何でこうなってしまったのか・・・分からない。




23 : 今は、もう昔の事 02




+過去+


俺とハルと亜月の三人で暮らした時間は、長いようで短かった。
時間で表せば90年と、人間からしたら長いかもしれないけれど、俺たちからしたらたったの90年で。

離れて暮らすようになったのには、訳があった。

もともと闇の法律には“下界に居る人間外生物は全て犯罪者と見なす”という項目がある。
しかしこれには例外として、“公認一族”と呼ばれる一族はこの法律に含まれない。
公認一族とは、その名の通りblackkingdomに公認されて下界に居る事を許された、極僅かな一族の事を指す。
日本の本家獏の一族しかり、フランスの夢魔の一族のブランチ家しかり。
ドイツでは天使の貴族アデナウアー家。
イタリアでは同じく天使の名門ビター家が上がる。

俺は公認一族だけど、一族を喰い殺したその刑は死以外になかった。
もしblackkingdomに入れられたら、数日と待たずに首が飛ぶ。
ハルも同じだった。

ハルはもともと公認一族ではなく、普通の悪魔。
それなのに魔界を飛び出し人間と恋に落ち、blackkingdomから逃げるように亜月と暮らしている。
長い間、一緒にいられるはずがなかった。


「いいか凌。今から俺の知り合いの所にお前を預けるからな」

「ハルと亜月はどうすんだよ」

「俺たちの事は気にすんな。なんとかなるさ」


ケラケラ笑って、ハルは言う。
だから俺は素直にハルの元から離れて杉村店長の営む“月喰み”と言う情報屋の下働きに入った。

その頃にはもう、俺は人間で言う14歳になっていた。




+++




俺がハルと亜月に再会したのは、それから90年後だった。
その頃にはもう独り立ちして、夢喰い屋を開いてた。

突然だった。

突然ハルが亜月を連れて飛び込んできて、「コイツを頼む」と言ってどこかに出ていった。
血だらけのスーツ姿のまま、亜月をおいて。
慌てて俺はハルを追いかけた。


「ハル!!」

「来るな凌!! お前も隠れていろ!!」


何を言っているのか分からない。
そんな体でどこへ行こうと言うんだ。
止めようとしてハルを追いかけつづけた。
ハルはそんな俺を何度も止めようとした、「戻れ」と何度も言ってた。
でもその肩から、腕から、足から・・・流れ出るハルの血を見ているといてもたってもいられなかった。

それ以上走るなハル!!
出血しすぎてぶっ倒れるぞ!!

ハルは止まらなかった。
でも、その理由がようやく分かった。


「ミつけた。悪党」


声とともに、ハルの体が傾いた。
よく目を懲らしたら大きな鎌を持った男が一人、立っていた。

全身黒一色の男。
その後ろには十数人の部下と思しき黒の集団がいて、一目でそれがblackkingdomだと分かる。
俺は倒れたハルに駆け寄って、その肩をゆすった。


「ハル!! ハル!!」


ハルは息も絶え絶えで、今にも死んでしまいそうで。
涙が出そうになるのを必死になって堪えた。
もう何百年も表情と言うものを忘れていたのに。
笑う事も、怒る事も、泣く事も・・・表情と言うそれを忘れていたのに。

顔が泣き顔を作りそうになる。


「ハル!! しっかりしろハル!!」


嫌だ、死なないで。
俺を信じてくれた人。
俺を愛してくれた人。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ・・・死んじゃやだ。

俺をまた一人にしないでくれ!!


「ハル!!」


ポタ、と涙が零れると同時に、後ろから駆けてくる音と「お父さん!!」と呼ぶ声が聞こえた。
動かなかったハルの手がぴくり、と反応する。
うっすら開いた目が亜月を捕らえた。


「お父さん!!」


涙でぐしゃぐしゃな顔の亜月がハルの傍にしゃがみ込む。
ハルは掠れた声で「逃げろ」と言った。
本当はそうすべきだった。
すぐにでも逃げるべきだった。

でもその時の俺も亜月もハルの事しか頭になくて、まるで二人で赤子のようにハルの名前ばかり呼んでいた。
そうしていたら、不意に、ハルの手を掴んでいた亜月の手がみるみるうちに小さくなっていくのに気付いた。
姿もどんどん若返っていく。
泣き濡れていた顔も、幼さを帯び、俺は目を見張った。

何が起こっている・・・?

分からずただ傍観していたら、ふと傍に立っていた黒ずくめの男がにやりと笑って言う。


「貴様の娘、今年で510だとか・・・ならば若返らせて人間にし、17の誕生日のその日に貴様の悪夢を見て死ぬのはどうだ?」


腹の底が煮えたぎるような感覚がした。
でも俺にはこんな呪いを止められない。
止め方を知らない。

悔しくて飛びかかってやりたかったけど、ハルの傍も離れられなかった。
離れたくなかった。
だからただ、男が高笑いを残して姿を消すまで、何もできずにただハルの肩を掴んでいた。


俺はその頃からもうただの弱虫だったんだ。


「ハル、ハル・・・死んじゃいやだ・・・ハル」


子供みたいだと自分でも分かってる。
でも、こんな気休めでも言葉にしないと潰れてしまうほど、恐かった。
一人にしないで、俺を置いていかないで。


「ハル・・・」

「凌、泣くなよ、男なんだから、な」

「ハル」

「亜月のこ、と、頼んだぞ、お前らは、兄妹、みてぇなもんだから、な」

「ハル、ハル、ハル・・・」

「ようやく、ぐっすり、ねむ、れる・・・なぁ」

「ハル!! やだ!! 嫌だ!! ハル!!」


弱気なハルなんて見たくない!!
アンタはいつも豪快で強気だったじゃないか!!
いつも後ろ向きな俺の背中を叩いてくれたじゃないか!!

ねぇ、ハル!!


「心配すん、な・・・お前な、ら、できるよ」

「出来ねぇよ!! 俺には無理だ!! ハルが居なきゃ・・・ハルが居なきゃ出来ねぇよ・・・!!」

「大丈、夫・・・できる・・・だって、お前、は俺の、息子、だか、ら、な・・・そうだろ? しの・・・」


最後まで、俺の名前が喚ばれる事はなかった。
途切れた言葉を残し、ハルは深い眠りについた。


「・・・聞こえねーよ・・・ハル・・・」


ぎゅ、とその逞しい胸に顔を埋めた。


「・・・最後まで、言ってくれよ・・・ハル、ハル・・・ハルヴェラ・・・」


どんなに縋っても、心臓の音は聞こえなかった。




「・・・親父・・・」




+++




「・・・・・・あとは知ってる通りだ。本来、0歳まで遡るはずだった亜月は、ハルの守護呪文で2歳で踏みとどまった。でもハルは・・・助からなかった」


昔の話をしている間中、下を向いて、顔を包帯の巻かれた手で覆い隠していた凌は、ようやく顔を上げた。
その顔は、ひどく疲れ切っていて、それでいて深すぎるほどの哀しい色を帯びていた。


「勿論、ポイズンに頼んで生き返らせる事も出来た。けど、ハルがそれを望まなかった。静かに・・・棺桶で眠りたい・・・そう、言ってた」

「・・・凌」


そ、とオスカーが凌の肩に触れる。
微かに震えている事に気付いた。


「・・・もう、いいだろ」


ふらりとソファから立ち上がった凌がそのまま覚束ない足取りで隣の部屋に消えた。
それを見送って、亜月は俯く事しか出来なかった。




+++




「ハル・・・」


あまり使わない敷き布団の上で、包帯だらけの手を掲げてみた。
色白の肌に包帯はひどく痛々しく見えて、グルグル巻きになってるそれを少しずつ解いていく。
すると露わになるのは、あの日負った重度の火傷。
ポイズンが、いつだったか全てもとあった肌に戻す事が出来る、と言っていたけれど、断った。

これは自分への戒め。
自分が罪を犯した事を忘れないためのもの。

凌は嘲笑うかのように鼻を鳴らして再び包帯を巻き始めた。
ハルにも見せた事がなかったこの火傷の痕。
多分きっとこの先も誰にも見せる事はないんだろう。

巻き終えた腕を見て何度か手を握ったり開いたりを繰り返すと、掌を額に当てて横になった。
ひんやりした手。
ハルのはもっと暖かかった。
ハルを太陽に例えたら、亜月はそのまま月だろう。
じゃぁ俺は?
俺自身は何になる?

目を瞑って考えてみた。
暗闇の中で、静かに。
ただじっと、動かず。

あぁ、そうか。

なんとなく分かった気がする。
ハルが太陽、亜月が月。
だったら俺はヒトデだろう。

海の底で星のマネをする、歪で愚かなヒトデだろう。