今にも泣き出しそうなこの空の下。
物語は歪な軌跡を辿る。




29 :鍵




+扉を開けるには+


灰色の病院へ戻ってきた凌は、真っ直ぐアンブレラの病室へと足を進めた。
軽くノックして中に入る。
するとそこには既に、牟白を除いた全員が集まっていた。


「・・・ご機嫌よう、夢喰い屋の店長さん」


何の表情も浮かんでいない機械的な顔が凌に向けられ、そして同じように機械的な挨拶がその唇から零れた。
凌はそれに軽く返事を返すと、パイプ椅子を引っ張り出して座り込む。

アンブレラはそれを見計らって口を開いた。


「聞きに来られたんでしょう? blackkingdomの事を。こちらの方々も貴方のお帰りを待ってらしたわ」

「・・・まーな。別に話したくなけりゃ話さなくても」

「いいえ、話しますわ」


「全てを」と目を伏せる彼女は、静かに言葉を紡ぎ始めた。




+++




blackkingdom。
そこはその名の通り、“黒い王国”。

主に裁判を行い、その黒く巨大な屋敷の地下深くには囚人何百人を閉じこめるための牢獄があると言う。
blackkingomは7人の裁判官を持ち、そのうちの一人が“最高裁判官”として屋敷の全ての権限を握っている。
他6人の裁判官は“幹部”と呼ばれ、それぞれが部下数百人を従える事ができる。

blackkingdomに入るには、『風濱』『華謳』のどちらかを卒業しなければならない。
この『風濱』『華謳』と言うのは闇光世界の中でもたった2つしかないと言われる、人間外生物の為の“学校”である。

『風濱』『華謳』を卒業するとき、悪魔には黒い鍵が、天使には白い鍵が渡される。
それが武器の元だ。
悪魔や天使の武器は各個人で異なり、その人にあったものが支給される。

そしてそれが、blackkingdomへ繋がる扉を開く鍵となる。
鍵さえあれば、どこにあるどんな形状の扉だろうとblackkingdomへ続く扉へと帰ることができる。
つまり、逆に言えば。

鍵がなければblackkingdomには行けないと言う事だ。

“幹部”になるには相当な腕前と、“鍵”との連携が必要とされる。
ただでさえ万を超す悪魔や死神によって構成されるblackkingdom。
その中で一際突出した力を持ったもののみがなれる“幹部”。
生半可な覚悟と鍛錬では、そうそうなれはしない。

そしてそんな中でものし上がってきた今の幹部6人も、尋常ならざる力を持っている。


「・・・アンブレラ」


不意に彼女の言葉をきった凌に視線を向けるアンブレラは、「何ですの?」と首をかしげる。
凌はバツが悪そうに首筋をかきながら「あのよぉ・・・」と目を細めた。


「教えて貰ってて何だけど・・・お前それ話していいわけ?」

「構いませんわ」

「けどお前だってblackring社の社長なわけだし・・・」

「いいんですの」


包帯の巻かれた指先を見下ろすアンブレラ。


「私がblackring社に入ったのは、警察として、悪魔や闇に住む方々を護りたかったからですわ」

「・・・」

「でも、今のblackkingdomの方針は私の望むそれとは掛け離れている。だから別にもう構わないんですの」


「知ってましたのよ」と囁くように話すアンブレラが顔を上げた。
今まで一度だって感情を表さなかった彼女が、一瞬笑った。


「貴方も、闇サーカスの方々も、私には罪人と呼べませんわ」


ステッキを握るオスカーの手がぎゅ、と強くなったのをベーカーがちらりと見やった。
それに気付いたアンブレラが口に手を当てて頭を下げる。


「・・・申し訳ないですわ。不躾に“罪人とは思わない”だなんて口にしてしまって・・・悪気があった訳じゃないんですのよ」


そう言ってオスカーを見るアンブレラに、オスカーは真剣な顔を向けた。
そこにいつもの優しげな笑みはない。
ただ静かに閉ざされた唇。


「・・・オスカー・・・」


ベーカーが心配そうに声を掛ける。
何で罪人じゃないと言われて不機嫌になるのか分からない亜月は、翔を膝の上にのせたままオスカーの様子を見つめていた。
凌も同様に落ち着いた目でオスカーを見ている。


「・・・そうですね、あまり、嬉しい言葉じゃない」

「・・・申し訳有りませんわ」

「二度とそんな事を口にしないでください」


「いいですね?」と念を押すオスカーの周りがひやりと冷たくなった。


「もう一度言った時、貴方を殺さないよう自分を抑止する自身がありませんから」


真顔で頷くアンブレラの脇で、複雑そうな顔をして立つジェスカとチェスカ。
ベーカーがそれに気付いて「おいで」と手招きする。


「私たちは自分たちが罪人である事を覚悟の上で生きています。今更そんな同情は要りません」

「同情なんて・・・」

「同情でしょう?」


言葉を遮るオスカーの声が低く冷たい。


「私は大量の人々を殺し、チェスカとジェスカは父と母を殺した。そんな私たちに“罪人とは思わない”とは、同情としか思えません」

「・・・」

「別に罪人である事を誇りに思っている訳ではありません。むしろ自分がした事を私たちは後悔している」


父と義理母に日本へ売り飛ばされた後、あまりに過酷な労働と虐待に耐えかねて、自分の雇い主ならずそこにいた人間を片っ端から殺した。
買い取った主人に潰された目がひどく痛んだのを今でも憶えている。
それでも、その時は生きることに必死で。
blackの牢獄に入れられているベーカーを助けるにしても、あんな父親と母親のいる家に残してきたジェスカやチェスカを救うにしても、この命はまだ捨てられない。

まだ、私は死ねない。


「だからこそ、罪人である事を覚悟した私たちに向けられる同情は、私達を侮辱する以外の何ものでもない」


「二度と、そんな戯れ言を口にしないでください」はっきり言い張ったオスカーの言葉に、亜月は視線を落とした。

あぁ・・・なんて酷い物語だろう・・・

屈折して、歪み続けて、折り重なって。
何一つとして真っ直ぐなものがない。
黒く汚れて、何一つ綺麗なものがない。
これが闇と言うものなんだろうか。
これは闇の住人だからこんなに歪んでいるんだろうか。

きっと違う。

こんなの、人間の世界だって一緒だ。
一人一人は違うから、他人を引きずり込んで他人に引きずり込まれて“人生”に狂いが生じてくる。


これはひどく複雑な沢山の生き物を巻き込んだ、壮大な“人生”の物語・・・




+++




病院へと急いでいた牟白の足がはた、と止まった。
目の前の男を見て元々切れ長の目を更に細めると、腰に挿してある二本刀の柄に手をかける。


「てめぇ、blackkingdom関係の何かか?」


カツン、と音を立てて革靴のかかとを会わせるその男はにこり、とも笑わずに牟白を見た。
赤渕のメガネを押し上げて、礼儀正しく腰を折って頭を下げるとその鮮やかな緑の髪が風に靡く。


「ご名答。blackkingdom第U席、ソルヴァンと申します」

「・・・」

「以後、お見知りおきを」


ひらり、と漆黒の燕尾服がはためいた。
チャキ・・・と刃を抜いた牟白の口元が弧を描く。


「そりゃぁいい」


その笑みに眉をぴくと引きつらせたソルヴァンの緋色の目を、しっかり見据える牟白が凶悪な笑みを更に深めた。


「最近腕がなまってたトコだ。丁度いい獲物だぜ」

「・・・物騒な事を言いますね」

「宮武牟白だ。覚とけ」


「自分の首ぃ刈った男ってよ」と言い放ち、しゃらんと簪を鳴らすと勢いよく足を前に出し地面を蹴った。
ゴーグルの奧に見える目が殺意に満ちている。

まるで獣の目だな。

冷静に牟白の動きを分析しながらソルヴァンは思う。
あぁ、だが・・・
真っ直ぐ、なんの躊躇いもなく切り込まれた一太刀を避けながら、あの見事な金髪を思い出した。

獣は獣でも、ガットのような猛獣よりはまだマシか。

静かに地面に着地して胸ポケットから鍵を取り出した。




+++




話を聞き終えた凌が外に出て寝転がっていると、小さな影が二つ体の上に落ちた。
それに気付いて顔を上げればそこにはジェスカとチェスカの姿。


「んだよ、どーした」

「・・・あのね、凌ちゃん」

「さっきのでオスカー兄さん、少し機嫌が悪くて」

「昔の事思い出して・・・怒ってるの」


複雑な顔をする二人を見て、上半身を起こす。
まぁ、無理もねぇか。
ブランチ家も昔相当荒れたからな。

何せこの双子も自分の父親母親を手に掛けたんだから。

無表情のまま二人を見ていたら、居心地悪そうに二人同時に視線を落とした。
「何で顔逸らすんだよ」と突っ込んだら意外な言葉が返ってくる。


「だって凌ちゃんも、怒ってると思った」


「は?」と微かに顔を歪めると、チェスカが今度は唇を開く。


「お父さんとお母さんを殺しちゃった事、まだ、怒ってると思ってた」

「・・・何で俺がお前らに怒んなきゃなんねーんだよ、意味わかんねーよ。俺お前らの兄貴じゃねーしお前らの親なんかよく知らねーからそんなん知るかよ」

「だって凌ちゃん言ったでしょ、最初に会った時」

「“もう二度とこんな真似すんな”って。その時すごく怒ってた」


ぎゅ、と二人がをつないでいる手に力が入る。
別に怒る必要がないのに何言ってんだ、と顔をしかめていた凌がそれをちらりと見やり、表情を緩めた。

何だ、コイツらも不安なだけじゃねぇか。

目の前の小さな双子が泣きそうになっているのを見て、溜息が出た。


「俺はお前らの兄貴じゃねーっつってんだろ」


「兄妹揃ってあんま俺に頼ってくんじゃねーよ」と悪態つきながら、二人の頭を撫でてやる。
仕方ねぇか。
きっとベーカーはベーカーでオスカーの方に手ぇ一杯なんだろう。
大声上げて泣くジェスカと、その隣で嗚咽を噛み殺すチェスカを見てまた溜息ついた。

俺いつからこんなガキの相手上手くなったんだろーな。

やっぱ翔を拾ってきた頃からかな。
そういや、アイツを拾った時も、今みたいな泣き出しそうな空をしていた気がする。