可愛い可愛い私の息子。
八本足。
八つ目。
そして痺れる猛毒。

あぁ、私の可愛い蜘蛛たちよ。




31 :下準備




+女郎蜘蛛+


「お、ぉおおおおおおおおおおおおおおおお?!?!」


扉を開いて一歩踏み出した牟白が慌ててドアノブを掴む。
当たり前だ。
足下には地面がないのだから。

一番最初に入った凌と、その次に入ったイガラは空中に足場を独自に作り上げている。


「あっぶねー!! んだよコレ!! 何で地面にねぇんだよ!!」

「チッあと少しで落ちたのに」

「もっかい言ってみろこの無表情毒舌野郎!!」


騒ぎ立てる彼の後ろからひょっこり顔を覗かせて下を見るオスカーが「あぁ・・・」と顔をしかめる。


「風の強さから言ってかなり高度がありますね・・・危ない所でしたよ牟白」

「ったりめーだ。つーか先に入って気付いたんなら言えよ!!」

「いや、唐辛子がどれだけ人間離れしてんのかなぁと思って。俺は信じてた、お前は飛べる」

「棒読みじゃ信憑性のカケラもねぇんだよ!!」


ぶつくさ文句を言いながら、階段を下りるように扉の前まで来た凌。
イガラは死神だからか知らないが、空に浮けるらしい。
その付き従う子供もまた、空に浮いていた。

大方凌の場合、足下の空間を固めているんだろう事が分かる。

しかし残された牟白、オスカー、ベーカーに双子、そして亜月は勿論のことながら空なんて飛べない。
そんな彼らの為に空中を固める凌は、亜月に気付かれないようにちらりと視線を送った。


「分かったよ。ただし俺から離れんなよ」


・・・つくづく甘いと思う。

これはもう弱みと言っていいほど、自分自身が亜月に甘い事を知っている。
それはそれは笑えるほどに。
こんなんでいいのか、と時々思うが、仕方ない。

ハルを助けられなかったのも、亜月を救えなかったのも俺のせいだ。

せめて亜月の我が儘くらい、聞いてやろう。
・・・で、危なくなったら拳骨喰らわして「ほらみろ」って蔑んでやろう。

足場を作って辺りを見渡す。
扉は全員がくぐり抜けると同時に自然と閉まり、鍵は盛大な音を立てて割れた。
なるほど、本当に1回こっきりらしい。


「んで、blackkingdomの屋敷はどこだよ?」

「あっちだよ」


ベーカーが迷う事なく右側の崖の上を指す。


「左の崖の上はwhiteemperorの屋敷。右の崖の上がblackkingdomだよ」

「向かい合わせに立ってんだな、whiteとblackの屋敷って」

「知らしめさぁ」


今まで黙っていたイガラが口を開き、怪しげな笑みを浮かべた。


「闇と光の最大勢力が見合うように屋敷を建てる事で、ここから先は自分のテリトリーだと主張してんのさぁ」


「ほら」と言って指さす方には、ついさっき潜ってきた黒い扉。
その隣には数センチの間隔もなく同じモデルの白い扉が浮いている。
まるで張り合うように。


「その白と黒の扉の丁度真ん中から見えない結界が張ってあるはずさぁ。だからblackはwhiteに入れなければwhiteはblackに入れない。ネーログェッラで締結した“絶対不可侵”だよぉ」

「面倒な事になってんだな、お偉いさんってのも」


首筋をかきながら階段を上る要領で空を登っていく凌。
その後を追うと、崖の上に全く同じ形を模した白と黒の屋敷が見えた。


「屋敷まで同じ作りになってるのね・・・びっくり」

「・・・ジェスカ、見て」


繋いでいない方の手で、blackkingdomから崖の先端へと続く道を指さすチェスカ。
「え?」と首を傾げるジェスカに分かるように、今度はwhiteemperorの屋敷から崖の先端へと続く道を指す。


「道も、同じ」

「ホントだ」

「鏡映しだけど・・・」


道も、屋敷も、木の生え方も、すべてが鏡映しのように広がる世界。
黒い屋敷と白い屋敷に挟まれた上空でそれを見ていた亜月は、不気味になって傍に居た凌のコートを掴んだ。

不意に、凌が「あ」と声を零した。


「店長」

「え?」


皆が振り返る中、凌が歩きながら崖の上へと着地する。
亜月も慌ててそれを追うと、木々で作られていた影から見慣れた美女が顔を出した。

杉村だ。


「遅かったわね。凌」

「やっぱ下準備してたのかよ、店長」

「まぁね。可愛い可愛い元雑用係くんの為よ」


にっこり笑う杉村に、凌がしかめた顔を返す。
しかしそんな事も気にせず、杉村が言葉を続けた。


「この先は私の可愛い息子たちが貴方たちの為に道を作ってくれてるわ」

「息子?」

「えぇ」


首を傾げる亜月の目の前に、するりとそれが降りてきた。


「ぅ、わぁッ?!」


吃驚して近くのベーカーの後ろに隠れると、ジェスカとチェスカが手を出してそれを受け止めた。
双子の掌に乗ってもあまるほどの、蜘蛛だ。

蜘蛛が息子?!と珍獣を見るような目を向けると、「うふふ」と笑う杉村の姿。


「私の情報収集道具よ。それにこの子たち猛毒も兼ね揃えてるの。便利でしょう?」

「毒?!」

「大丈夫よ、ちゃんと躾けてあるから」


にっこり笑っているはずの杉村が恐い。
より一層ベーカーのコートを強く掴むと、ベーカーが小声で「だから恐ろしい兄妹だって言ったでしょう?」と青ざめた顔で振り返ってそう言った。
確かに・・・と納得してしまう。


「とりあえず、下っ端の雑兵の殆どはこの子たちの毒で潰れてもらったわ。少しは闘いも楽になってるはずよ」

「ふん、流石“女郎蜘蛛”と言ったところかぁ」


黒い前髪の奥に見えるギラリと光った目で杉村を見るイガラが、歪な笑みを零す。
それににっこり笑い返す彼女は、同じように青紫の綺麗な瞳をギラつかせた。


「私は貴方を信用したわけじゃないのよイガラ」

「信用して貰おうなんてはなっから思っちゃいないよぉ」

「でもだからってあまりにお粗末な行動は控えて欲しいわね」


「貴方も私の子の毒にやられたくはないでしょう?」と笑みを消して言い放つ杉村に、身震いがした。




+++




「真っ直ぐ行けばblackkingdomの屋敷よ。正面玄関からそのまま入っても問題ないわ、兵の9割は今毒に蝕まれて動けないから」


さっきの杉村の言葉を思い出しながら、歩を進める。


「気をつけて。向こうもそれなりにこっちの情報を手にしてるはずよ」


なーにが「気をつけて」だよ。
呆れながら凌が目の前に見えてきたblackkingdomの屋敷を見上げる。

真っ黒で、それ意外の色はない。
月明かりが反射してもしなくても、ただただ漆黒の壁が聳え立っている。
静かにその黒い扉に向き合った。

ここを開けたら全てが始まって、終わる。

手に力を込めてドアノブを引いた。


「私の情報では一番最初に会う幹部は・・・」


重くるしい音を立てて黒い扉が開ききった。
灯りのついているその部屋の中も、外と同じ漆黒。

それぞれが警戒しながら中に入ると、不意に後ろでバタンッと扉が閉まった。


「よーこそッお兄ちゃんお姉ちゃんたちッ」


場違いなほど、明るい声。


「第Z席。チュリル・ボトムよ」


にっこり笑うまだ幼さののこった顔。
その手にはぬいぐるみが一つ抱えられていた。