ディーサイドは架空の暴動。
なんて、みんな口々にそう言うが、本当は違う。

それは確かにあった、神を地に這い蹲らせるリコール運動。




28 :イガラ




+矛先+


目の前の男、ポイズンを見上げ、イガラは片膝を抱えた。
警戒するようなその瞳の色に、ポイズンは「そう肩を張るな」と言い捨てて近くの瓦礫の上に腰掛ける。


「なかなか趣味のいい住居じゃないか」

「それはどうも。わざわざ嫌味を言いにここまで来たのか?」


「だとしたら随分と暇人なんだなぁ」と嘲るような笑みを返すと、ふん、と鼻を鳴らす声が聞こえた。


「聞きたいことがあっただけだ」

「聞きたいことぉ?」


何を、と眉を寄せるイガラを見下ろし、ポイズンは淡々と言葉を繋いだ。


「君が何を目的としてblackkingdomを潰そうとしているか、私は知っている」

「・・・」

「だが、何故それの駒として凌を選んだ?」


「話せ」と鋭い金の眼光が物語っている。
知っていること、これからしようとしていること。
イガラの持ち得る全ての情報をさらけ出せ、とポイズンの瞳が告げていた。


「見た目以上に変な男だねぇ? そんな事を聞きにこんなとこまで来たって言うのか?」

「答える気があるのか、ないのか」


別にこれといって拒否する理由もないイガラは、小さく笑みを零すと「いいよぉ」と笑った。


「ついでだ、サービスで私の事も教えてやるよ」


「よく聞いていくんだね」と笑ってイガラは唇を開いた。




+++




“神”と言う存在は、ただの種族でしかない。
ただ他の生物よりも突出した身体能力や治癒能力など異常なモノを備えているにすぎない。
それさえ除いてしまえば、ただの天使や悪魔、もしくは人間と同じように“種族”に縛られた一介の生き物なのだ。

イガラはその“神”の種族の中でも“死神”として生を受けた。
しかし、彼女には親や親族に対する記憶がない。
意識が芽生え始めた頃には既に、『ジギ・メリアルラ』と言うblackkingomの第V席の元にいた。

ジギは機械ヲタクで、部屋はいつも機械音が目まぐるしく支配し、そのクセ頭の悪そうな真っ青な髪にピアスを開けまくっているような、一言で言ってしまうと『矛盾だらけの死神』だった。

イガラはいつもうるさいジギに冷たく当たってはいたものの、父親のように接してくれるジギが好きだった。
本当はジギが自分の父親なんじゃないか、と幼い頭で錯覚を起こすほどだった。

ただ、それは本当ではなく、ただの願望でしかない。
イガラの親は誰だか知れず、ジギはただイガラを引き取ったに過ぎない。

それでも構わなかった。

彼女の中ではジギは父親であり、ジギの中ではイガラが娘だったのだ。


「私がblackkingdomを出る理由になったのは、ディーサイドだったぁ・・・前の最高裁判官があの獏に喰われて新しくすげられたのが、幹部でもなかったダーツでねぇ・・・」


「今思うと何で奴が最高裁判官になったのか理解できないよぉ」とクックと笑い声を零すイガラは、自嘲するように視線を落とした。


「すげ替えられたダーツは最高裁判官として、責任があった。なのに、アイツはジギを・・・幹部たちを、見殺しにした」

「・・・見殺し・・・?」

「知ってるだろう? “聖界”ってとこさぁ。ディーサイドはその架空上の“聖界”に喧嘩を売りに行ったって話だぁ」


その話は確かに聞いた事がある。
blackにもwihteにも所属していなかったせいもあり、更には両勢力の圧力でディーサイドとネーログェッラについての情報が一切流れていない事もあって詳しい事は知らないが、まぁ一般人程度の知識はポイズンにもあった。


「ネーログェッラの存在は確かなのは知っている。そのせいで今現在の闇と光が別れているのだから。しかし、ディーサイドについてはほぼ御伽草子のような類で、あまり信憑性のある事件ではなかったな。もともと“聖界”自体あるのか疑問なところにそこを潰しにいくなんて話、信じるほうが少ない」

「あぁ、そうだぁ・・・世界はディーサイドの存在を知らないのが殆どだ。何かのネタ・・・それもガセとしか思っていないだろうよぉ?」


「でも」と続けるイガラがポイズンを睨み付けた。


「だったらそのディーサイドで死んだジギはどうなる? その存在は? その死の確証は? 確かにジギは死んで、私はこの目で棺桶に入れられるのを見たんだ。そう見たんだよぉ!! 真っ青な顔をして!! 血の気もなくて!! それなのに、それなのに?! ディーサイドが存在しない訳がないだろう?!」

「・・・」

「ジギは“聖界”に喧嘩を売って死んだんだ!! そう、“聖界”は存在するんだぁ!! そしてそのディーサイドの存在をblackとwhiteが消そうとしていると言う事は奴らが何か知っているからだ!!」

「だから、blackkingdomの最高裁判官になってその秘密を知ろうと言うのか? ばかばかしいことこの上ないな」


呆れたような、蔑み口調のポイズンを見据え、イガラが重そうに腰を上げた。
壁に寄りかかるように立つ彼女の瞳は廃墟の崩れた天上を見上げる。


「知ってるさぁ、ばかばかしい事だなんて。でもこの憎しみは消えないよ。自覚したとしてもジギをディーサイドに送り出し、真相を求めた私をblackの屋敷から追い出したのダーツに対する怒りは膨れ上がるばっかりだぁ」

「その怒りにまかせて、今度はblackkingdomを潰すと言うのかね? それがダンプ・ダック・ダーツと言う男を殺す理由だと?」

「生き物はみんな歪んで生きるもんだ、そうだろぉ?」


黒髪を冷たい風に靡かせて、イガラが力なく笑う。


「みんな曲がって自分の事しか頭にはないんだぁ」


「私もその一人にすぎないよ」と鎌を支えに壁から離れた。
ポイズンは「くだらない」と呟くと腰を浮かせてズボンの汚れを払う。


「それで、凌を駒にするのは何故だ? 君の話で行くと今回はただの君の弔い合戦のように聞こえるがね」

「理由なんて簡単だ。あの獏が前任最高裁判官“杜若”の息子だからだよぉ」


杜若・・・最近よく聞く名前だな、とポイズンが微かに顔をしかめる。


「本当はねぇ、ずっと待ってたのさ。15年間、あの獏がこっちの世界に戻ってくるのをさぁ」

「待っていた・・・?」

「詳しくは知らないがこの15年間、ずっとあのハーフばかり追いかけ回していたからねぇ。どうせなら人間なんかに目を奪われてる自分が愚かだと気付くまで待ってやってたのさ」


「そしてようやく時はきた」と心底嬉しそうに笑うイガラ。
ポイズンは静かにそれに目をやると、小さく息を吐いて灰色の髪を掻き上げた。


「理解できんな。その杜若の息子だからという理由が。凌は見た目以上に病弱だぞ」

「構わないさぁ・・・むしろあの一族だったなら誰でも良かったんだぁ」

「?」

「あの獏が大罪人な理由はあれが“一族殺し”だからだ。アイツは一族を呼んで字の如く“喰った”んだよ」


憎いものは喰え。
恐ろしものは喰め。

全て胃袋に納めたら血の道を振り返ってみるがいい。


「いざとなったら腹を壊してでも喰わせればいぃ」


おそらくそこには既に独り。

己以外に生はない。




+++




「・・・本当にいいのかね、凌」


不機嫌を露わにするポイズンの隣を歩く凌は、ついさっき出て来た廃屋を振り返った。
おそらくまだあそこで、イガラは座って空を見ているんだろう。

無言のままの凌をポイズンが静かな眼差しで見下ろす。


「隠れて話を聞いただろう? あの女に協力する必要などないんじゃないのかね」

「あー・・・まぁいいんじゃね。話聞いてる限りじゃイガラも色々あったっぽいし」

「・・・」

「いつかはblackkingdomに喧嘩売りに行く事になってたような気がするし」


まるで他人事のように呟く凌。

まったく・・・自分の事だというのに・・・


「乗り込むのは明日だから今更変更もできねぇよ」

「・・・利用される事を腹ただしくは思わないのかね?」

「別に」


何の躊躇いもなく帰ってきた言葉に、ポイズンが微かに目を開く。
少し感覚がイカれてるんじゃないのか・・・?

訝しげに見下ろす金色の瞳に視線を交えることなく、凌は呟いた。


「孤独になるより、利用されるほうがずっとマシだ」

「・・・」

「それにイガラの言いたい事も分かる気がすんだよねーこれが」


「俺の場合“父親の為に”なんて思ったりしねーけど」と首筋をかいて歩き出す凌は、病院へと足を向けた。
しかし数歩進んだ凌がふと何かを思い出したように足を止め、振り返る事なく「きっと・・・」と言葉を紡ぐ。


「イガラもそのジギとか言う奴が大切だったんだんだろーぜ」

「・・・」

「俺が、ハルを大切に思うのと、同じだと思う」

「だから、利用されても構わないと?」


ポイズンの灰色の髪と、色を変えた凌の赤茶色の髪が風に舞う。
暫く沈黙を置いたのち、「違う」と凌が呟いた。


「分かってんだ。blackを潰した後、アイツが・・・イガラが傷つくだろう事」

「傷つく?」

「何となく・・・この闘いはアイツを虚しくさせるだけだって事、知ってるから」


「だから、放っておけない」そう言い放ち、凌がまた歩き出した。
きっとイガラは勝っても負けても虚しい気持ちにしかならないだろう。
何となく、直感で分かる。

アイツは俺と同じ類の性格をしてる。
何か大切なものを護ろうと戦ってる。
でも、だからこそアイツ自身も分かってる気がするんだ。

こんな弔い合戦、ジギが望んでない事を。

凌は無言のまま病院へ向かった。
頭上を舞うコウモリの姿が珍しく無い。
代わりにカラスが忙しなく鳴いた。

アンブレラに確認するべき点がいくつかあった。

その後ろ姿を見るポイズンは、ふと立ち止まって近くの木に向かって「終わったのかね?」と呼び掛ける。
ポイズンの声を聞き、その木の枝からソレはするりと糸を垂らして降りてきた。


『えぇ。情報戦はだいたい片が付いたわ』


黒いソレは一匹の蜘蛛。
そしてその蜘蛛から発せられる声こそが杉村のそれだった。

これが彼女が『女郎蜘蛛』と呼ばれるゆえんである。


『兄さんの方はどうだったの?』

「・・・」

『イガラについて調べておいた情報は役に立ったかしら?』

「・・・私が考えていたよりも反吐が出るような理由だったがね。彼女の頭の中は歪なシナリオが渦巻いているようだ」


風になびく白いマフラーを巻き直すポイズンは、目を瞑って呟く。
あの女、凌たちを利用する事に迷いがない。
そして凌も凌でその事について反論がないという。

・・・私なら誰かに利用されてもいいなどと言う考え、浮かばんな。

静かに瞳を開いた彼に、蜘蛛が再び声を掛けた。


『そういえば、ついさっきblackkingdomからソルヴァンが下界に向かったわ』

「・・・何だと?」

『彼の性格から考えて闇討ちなんて事はないだろうけど、気を付けておくに越したことはないから、注意しておいて』


「私はもう少しこっちでやる事があるから」と聞こえた声を境に、蜘蛛はするすると糸を伝って葉の隙間へと消えていく。
それを確認してからポイズンもまた病院へ向かって歩き始めた。




+++




「・・・雲行きが怪しいな」


珍しく巫女の姿をしていた牟白は、どんより垂れ込んだ鉛の空を見上げてそう呟いた。
何か嫌な予感がする。


「・・・チッ」


袖をまくり上げていた襷を解くと、社に向かって歩き出す。
刀の練習してる暇はねぇみてぇだな。

ざわり・・・と冷たい風が吹き抜ける。