」
「言い返す言葉もねぇのか? 一族殺しさんよぉ」
亜月は思わず「え?」と言葉を漏らした。
当たり前だ。矢継ぎ早に思い出される会話の中には、凌を大罪者と言うものもいれば、罪人でないと言ったり、一族殺しだと言うものがいるからだ。
「・・・・・・案外、blackkingdomの情報網もバカにはできねぇな」
しかしそんな事も気にせず呟く凌。
「何だ。否定はしねぇのか?」
「しねぇよ」
体制を整えて首を鳴らす凌は、特に気にしている様子もなく淡々と事実を口にした。
「確かに俺が獏の一族を滅ぼした」
静かな紅色の瞳が男を睨む。
だからどうした。
そう言いたげな表情に身震いする亜月。
「てめぇらが俺を追うのは俺が犯罪者だからか? それとも、てめぇらがアイツの元部下だったからか」
金髪の男は静かに凌を見つめていた。
口を挟むことなく、ただ静かに。
「アイツはどうだった? てめぇらの前ではいい人面してたのかよ。いい上司になりきって、てめぇらの株を集めてたんだろ?」
「あぁ? 誰の事言ってやがる」
「そのくらい分かるだろ」
珍しく凌が声を荒げた。
表情、空気、声・・・総てから凌の憎しみと怒りを感じる。
「前任brackkingdom最高裁判官・・・杜若」
思いっきり凌の顔が歪み、男を・・・いや、男ではないもっと別なそこにいない誰かをにらみつけた。
「俺の、親父のことだ」