「黙って君を行かせる訳にはいかない」
ポイズンは静かに言い放つ。




24 :高い壁




+ドクターストップ+


凌は本当に強いと思う。
亜月は前を歩く凌を見上げながら、何だか申し訳ない気持ち半分でそう思った。
記憶がないから、どこか他人事のように思えてしまう自分の過去。
父の死に際。
それを知っている、そして亜月自身の記憶がない事も承知で、凌は普段どおりに振る舞っている。
いつものあのひょうひょうとした様子で。

まるで昨日の事なんてなかったように。

だから一瞬間違えば昨日のは悪い夢だったんじゃないかな、って思ってしまうくらい、何も変わっていない。
牟白も、翔も、サーカス兄妹も、何も変わってない。
何も変わらないまま、今皆で病院へ向かっている。

アンブレラに話を聞くためだ。

侵入路や逃げ道、その他もろもろの事は杉村に聞くより確実性がある。
そういう凌の考えからだった。


「そういえば、杉村店長はどうしたんです?」


ふと思い出したようにオスカーが尋ねる。
確かに杉村の姿が見あたらなかった。


「さぁ? 先に病院行ってんじゃねーの?」


「店長にとっちゃ家みてーなもんだろ」と呟く凌の言葉に、妙に納得できた。




+++




「ごめんなさいってば!! 兄さん!!」


病院につくなりバタバタと杉村が凌の背中に隠れ、目の前にいるポイズンに叫ぶ。


「それは聞き飽きた。君はいつも私との約束を破るからな」

「ち、違うのよ今回はッ仕方がなかったのよ!!」

「何が仕方がなかったんだね? 言ってみたまえ。どうせロクな理由ではあるまい」


その手にメスを構えるポイズンに、杉村が「えへへ・・・」と笑ってみせたが、効果はなく、容赦なくメスの嵐が降ってきた。
勿論凌たちも例外ではないわけで、慌ててしゃがんで避ける。


「オイこらポイズン!! 俺らまで殺す気か!!」

「構わないだろう。blackkingdomに乗り込む愚か者諸君。今死ぬか後で死ぬかの違いだ」

「これはこれは・・・キツイ事を言いますね・・・」


苦笑を零すオスカーの後ろから杉村の襟首をひっつかんで引っ張り出すポイズンが、いつも以上に冷めた目で彼らを見た。


「医者である私が君たちを死にに行かせるような事を承諾するとでも思ったのか?」

「そんなん思ってねーよ。つーかもともと許可なんかいらねーだろ」


首筋をかいて立ち上がる凌に、ポイズンが「ほぉ?」と声を零す。
杉村を掴んでいた手を放すと、ポケットに手を突っ込んで包帯を3巻き取り出した。
それをぽんぽんと何度か玩んで巻き加減を緩くすると、いまだ面倒臭そうな顔をしている凌にむかって投げつける。

「何だ?」と声が出たかと思った次の瞬間には、両手にからみつき凌の体を引っ張り上げ、床から離れた片方の足に絡み付いて天上につるされていた。
ほどよい長さで悠然とはさみで包帯を切り、その端を持って宙ぶらの凌を見上げるポイズン。


「君はつい最近退院したばかりで体がまだ本調子ではないはずだと思っていたんだが?」

「・・・・・・宙ぶらキツイんですけど」

「そこで3日は反省したまえ」

「ムリムリ。頭ぱーんてなる」


「下ろせー」とぐらぐら揺れる凌を無視して、包帯の端を握り続けるポイズン。
そんな彼の金色の瞳が動いてこちらを見る。
ビクリ、と背筋が伸びた。


「さて、次に口答えしたい奴は誰だね」


できるはずがない。

ブンブン、と頭を振る彼らを見てポイズンが包帯の端を放した。
ゴスンッと音がして凌が落ちた。

「いたた・・・」と頭を押さえる凌に歩み寄るポイズンは、「分かっただろう」と呟いた。


「私ですら、君をこうも簡単に吊り上げる事ができる。blackkingdomにかかれば血祭りどころの騒ぎじゃない」

「・・・」

「blackkingdomへの殴り込みをやめたまえ。医者の忠告は聞くべきだ」


凌は少しの間考え込んだ後、自分に巻きついていた包帯を逆にポイズンの首に巻きつけた。
そのスピードは、さっきのポイズンのそれと変わらない。


「わりーなポイズン。医者の言う事は目安にしか考えてねーんだ、俺」


挑発するようにうすく笑う凌。
それを見てポイズンが「良かろう」と零した。

首に巻きついた包帯を切り、立って膝の埃を払っている最中の凌に向けてメスを投げる。


「かかってきたまえ。殴り込みに行けなくなるほど、その足腰立たなくしてやろう」




+++




幾つものメスが凌を襲う。
それを交わしながら、凌はどうしたものかと思案した。
病院内では流石にまずい、と言う事で広い場所・・・つまり外に出たはいいものの。
何も隠れる場所はない、ただの平野。
それも少し草深い。

頭上には烏と蝙蝠が飛び交っているし、振り返れば墓地がある。
どれだけ最悪な場所なんだ、と思いつつメスをまたかわした。


「いつまで逃げているつもりかね?」


不意に足を引っ張られる。
体制が崩れて下を見れば、足に絡まっているのは包帯。


「同じ手に2度掛かるとは学習能力がないのか、君は」

「うるせーよ」


ブチブチブチッと包帯を引きちぎり、後ろに飛んで距離を取ると重そうにその右瞼を開く。
漆黒の暗闇の中に浮かんだ銀色の瞳が、ポイズンを捕らえる。
しかしポイズンは大して驚いた様子は見せず、「ほぅ」と小さく声を零すだけ。
包帯で隠された顔の下で何を思っているのかは、さっぱり分からない。


「あんま驚かねーんだな」

「驚く? その程度で驚けとは・・・笑止」


ゆっくりと凌へ歩を進めるポイズン。
左手を白衣のポケットに突っ込んで、そのザンバラな灰色の髪が風に靡いた。


「今の君の右目はただの目玉となんら変わりない」

「・・・」

「気付いていないとでも? 君がそれの使い方を知らないと言う事に」


「まさか」と牟白が顔を歪めた。
その隣では静かに疲夜と殺舞が立っている。
亜月はだんだんと距離の縮まるポイズンと凌を見つめた。


「その右目を使いこなせばおそらく敵はないだろう・・・確かにそれはひどく恐ろしい力を秘めている」

「・・・知ってんのかよこの右目」

「昔、一度見た事がある」


そう言って足を止めたポイズンが、凌を見下ろした。
その手にはメスも包帯もなく、ただぶらりと垂れていた。


「そんなに敵討ちがしたいのかね、君は」


静かに呟く声。


「君が死ぬ思いをするほどに、あの男は大切な者だったのかね」


おそらくあの男、とはハルの事だろう。
ポイズンは凌の過去を知っているのだろうか。
その事実は誰も知らないが、ただ疲夜だけが微かに目を細めた。

凌は返事もせずにポイズンを見上げた。


「君はまだ弱い。弱く、脆く、壊しやすい」


ポイズンを見上げる凌に手を伸ばした。
しかし警戒を解かない凌が触れる事を許すはずもなく、軽く後ろに飛んでその手を避ける。

が、着地したと思った次の瞬間、懐にザンバラな灰色髪がちらつき、気付いた時には首に圧迫感を感じて声を零す。


「が・・・ッ」

「凌!!」


凌の首を掴み上げるポイズンを止めようと牟白とベーカーが足を踏み出したが、それより早くポイズンが「黙って見ていたまえ」と鋭い眼光を走らせる。
まるで蛇に睨まれたカエルの如く、動かなくなる二人。
それを確認すると、ポイズンが苦しそうに顔を歪める凌を見上げた。


「分かっただろう? 己の不甲斐なさを。君はまだまだblackkingdomに喧嘩を売りにいけるほどの実力を持っていない事を」

「ッ」

「だから私は妹にも言っておいたんだ。もし君がblackに手をあげるような事があっても、決してそれに関する情報を渡してはいけないと」


「彼女はまんまと約束を破ったがね」と杉村に視線を送るポイズン。
それから逃れようと、杉村が顔を背けた。

冷めた目を細めるポイズンは、凌の首を掴む手の力を緩めた。
重力によって地面に落ちる凌。


「殴り込みを中止したまえ。妹から仕入れた情報は全て忘れろ。これは君のためでもあるんだぞ、凌」

「・・・」

「それでもまだ抵抗すると言うのなら、君を私の病院のベッドに縛り付けて身動きを取れなくさせるしかない」

「・・・わりーけど、やめねーよ」


首の辺りをさすりながら、凌が上半身を起こして地面に胡座をかく。
凌のその回答に、ポイズンの金色の瞳が細められる。


「敵討ちじゃねーんだ。弔い合戦でもねーんだ・・・そんな、簡単なもんじゃねーんだよ」

「・・・では、何だと言うんだ」

「昔、ハルに言われた事がある」


右目を閉じた凌は、ポイズンを見上げる事もなく風に揺れる草を見据えていた。


「強くならなくていい。優しくなれ凌。何かを勝ち取るための戦はするな。何かを護り通す為の戦をしろ」


まるで自分に言い聞かせるように呟いたその言葉。
凌はそこではじめてポイズンを見上げると、「だから、中止はできねぇ」とはっきり言いはなった。


「アンタにとっちゃ、ハルも亜月もどーでもいい存在だろ。けど、俺にとっちゃ本当の家族よりもそれらしいものなんだ。俺に残った最後なんだ」

「・・・」

「誰が何と言おうと、殴り込みは止めねーよ。俺だけじゃない。みんな、オスカーもベーカーも、イガラも何かを護るために戦うんだ。何かを奪うための闘いじゃない」

「・・・」


そんな様子を見下ろして、ポイズンは目を瞑ると小さく息を吐き出した。
「やれやれ」と呟き頭をかく彼はしゃがみ込んでいる凌に手を差し出す。
戸惑いがちにそれを取る凌。

ポイズンは凌を引っ張り立たせると、一発頭を殴った。


「仕方ない・・・殴り込みを許可しよう」


「いってー」と頭を抱える凌を見下ろすポイズン。


「ただし、5日でその右目を使いこなせるようになってもらう」

「5日・・・?!」

「もしそれが出来なければ、殴り込みは中止だ。いいかね」


「始まったわ。兄さんの悪い癖・・・」と杉村が頭を抱える。
吹き抜けていった風がひどく冷たく髪を攫っていった。




+++




紅茶の匂いが灰色の病院に広がる。
オスカーはその香りを楽しみながら、お気に入りのカップに注がれた紅茶に口をつけた。
彼に向かい合って座る杉村は不機嫌な顔をして腕を組んでいる。
亜月はベーカーと杉村の間に座って、少し遠くで行われている『修行』を見ていた。

悠然と紅茶を飲むオスカーに、杉村が問いかける。


「・・・随分と余裕ね。貴方はblackkingdomを恐れていないの?」


オスカーはその言葉を聞くと、口元に薄い笑みを浮かべてカップをテーブルに置いた。
「そうですね」と顎に手を置いて考え込むような仕草をみせる彼は、隣に座るベーカーの頭に手を添える。


「私が恐れているのは、弟妹たちが今度の計画で怪我をする、それだけですよ」

「・・・そう」

「ベーカーと私の実力は、慢心ではありませんがblackkingdomの幹部に引けを取りません。心配なのはジェスカとチェスカです」


真剣な面持ちをつくるオスカーに、ベーカーが「そうだね」と同意してクッキーに手を伸ばす。


「確かにあの二人もそこそこできるけど、black相手にどこまで行くか・・・心配だよ」


赤いマニキュアの塗られた長い指で器用にクッキーを挟むベーカーは、チェッカー模様のそれを口まで運ぶ。
亜月はこの二人ってそんなに強いんだ・・・と二人に視線を移した。


「ジェスカとチェスカの相手・・・確かリーテ・ジェンマントと倖矢と言いましたね?」

「えぇ」


優雅に紅茶を飲む杉村が真剣な顔のオスカーから視線を流して窓の外に見えるポイズンと凌を見る。


「貴方はリーテ・ジェンマントは戦わないから大丈夫と言いましたが、絶対交戦しないと言う保証はどこに?」

「ないわ」

「な、ないって!!」


ガタンッとテーブルを揺らして立ち上がるベーカーに顰めた顔を向ける杉村は、「当たり前でしょう」とクッキーを口にする。


「私の話はあくまで情報。限りなく真実に近いけれど、それがそのまま本当だとは限らないわ。情報工作ってものもあるのよ」

「でも・・・だったらあの二人は連れていけない!!」


焦って声を荒げるベーカーを宥めるオスカーは静かに「そうですね」と頷く。
しかし全く動じない杉村は、ツン、とつっぱたようにすまし顔でオスカーとベーカーを見る。
それが気に食わないのか、ベーカーが眉を顰めた。


「そんな信憑性のない情報でジェスカとチェスカを闘いに巻き込めるわけない!! あの二人はまだ子供なんだ!!」

「知ってるわよ、あの二人が子供だって事くらい」

「だったら・・・!!」

「うるさいわね。貴方、私に何を望んでいるの?」


心底うっとうしそうに顔をしかめる杉村が、ベーカーを見る。
亜月は間に挟まれて、オロオロとその様子を見守るしかなかった。


「私は情報屋“月喰み”の店主。そりゃ、信憑性の高い情報しか売らないわ。でも100%勝敗の決まった戦争なんてこの世界どこにもないのよ。武力だけを物差しにblackと貴方たちの勝敗を計るなら、今ここでもできる。勝つ確率は0%よ」


勢いでまくし立てる杉村。


「でも、戦争はそんな情報もパーセンテージも関係ないのよ。知ってて? 日本には“火事場のくそ力”って言葉があるわ。それと同じ。大切なものが壊された。自分の命が危ない。目の前で友達が死にかけている・・・理由なんていくらでもある。そしてそれを原動力に生き物は時に実力以上の力を発揮するものなのよ」

「・・・」

「危険だからジェスカとチェスカを連れて行きたくない。確かにその気持ちもわかるわ。兄さんだって今その気持ちのはずよ。兄さんは医者だもの、わざわざ怪我をするための戦を許すはずない」


「でも」と続ける杉村は、喉を潤わせるために紅茶を口に含んだ。


「兄さんは貴方たちに賭けたわ。貴方たちが勝って帰ってくる事に。だから、今ああやって凌の事を鍛えてる」

「・・・」

「正直、兄さんが許可するとは思わなかった。兄さんも貴方たちみたいに100%の勝利を確信してから動きたがる人だから」


目を伏せる杉村が、既に湯気をなくした紅茶のカップを見下ろす。
窓の外では凌は今日何回目かの失敗をやらかしていた。


「それでも、兄さんは貴方たちに賭けた。だから、私も全てを賭けるわ。blackには参謀のリーテ・ジェンマントがいる。恐らく何らかの方法でこっちの情報を手にしているはず」

「・・・筒抜けって事?」

「かもしれないわね。殴り込みよりも先に、より真相に近い情報を手にした方が勝ち・・・情報戦が待ってるわ」

「そんな・・・」

「弱音は吐かないでくれるかしら」


眉間にしわを寄せる杉村がベーカーとオスカーを見る。


「私だって伊達に情報屋をやってないわ。“女郎蜘蛛”の名にかけてもこの情報戦、勝ってみせる」


残っていた紅茶を全て飲み干して、杉村が椅子を引いた。
綺麗な紫の刺繍の入った振り袖を靡かせて、踵を返す彼女。
「どこ行くんですか?」と亜月が問いかけたら、くす、と笑みを零した杉村が振り返る。


「狩りよ」


「今夜は大きなコウモリが捕れそうだわ」とひらひら手を振りいなくなる杉村。
「コウモリって・・・」と顔を青ざめさせるベーカーの隣でオスカーが微かに笑んだ。