コウモリの舞う夜に。
25 : 優しさ
+居心地+
「姉上」
部屋で紅茶を飲みながら本を読んでいたリーテが顔を上げると、扉から控え目に一人の男が入ってきた。
漆黒の無地の着物を着たその男は、肩までの黒い髪を靡かせている。
紺條夜魅。
リーテ・ジェンマントの腹違いの弟だ。
「あら、どうしたの? 夜魅」
「・・・」
口を開きかけた夜魅が、ふと閉口した。
その視線の先に何があるのかとリーテが振り返ると、そこには茶色の髪を持った男の姿。
「倖矢・・・席を外せ」
「俺が居たら困るのか?」
「・・・」
無表情の夜魅が珍しく顔をしかめると、仕方なしにリーテに向き直った。
「姉上、獏共は今あの病院でここへ乗り込む準備をしているようです」
「そう・・・あのポイズン博士がねぇ」
「意外だわ」と頬杖をつくリーテに、倖矢が「それは誰だ?」と身を乗り出した。
空いている椅子に夜魅を座るように促し、リーテが紅茶を口に含む。
「医者よ。闇光の世界じゃ結構有名のね」
「ふぅん、そうか」
「彼がまさか手助けをするなんて・・・予想外ね。何かその獏に借りでもあるのかしら?」
「どうなの?」と視線で夜魅を見るリーテに、彼は目を伏せる。
「そんな情報はありません。むしろ、獏の方が何度も治療をしてもらって借りがあるようですが」
「過去にも何もないの?」
「Dr.ポイズンの過去は明らかではありません」
静かに淡々と答える夜魅に、嘘はない。
リーテは目を細めると、「そう」と呟いて手元にある紙を見下ろした。
その紙にはblackkingdomの7人の裁判官の名前と、おそらく乗り込んでくるだろう凌たちの名前が書き出されていた。
「どのみち、向こうの好きに対戦相手を決められるのは面白くないわね」
クスクス笑うリーテが『凌』の文字から線を引っ張る。
「ガットには悪いけど」
すすす、と伸びた線は真っ直ぐとある名前とを結ぶ線になった。
凌から伸びた延長線の先にある名前は。
「ここは完璧主義のソルヴァンにお願いしましょう」
『ソルヴァン』と流れる字で書かれていた。
+++
大きく息を吐いて倒れ込む凌。
肩で息をする彼を見下ろすように立ったポイズンは、依然としてすまし顔のままだ。
「・・・ちょ・・・少し休憩」
服の裾で汗を拭う姿を見て肩を竦めると、「いいだろう」とポイズンが病院へと歩を進める。
見上げた空はひどくどんよりと重い雲がたれ込めている。
キィキィと甲高い声で鳴く烏に、追われるように飛び狂うコウモリ。
「ねみぃ・・・」
さっさとblackkingdomの殴り込みを終えて、ゆっくりベッドで寝てぇな・・・。
包帯の巻かれた手を空に掲げて、目を細める。
凌の紅色の瞳が綺麗な色をしてそれを見つめる。
もし・・・
もし、blackkingdomを潰せたら。
イガラが約束を破らないかぎり、亜月はもうblackに追い回されなくて済む。
そしたら、もう亜月はこの闇の世界でも安全に暮らせる。
「・・・あぁ・・・ちくしょう」
ガラじゃねぇなぁ・・・
+++
「あぁ、どうやら休憩のようですね」
にっこり笑ってそう言うオスカーから視線を外せば、窓の外に倒れ込んだ凌が見えた。
杉村もベーカーも居なくなったそのテーブルには、空のカップが2つ放置されていて、亜月はまだ生ぬるい紅茶が少し残った自分のそれを手に取った。
「どうします? 凌の所にでも行きますか?」
「え、あ・・・うーん」
何だか、近付きがたい。
そう思わないなんて嘘になる。
正直、自分の知らない過去を全部背負ってる凌に負い目を感じている。
そしてそのせいでblackkingdomに命がけの殴り込みを計画している事も。
生半可な覚悟で、他人のためにそこまで出来るはずない。
山本にとって、お父さんってそんなに大事だったのかな。
俯き加減で悩ましげな顔をしている亜月に気付き、オスカーがやんわりと笑みを零した。
「悩み事ですか?」
「いえ・・・まぁ・・・そうかも」
「私でよければ相談にのりますよ」
本当に、血の繋がった兄を思わせるようなその笑みに、ほっとする。
亜月は少し戸惑った末、「あの・・・」とおもむろに口を開いた。
「山本・・・あたしのせいでblackkingdomに乗り込むんですよね・・・」
「・・・」
「何か、イガラって言うあの死神と取引したって翔くんが言ってましたよね。山本・・・ほら、あぁいう性格だから、のんびりしてて・・・喧嘩とか殺し合いとか、そんなの向いてない筈なのに・・・」
「何て言って話し掛ければいいか、分かんなくって」と言葉を繋ぐと、オスカーが苦笑を零して「そうですか」と紅茶をカップに注いだ。
「亜月さんは、優しいですね」
「え? 優しい・・・かな」
「えぇ。充分」
ふんわりほほ笑むオスカーが、まるでその盲目の瞳に凌を映すかのように窓の外を向いた。
「彼の傍は、ひどく居心地が良い」
「・・・」
「過去、愛されずに育った凌は、ハルに会って人一倍優しさを知った。そして自分自身がそうだったように、優しさを求める他人に、彼は惜しみなく平等にそれを分け与えてしまう」
「・・・」
「愚かでしょう? この世界では真っ先に死んでも可笑しくない人です、凌は。でもだからこそ傍にいると心地良い」
「解りますか?」と問いかけてくるオスカーに、「ちょっとだけ」と嘘をついた。
本当は、よく分からない。
でも確かに山本の傍に居るのは、すごく居心地がいい。
それはきっと、凌自身が亜月の事を信用してくれているからだ。
「貴方が気を病む必要はありませんよ。それに、元々貴方が人間だった頃の15年間に、私は何度か凌に同じ様な話を持ちかけていたんですから」
クスクス笑うオスカーに、疑問を抱いた。
そう言えば、初めてサーカスを見に行ったあの夜、オスカーは確かに言っていた。
自分と共に闇を討ちに行かないか、と。
あの頃は全く事情も分かっていなくて、闇って何だろうって思ってたけど、今では分かる。
でも、どうしてオスカーさんたちが?
あたしや、山本は分かる。
山本は・・・一族殺し。
あたしは親が犯罪者。
blackkingdomに狙われるには、充分過ぎる理由がある。
でも、オスカーさんたちは?
「あの・・・オスカーさん」
「はい、何です?」
すっかり冷めてしまった紅茶。
コトン・・・と静かにカップを置いて自分の指先を見た。
「オスカーさんたちも・・・犯罪者、なんですか?」
+++
「ベーカー、ベーカー・・・ベーカー・D・ブランチ」
分厚い本を捲りながら、小さく呟くソルヴァンに「誰だそりゃ?」と声が掛かる。
それが誰かと言う事を声で判断したソルヴァンは、振り返らずに答えた。
「ガットか・・・珍しいですね、自ら貴方が書庫に足を運ぶとは」
「うるっせぇな、いちいち。イヤミか? それよりそのベーカー・D・ブランチってのは誰だよ?」
「今度ここへやって来るリストに入っていた名前です」
ピラリ、と一枚の紙をガットの方へと突き出す。
それを覗き込めばリーテの字と思われる筆圧で、いくつかの名前が挙がっていた。
ソルヴァンの手からそれを取り上げたガットが、「へー」と間抜けた声を上げて髪を掻き上げる。
「・・・あの獏、山本凌ってのか」
「そのようで」
「で、そのベーカー・D・ブランチってのは何なんだよ」
「どこにでも居そうな夢魔じゃねぇか」とさして興味も示さないガット。
それを横目で見ながら、再びその分厚い本のページを捲った。
「ベーカー・D・ブランチ。本名をベーカー・ブランチ。公認一族“ブランチ家”の次男にして」
意味深に言葉を切るソルヴァンにガットが視線を送れば、彼の緋色の瞳は眼鏡越しに本の中身へと向けられていた。
「ここ・・・blackkingdomの牢獄で育った、生まれながらの犯罪者です」