ハル・・・亜月の父親。


本名を、ハルヴェラ。




22 : 今は、もう昔の事 01




+過去+


俺は獏家12代目当主として生まれた。


元来、獏家の本家には灰色の髪と色白な肌そして異形な色を灯した右目を持った、異形な赤子が生まれる事があった。
そしてその赤子は決まって獏家当主の地位を受け継ぐ掟だった。

勿論、俺も例外じゃない。
灰色の髪、色白の肌、異形な色の右目。
それを持って生まれたばっかりに、俺は次期当主として厳しく育てられた。

ただ、俺を次期当主にすることをよく思わない親族たちもいた。
当たり前だ。


俺は本家は本家でも、正妻との間に生まれた子じゃなかったから。


俺は現当主と内妻との間で生まれた、異形の子。
本来なら、正妻との間で生まれるべきはずが、何があってそうなったのか当時は分からなかった。
ただ、誇り高い親族たちは次期当主が内妻から生まれた事をひどく嫌がり、俺を正妻の子にしようとした。

そうして、俺の母親は殺された。

本家に招かれて、顔も知らなかった女を母と呼んだ。
今となっては、本当の母親の顔なんて思い出せない。
それくらい、前の話なんだから。




+++




父の名前は、杜若と言っていた。
その時の俺は、無色と書いて“ぶしき”と呼ばれていた。
本当の母親が付けた名前だ。


「無色」


威厳のある深い声で呼び掛けられ、振り返る。
するとそこに杜若が数人の男を仕えて立っていた。
自分よりずっと大きく、ひどく冷たい目をしている。


「・・・なんですか・・・」


まだ見た目が人間で言う7歳ほどだった俺は、もうその男に警戒心を抱いていて。
歩み寄ってくる杜若から一歩身を引いた。


「雛菊が、呼んでいたぞ」


雛菊は、確か母の名前。
勿論、本当の母ではないけれど。


「母様が・・・?」

「人を待たせるんじゃない。さっさと行きなさい」

「・・・はい」


どうせ、また俺で遊ぶ気だろう?
分かってる。
分かってるんだ。

この屋敷に、俺を愛する人なんて居ない事。

母、雛菊の部屋の襖を開くと、綺麗で柔らかい笑みを浮かべた女が一人座っていた。
彼女こそが、雛菊その人だ。
「無色」とその唇で俺の名前を呼ぶ。
何の戸惑いもなく、何の躊躇いもなく。

だから、苛ただしい。

頭にくる。
吐き気がする。
その名前は母が付けてくれたもの。
俺の母はアンタじゃない。

アンタは、俺の母親なんかじゃないだろう。




+++




バキッ

激しい痛みを体に受けて、もんどり打って後ろに倒れた。
俺をはり倒したのは、他でもない、“父”の杜若だ。

毎日こうやって稽古と称して俺を玩ぶ。
こうして痛めつけ、傷つけ、最後に手を差し伸べもしない。

俺は目の前に立ちはだかる杜若を睨み上げた。

元々、俺はこの人に可愛がられた覚えがない。
触れられる事だって、この稽古の時以外に許して貰った事がない。
幼い頃に、撫でられる事も抱き上げられる事もなかった。
そういう男だ、この杜若と言う男は。

まさに、鬼。

強く気高くと親族は言うが、どこが気高いと言うんだ。
こんな奴、生き物としての価値もない。
母を殺してまで自分と正妻の息子にしたと言うのに、一度だって・・・一度だって・・・


褒められた事なんてなかった。


「うわぁぁぁああああ!!!」

「雄叫びを上げたところで、変わらんぞ」


ひらり、と身を翻し、今度は容赦なく背中に一撃を食らった。

痛い。
全身が痛くて、悔しくて、涙が出そうになる。


「く・・・ッ、ぅッ」

「泣くな。男が女々しいぞ」


うるさい、うるさい、うるさい、うるさい・・・!!
俺の気持ちなんて何も知らないくせに!!
俺の事を何も理解できてないくせに!!

杜若をひどく睨み付けると、涼しげな顔をしてこう言った。


「憎ければ、全て喰らいつくしてみせろ」


「その勇気があるのなら」と。
だから俺は全て食い尽くしたんだ。
胃袋がいっぱいいっぱいで吐き気がするくらい。
全部、全部自分の胃袋に納めてやったんだ。

それは、まるで夢を喰う時みたいだった。

コイツが憎い、喰い殺したい。
そう思ったら、右目がひどく痛んで次の瞬間には、睨み付けていた杜若も、母の雛菊も、使用人も親族も。
みんな砂のように風化するように崩れていって、俺はそれを滑らかに飲み込んだ。

今現在、全身に巻かれた包帯の下には火傷がある。
それはこの時ついた火傷だ。
家臣も親族も、男も女も関係ない。
喰い殺す事だけを考えていた俺の視界は血の赤と炎の赤でいっぱいだった。

髪が、灰色から赤に染まるのが分かった。
いつか杜若が言っていた、獏の当主は喰ったものに反応してその髪の色を変えるのだと。
だから、俺は思ったんだ。


あぁ、きっと、この色はみんなの血の色だ・・・って。




+++




それから俺は数年間、ひとりでその屋敷にいた。
もう誰もいない屋敷は、所々燃えかすになって、柱が折れたり、血がこびりついていたりしたけど、構わなかった。
ただそこに死んだように横になって、動く事も億劫だった。

そんな風に過ごしていたら、今まで誰一人尋ねてこなかったその門を叩いた者がいた。


それが、ハルだった。


「おぉい、死にかけた坊主がいるってのはこの屋敷かい?」


勝手に屋敷に入り込んできたハルは、最初、俺にとってただの餌だった。
敵だった。愛をくれなかった父や母と同列の、最低な大人だと決め付けていた。
だから初めてこの目でハルを見た時、喰い殺してやろうとした。

そしたらハルは・・・


「おっと、待ってくれ。怖がらせちまったかな? 落ち着け落ち着け。オッチャンはこわくねーよ」


そう言って持ってたもの全部庭に放り出して、上着を脱いだ。
「な?」と笑いかけるハルの顔を見て、俺の知ってる“大人”の類じゃないって事を知った。

ハルは俺にすごくよくしてくれた。
勿論、慣れるまで時間はかかった。
話すのにも1年は必要だったし、触れるのは3年を有した。
それでも、ハルは決まった時間になると獏家の廃れた門を跨いでやってきて、俺に色々な事を教えてくれた。

外の事。人の事。自然の事。学問の事。
今ある知識の8割はハルから教わったと言っても過言じゃない。
それくらい、ハルは熱心になって俺に色々教えてくれた。

だから俺もこの人なら、と心を開いた。
ハルは本当にいい人だ。
絶対裏切らない。
そう分かったから。


「そういや小僧、名前そろそろ聞いてもいいかい?」

「・・・ハルに言ってなかったっけ」

「おぅ。もう会って5年経つが自己紹介もしてもらった事ねーよ」


「お前ガード固いんだもん」と唇を尖らせるハルに、ちらりと視線を送ってから、手に持ってた枝で地面に無色と書いた。


「むしょく?」

「・・・ぶしき」

「へぇ!! 無色って書いてぶしきって読むのか!! 洒落た名前だなぁオイ!!」

「・・・・・・あんまり、この名前で呼ばれたくない」


本音を言うと、ハルは怪訝そうに「何で?」と聞いてきた。
「母親に貰った名前だろう?」と。
だから嫌なんだ。
もうその名をつけた母はいないと言うのに。
母はロクにこの名を呼べずに他界してしまったのに、他人が・・・その事実を知らない者が軽々しく口にしてほしくない。

ここ何年も素直な言葉を言った事がなかったから、つっかえつっかえでそう伝えると、ハルは「そうか」とだけ言って俺の頭を撫でた。


「んじゃぁ、俺が新しく名前つけてやろう」

「・・・・・・・・・・・・は?」

「その名前は汚されたくねーんだろう? だったら俺が他のをつけてやる。呼びづれぇしな」


豪快にケラケラ笑うハルは、そーだなーなんて首を傾げてる。
俺はそんなハルがまるで父親のように見えて、なんだか心が痛くなった。

俺の本当の父は、俺の胃袋の中だ・・・

「そうだ」とハルが手を叩いた。
俯いてた俺がゆっくり顔を上げると、ハルはその大きな手で俺の顔を挟んでにんまり笑う。


「凌。お前の名前は凌だ」

「しの・・・ぐ・・・?」

「そう。“耐え凌ぐ”の凌だ」


「邪魔」と言って気恥ずかしさからハルの手をどけると、ハルは代わりにその手を腰に当ててふんぞりかえる。


「どんなに辛い事も、どんなに哀しい事も、他人の分も自分の分も全部ひっくるめて耐え凌げる奴になれ!!」

「・・・・・・他人のも?」

「おうよ。でもだからって無理するな。そういう気構えでいろって言ってんだぞ、俺は」


俺の目線に会わせてしゃがみこんだハルが、俺の頭を撫でる。
一族の血の色に染まった、真っ赤なその髪を。


「強くならなくていい。優しくなれ凌。何かを勝ち取るための戦はするな。何かを護り通す為の戦をしろ」

「・・・・・・」

「お前は、そういう子に育て」




+++




「娘の亜月だ」


ハルが屋敷に出入りするようになってから、もう90年は過ぎていた。
俺もその頃はおおよそ人間で10歳ほどにはなっていて、同じ年頃のその娘に、拒絶を見せる事はなかった。

ハルの娘だと言うし、ハルにはもう随分恩を受けていた。
話にも何度か聞いていたから、驚く事もなかった。
勿論、ハーフだと言う事も罵ろうとも思わない。

それはきっと、ハルの娘だから、じゃなく。
俺自身、罵られ軽蔑される痛みを知っていたからだ。
だから屋敷にハルと亜月が共に住む事も拒まなかった。

そう、共に住んでいたんだ。


あの頃も、今と同じように・・・