「ありがとう」と微笑むベーカー。
今更なに言ってんだ、と呟くしかできなかった。




26 :ブランチ家




+犯罪一家+


「凌」


寝転がっていた凌に影が落ちて、声に誘われるように瞼を開けるとそこには案の定、ベーカーが凌の顔を覗き込むように立っていた。
「なに?」と眠たい声をあげたら、彼は苦笑をこぼして凌の隣に腰をおろした。


「・・・あのさぁ」

「んぁ?」

「凌が・・・black潰すのは、やっぱり亜月ちゃんのため?」


どんより曇った空を見上げるベーカーの横顔をちらりと見やり、凌が目を細める。
ベーカーの懐かしむようなその眼差しに、「あぁこの馬鹿、また昔の事思い出してんな」と心の中で呟いた。


「俺さぁ・・・やっぱりダメなんだよね」

「・・・」

「なんか、やっぱ俺blackが嫌いだなぁ」


「恨めしくて、憎くて、俺、やっぱダメだ」と悲しそうな顔で笑うベーカー。
凌は無言を貫くと、ゆっくり起き上がって胡座をかいた。


「殺してやりたいって思っちゃうよ」

「・・・」


知ってるよ。
お前がどれだけblackkingdomを怨んでるのか。
知ってるよ。
お前がどれだけblackkingdomが恐いのか。


「・・・いんじゃねーの」


まるで怒られる事を前提にしていたように、ベーカーは凌の言葉に驚いた。


「俺だって杜若が憎いし・・・でも、まぁ・・・お前はまだ感情任せに殺しはしてねぇんだからいいんじゃねーの?」

「・・・」

「お前は俺みたいにならなきゃ、それでいいんだよ」


「感情任せに殺しさえしなければ、それでいいんだよ」と、呟くように言う凌。
暫く沈黙が流れ、それを破ったベーカーが「うん」と頷いた。
それと共に鼻をすすった音が聞こえたのは、空耳という事にしておいた。




+++




ブランチ家は古くからの夢魔の一族だった。
夢を作り出す夢魔の一族と、悪夢を喰う獏の一族は、互いに互いの均衡を護り常に危ういバランスを保って繋がっていた。

オスカーはそんなブランチ家を誇らしく思っていた。
優しい母と賢い父に大事に愛されて、オスカーは育った。
そして、彼には既に生まれてくるその時を待つばかりの弟がいた。

名前をベーカー・ブランチ。

まだ顔も知らない、母親のお腹の中にいる初めての弟。
オスカーはベーカーが生まれて来るその時が待ち遠しかった。
母も、父も、オスカーは大好きだった。

そんな幸せに包まれたブランチ家が崩壊したのは、それから少し後の事。




+++




ある日オスカーが庭で独り遊びをしていて、そろそろ夕方だなぁと屋敷に戻った時。
屋敷の中がひどく静かで、いつもと違う事を肌で感じ取った。

何があったんだろう?

「おかしいなぁ」と呟いて母と父の居る部屋に向かうと、近付くにつれて何かが壊れる音と、怒鳴り声。
一瞬誰の声だか分からなくてオスカーが恐る恐るドアの隙間から中を覗く。


「どういう事?! 何よそれ!! 愛人って・・・ちゃんと説明して!!」

「だから言っただろう? 君は妻になったその時から女として見られなくなったんだよ。だから新しく女を作った。何か悪いかい?」

「な・・・ッ!!」


逆上して花瓶やら何やら手当たり次第父に物を投げる母は、今まで見た事のないくらい目を吊り上げていた。
父も父でひどく冷めた目を母に向けている。

な、に・・・これ。どう言う事・・・?

オスカーはドアの前に立ち尽くした。
父さんに、愛人・・・?
それを聞いて母さんがあんなに怒ってるの・・・?

まるで鬼の形相の母と、それと相反する冷めた顔の父。
腹の底から何かが這い上がってくるような気がして、オスカーはぞくりと身震いをすると自分の部屋に向かって駆けだした。

恐い、恐い、恐い、恐い。

父さんが父さんじゃない。
母さんが母さんじゃない。
それが、すごく恐い。

部屋に戻ってベッドに潜り、布団を頭までかぶってブルブルと震えた。
優しく賢い両親の、あれは本心なの・・・?
本当は、あんなに醜いの?

信じたくなかった。
そんな事ない。
母さんは優しく父さんは賢い。
そうであると信じたかった。

だから次の日も次の日も、母と父が変わらず自分に接してくるにつれて、その夜の事は忘れようと思い始めた。

それが、自分にとっても家族にとっても良いことだと判断したから。




+++




出産日。
確かに今日が、ベーカーの・・・弟の出産日だった。

はずなのに。


「母さん・・・? ベーカーは・・・?」


すっかりへこんだ母のお腹。
見るからにそこにベーカーがいるはずもなく、じゃぁどこに?と視線を巡らせても折角用意されていたベビーベッドはもぬけの殻。

母は椅子に深く座ったまま、にっこりほほ笑んだ。
オスカーの大好きな、柔らかい笑みで。


「blackkingdomにあげたのよ」


まるで「お菓子を焼いたの」と言うように、やんわりと紡がれた言葉にオスカーの思考回路が一瞬止まった。
いくら幼いと言えど、blackkingdomは小さな子供すらも怯える規模の裁判所。
そして子供たちの遊びに『脱獄ゲーム』としてゲームに取り上げるほど、その牢屋の壁が高く固い事は誰もが知っていた。


「・・・え・・・?」


何度聞き返しても、母は何度でも同じ事を言う。
目眩がした。
何で?

ベーカーは、家族なのに。

忘れていた記憶を思い出した。
まるで風船が始めるように、一気に目覚める回想。

あぁ、本当は母も父も、こんなにも醜い生き物だったんだ。

ようやく分かった。
この人たちは、ずっと分厚い仮面をかぶっていた事。
ずっとずっと、自分に隠していた事。

本当は優しくなんてない。
本当は賢くなんてない。

ひどくずる賢い、薄汚い人なんだ。




+++




「その後、母は発狂して父の愛人を殺し、自殺。父は何も無かったように後妻を取りました。それがジェスカとチェスカの母親です」


オスカーは顔色一つ変えずにただ淡々と語った。
亜月は複雑な表情で、唇を薄く噛む。


「今思うと愚かな事ですよ。私がもっと早く気付いていれば・・・ベーカーはblackkingdomに連行されずにすんだのに・・・」

「でも、仕方なかったんじゃないんですか・・・? オスカーさん、その時まだ子供だったんでしょ?」

「・・・えぇ。そうです。しかしそんな事ただの言い訳でしょう?」


やんわりほほ笑むオスカーに、亜月が視線を送る。


「ベーカーがblackkingdomの死刑囚にされてから、私は父と母を信じなくなりました。そして後妻を取った父に煙たがれ、三男のチェスカが生まれて用済みになった私は日本に売り飛ばされた」


「そこで凌に会ったんです」とにっこり笑う。
なんだか無理しているような気がして、それでも何も言えなくて「そうですか」と微笑み返す事しか出来なかった。




+++




「凌がオスカーと会って、俺の事命がけで助けにきてくれたんだよね」

「あー・・・そんな事もあったな」

「ホント、あの時はありがとうね?」


「もし助けに来てくれてなかったら、俺今頃胴体と首が繋がってないよ」とケラケラ笑うベーカー。
冗談にも聞こえないそれに、凌が顔をしかめると「何今更言ってんだよ」と呟いた。


「元々、ブランチ家のそのいざこざがなけりゃ、俺は生まれてなかったんだぜ」

「・・・」

「どっちかって言ったら、俺のが感謝すべきじゃねーの?」


首筋をかきながら、もう一度地面に倒れ込む凌にベーカーが視線を送る。
エメラルドの瞳が彼を映した。


「ブランチ家と獏家は元々見えない均衡でバランスを取ってた。それが崩れて獏家にも異常が起こったから俺が本来生まれるべきじゃないところで生まれたんだ」

「・・・」

「ネーログェッラで大量に魔界から逃げ出した悪魔に加担したとかで罪を負ったんだろ? お前らブランチ家は。それを両親はお前を代わりにblackkingdomに売り渡した・・・何度も聞いたよ」

「・・・ごめんね、凌」

「別に責めてねーよ。ブランチ家が崩壊して俺が生まれて、そのおかげでハルが下界にやって来れて、俺はハルと亜月に会えた。むしろ感謝もんだ。・・・つか第一、お前らの責任じゃねぇしさ」


両目を瞑って溜息交じりに言う凌は、この台詞何回ベーカーに言ったっけ、と心の中で数えてみる。
ダメだ、数え切れねぇ。

ガシガシと頭をかきながら目の前をちらつく海色の髪を見る。
昨日ポイズンにむりやり喰わされた夢の影響だ。


「・・・ねぇ凌?」


どこか控え目に声をかけてくるベーカーに、「何だよ」と視線を向けずに答えると、「ありがとう」とやけにしおらしい声で呟かれた。
どうせまた泣きそうになってんだろうな、と予測ができる自分に苦笑しながら「はいはい」と軽くあしらう。


「それも何度も聞いたっつーの」