もう、後戻りなんてできはしない。




30 :黒い扉の向こう




+空の彼方に+


二本刀と鎖鎌が交差する中、牟白はソルヴァンを見た。
妙な野郎だ。
俺に攻撃する気はないらしい。

一際強く斬り込んでも鎖鎌の鎖の部分で防御するソルヴァンは、体制を整えて反撃する様子がない。
さすがに殺し合いに来たんじゃねぇのか?と思った牟白が後ろへ飛んで距離を取った。


「てめぇ・・・何しにここに来」

「危ないす牟白さあああああああああああああああああん!!!」


ドカッ

勢いよく背中に衝撃を受けて前につんのめる。
危うく倒れそうになった体を刀を掴んでなんとか途中で支えると、突っ込んできたそれを勢いよく振り返った。


「てめぇゴルァ!! 痛ぇだろーがこの変態帽子!!」

「へ、変態帽子?! 違うすよ!! 2Jす!! それにほら!! 今日の午後の帽子はみんな大好きウサギなんすよ?!」

「んな事ぁ知ったこっちゃねぇんだよ!! 午後って何だ!! 午前と午後で分けてんのかこのド阿保!!」

「午前中いっぱいはカエルす」

「てめぇ本当に何しに来やがった!!」


会話を途中で遮られた事と突然タックルして来た事に対する怒りを露わにしながら2Jの頭の帽子を剥ぎ取ろうとする牟白。
「やめて下さいす〜!!」と半泣きでそれに抵抗する2Jの手には、凌の狂夢瓶が握られていた。

それに気付いて牟白がはた、と手を離す。


「お前それ・・・」

「あ、これすか? これ、今日の朝凌さんから預かって直してたんす」

「アイツまた割ったのかよ」


呆れる牟白の向こうにいるソルヴァンは、緋色の瞳を2Jに向ける。
なるほど、あれが噂の『ガラクタ屋』の息子か。
公認一族とはいえ、罪人にまで武器の修理・製造をすると言うユニフの考えは、すっかり息子にまで染み付いているらしい。

赤渕のメガネを押し上げて、目の前でまだくだらないやりとりを繰り返す二人の会話を遮った。


「ところで宮武牟白さん。貴方は何故私が下界にわざわざ来たかお分かりですか?」

「あん? 知るかよ、んな事」

「これ、ですよ」


チャリ、と取り出した鎖鎌とはまた別の鍵。
それを目の前に持ち上げて牟白にも見えるようにした。

「鍵?」と顔をしかめる牟白は一瞬思い悩んだあと何か納得するように目を細める。


「・・・どうやら貴方を選んで正解だったらしい」

「?」

「誰にこの鍵をお渡ししようかと悩んだのですが、貴方にして正解だったと言っているんですよ」


「貴方が理解力のある方で良かった」と表情も崩さずに言い放つソルヴァン。
牟白はその様子が気に食わないらしく、顔をしかめて2Jを後ろに押しやる。
その手に握られている刀が怪しく光った。


「貴方はあの中で一番人間らしい。矢張り話し合いは人間らしい方に限る」

「ケッ。俺は真人間じゃぁねぇぞ」

「勿論知ってます。“神子”でしょう?」


そこで初めて笑みを零したソルヴァンに寒気がした。


「神に愛された子。故に神子。もっと簡単に言ってしまえば・・・呪われた子」

「てめぇ・・・」

「あまり殺気を飛ばさないでいただきたい。こちらは貴方と戦闘をするために降りてきた訳ではありませんから」


鎖鎌を鍵に戻すと、彼は先程のもう一つの方の鍵を、牟白の足下へと放った。
2Jが牟白の背後で「ヒッ」と声を上げる。


「別に爆発したり毒を吐き出したりなどしませんよ。安心してください」


「闘いに来た訳じゃないと言ったでしょう?」とメガネを上げるソルヴァン。
彼の黒い燕尾服が不規則に靡いていく。


「それはblackkingdomへ直通する扉を開ける鍵です。扉はどこにあるどの扉でも構いません。例え人間の民家の扉だろうと、この鍵を使って開けばそこはもうblackkingdomの屋敷が聳える場所へ繋がります」

「・・・」

「鍵穴についても問題はありません。どの形であろうと使えるようになってますから。ただ、条件が1つ」

「条件だと?」

「その鍵が使えるのは、たった1回です」


ソルヴァンの鮮やかな緑の髪と、牟白の赤い髪が風に踊る。
まるで場違いなほど、2Jのかぶっているウサギの帽子が目立っていて、しかしそれすらも視界に入らないほど二人は張りつめた空気を挟んで立っていた。


「一度使えば壊れるように作ってあります。つまり行ったら帰れないと言う事」

「・・・それで行くのを諦めろって言ってんのか?」

「まさか。貴方達がそんな簡単な理由で作戦を中止するとは思っていませんよ」


「ただ」と繋がれた言葉に耳を傾ける。


「帰って来るには、我々blackkingdomを完膚無きまでに潰さなければいけない、と言う事です」


不覚にもツバを飲んだ。
俺たちゃあの裁判所を相手にそんな事ができるのか?と。


「後の判断は貴方にお任せします。お仲間の方々にお伝えになるといい」


くるりと踵を返したソルヴァンは、現れた時のようにカツカツと背筋を伸ばして歩いていく。
几帳面に七三に分けられた髪を整え、白い手袋をはめ直しながら振り返る彼は静かに言いはなった。


「“鍵は手に入った。さぁ、死にに逝こうじゃないか”と」


最後ににやりと笑みを零したかと思えば、ソルヴァンはそのまま歩き去っていった。
どこかの扉から、いずれ鍵をつかってblackkingdomに戻るのだろう。
牟白は地面に落ちている鍵を手に取り強く握る。

ふざけんじゃねぇ。

ソルヴァンの歩き去った方を睨むと、何かを思い出したように雨が降り出した。
勢いよく降ってきたそれに驚いた2Jが慌てたように牟白の腕を引っ張っている。

ほえ面かかせてやるぜ。




+++




「確かに料金いただきましたす」

「ん」


狂夢瓶を受け取った凌が2Jに数枚の札束を渡している。
とは言ってもその札束は人間がつかうそれとは異なっていて、灰色の、ざらついた紙だ。

「人間外生物でもお金って必要なんだ?」と亜月が聞いたところ、何でも“繁華街”と言うのがあって、そこでしかあまり金は使わないと言う。
ただ、闇の世界では常に何か商売をしていなければ生きていけないと言うので、皆が金を集めるのだと言う。


「今回は色々考慮して前よりずっとずっと丈夫に作ったって父さんが言ってたす」

「あぁ、そりゃどうも」

「でもその分ちょっと質量は増えたらしいす」

「おいおい、まじでか」


「重いのやだなー」と呑気に言いながら、片手で振り回しているあたり、大丈夫だろう。
遠巻きにその様子を見ていたポイズンはいつ帰ってきたか知らないが、少し不機嫌だ。
触らぬ神に祟り無しと言う奴だろう。
誰も不機嫌時のポイズンに話し掛けるものはいない。


「で、さっきの話ですけど・・・そのソルヴァンと言う方がわざわざ鍵を持って来たとか」

「あぁ。きっとblackkingdomの余裕を見せつけにきたんだろ」

「それにしても今日来るって事はそろそろ乗り込むって知ってるって事でしょ? 結構情報割れてるんだね」


オスカー、牟白、ベーカーの会話を聞いて、凌が狂夢瓶の上に座り込む。
2Jがわーわーと文句を言っているが、完全無視だ。


「まぁそこんとこは大丈夫だろ。店長、最近見ねぇし・・・あの人の事だから色々裏で下準備してくれてるだろーよ」

「・・・凌がそう言うなら、心配しないけど」


相変わらず信用されてるんだなぁ、山本。
どこか部外者気分でそんな光景を見ていると、「そう言えば」と思い出したように手を叩く凌が、亜月と翔を振り返った。


「お前ら留守番。ポイズンのとこにでも泊めて貰ってろ、いいな?」

「えッ」

「冗談じゃない」


焦った表情を露わにする亜月が言葉を発するより早く、部屋の隅の壁に寄りかかっていたポイズンが吐き捨てるように呟いた。


「前回は君がいたから見舞いも予て許可していただけだ。必要以上に怪我人でもない者を泊める気などさらさらない」

「んだよいいじゃねーか。部屋余ってんだしー」

「悪いが人間は嫌いなんだ」


辛辣なその一言が、胸に刺さる。
そっか、そうだよね。
山本たちはちゃんとした闇の住人だけど、あたしや翔くんは人間とも闇の住人とも言えない微妙な存在だもんね。

膝の上で手を強く握ると、「ならいいよ」とあっさりした凌の返答が聞こえた。


「ポイズンがそー言うんなら、店長のとこにでも頼んどくから」


対してさっきのポイズンの言葉を気にしていない凌は、いつものように面倒くさそうに首筋をかく。
亜月が俯くと、翔が「気にしなくていいよ」と手を取った。

着々と話が進んで行く中、亜月は浮かない顔でその様子を見守っていた。


「だからこの鍵で・・・」

「あの・・・山本・・・」

「あ?」


話を遮って悪いとは思うものの、今言い出さなければずっと言えないような気がしてならなかった。
うろうろと居場所の定まらない視線を病室のあちこちへ向け、ついに凌を見た。
凌はいつもの無表情で赤茶色の髪をいじりながら、紅色の瞳を亜月に向けている。

小さくツバを飲んでから、唇を開いた。


「あたしも連れてって」


一瞬にして冷え切った部屋。
ベッドに座って様子を黙って見ていたアンブレラすらも、亜月に視線を向けた。

何を言っているんだ、と言いたげな紅色の瞳が亜月を見つめている。
それでも負けじと視線を逸らさず見据え続けていたら、盛大な溜息と共に凌が肩を落とす。
傍に座っていたベーカーが彼の肩を軽く叩いた。


「あー・・・何でそう来るかな。俺言ったよな? 今言ったよな? 留守番してろって言ったばっかだよな?」

「最悪だな。こっちの気もしらねぇで行きてぇだの何だの・・・」

「しょうがないよ。ね? 亜月ちゃんだって悪気があって言ってるワケじゃないんだし」


凌だけならまだしも牟白、ベーカーにまで厄介扱いされて、眉間にしわが寄る。
確かに足手まといだけど・・・そんなに言わなくたって・・・
納得いかない、と言う顔をしていたんだろう、傍まで来たジェスカとチェスカが口を揃えて「バカ」と呟いた。


「凌ちゃんの気遣いも無視するなんてありえなーい。ね、チェスカ」

「何でわざわざ危ない目に遭いに行こうとするのか分からないよ・・・でしょ、ジェスカ」


そりゃ確かにそうだろう。
でも亜月としてはこれ以上凌に迷惑を掛けたくないのだ。

いや、それは人の良い言い訳であって、本当は父親を殺したと言うblackkingdomに行って見たかった。

詳しい記憶はない。
悲しみも思ったより少ない。
現実感がなくて、何だか何か後ろめたい過去を背負っていると言う感覚もない。

それでも知っておきたかった。

全部、凌に背負って貰えたらそれはすごい楽だろうけど、言い訳くらいになるように、自分もblackkingdomへ行きたい。
あたし、辛い目に遭ってるんだよ、とそう思い込みたい。

あぁ、人間ってなんて醜いんだろう。


「お願い・・・」

「ダメ」

「お願い、します。連れてってください。お父さんを殺した人たちを、見ておきたいの」


悲しい目ができてるだろうか?
辛そうな目になってるだろうか?

卑怯とでも、卑屈とでも呼べばいい。

あたしはすごく、弱い人間だ。


そんな事、ずっと昔から知ってるよ。




+++




「何だかこのコート気に入らないなぁ・・・だって全身真っ黒なんだもの」

「ピンク色のコートの方が可愛いのに・・・ね?」

「・・・ボクは緑がいい」

「文句を言うのをお止めさい。暗闇に紛れて見つけにくいようにそれを選んだんですよ」

「ゴチャゴチャうるせぇ連中だな。コートの色なんか何でもいいだろ!」

「よーし、準備出来ましたかー?」


その夜、9つのコートが風に靡いた。
不気味なほど綺麗な月が夜空に浮かび、先頭を切る男が黒い鍵を扉に挿した。
ガチャン、と音を立てて扉が開くと、その先に見える全く違う風景にわざとらしい口笛を吹く。


「んじゃぁ黒いおうちにピクニックでもしに行きますかー」


棒読みな声とは裏腹に、細められた紅色の瞳が扉の先へと消えた。

聳え立つは黒い黒い屋敷。
吹く風は鎌鼬。
空に浮かぶは紅い月。






さぁ、闘いの火蓋は切って落とされた・・・