赤が好きなのは、初めて認識した黒以外の色が、血の色だったから。
ハートが好きなのは、牢屋の中で唯一規則正しく鳴り響く俺の鼓動だったから。

赤は好き。黒は嫌い。
心臓は好き。でも、動かないそれは嫌い。

ハートが好き。愛が好き。血が好き。

そう、俺は狂ってる。




33 :赤と黒




+チュリル vs ベーカー+


「フィーュ。何して遊ぼうか?」


目の前の幼い子供、チュリルを見下ろしてベーカーが問う。
するとチュリルは迷うことなく「“脱獄ゲーム”!!」と叫んだ。


「お兄ちゃんも知ってるでしょう? “脱獄ゲーム”しようよ」

「懐かしいなぁ・・・それ。いいよ」

「ルールは簡単!! 丁度この屋敷のこのホールの床は黒と灰色のチェックだから、お兄ちゃんの陣地は灰色ね? チュリルの陣地が黒」


目をキラキラさせて話す彼女は、本当に可愛らしい子供だ。
しかし、それに対して笑みを浮かべてはいるものの、ベーカーの瞳は冷たい。


「お兄ちゃんが脱獄犯でチュリルが裁判官。床の灰色の部分が牢獄、黒い部分が外よ? お兄ちゃんは自分の力をフルに使ってこの牢屋を脱獄してくださーい。ただし、脱獄犯は50回脱獄に失敗すると首をはねられまーす」

「OK。つまり俺が50回以内に黒いタイルを踏めば勝ちって事だね?」

「そうよ。でもチュリルがそうさせてあげないんだから。」

「何度やっても飽きないよ、このゲーム」

「本当? チュリルも大好きなの“脱獄ゲーム”!!」


周りに花が咲く勢いで笑顔を振りまくチュリル。
ベーカーもつられて笑うと、「じゃぁ始めよう?」とチュリルがツギハギのぬいぐるみを抱え込んだ。


「お兄ちゃん、頑張ってね? チュリルも頑張るから!!」

「うん、分かった」

「だからお互い」


くす、と笑うチュリルの瞳に殺気が灯った。


「死んでも文句言いっこなしよ?」




+++




足下で悶える部下を足蹴にしながら、ダーツが不機嫌な顔をソルヴァンに向けた。
彼はせっせと倒れて邪魔になっている部下を一つの部屋に押し込んでいる。


「始まったようだな」


耳のいい彼は、そのダークグリーンの瞳を動かして廊下の外を見た。
ソルヴァンは「そのようですね」と機械的な返事を返し、最後の部下を隣の部屋に投げ込んだ。

その様子を見たダーツが頬杖をついて眉をひそめた。


「厄介な事になった」

「暇だと仰っていらしたのは陛下ですよ。少しは暇潰しになりましょう」

「暇潰しと厄介事は180度違う方向を向いていると思うんだが?」


溜息を吐くダーツは、漆黒のその部屋を見渡した。
今この屋敷に乗り込んで来ているのは9人。
獏家の生き残りが1人と、悪魔と人間のハーフが1人。
神子が1人と、サーカス一家で4人。

あと、イガラとガキ・・・か。


「厄介だ・・・」


背もたれに体重をかけて、目の前をちらちらと揺れる黒いリボンを退けた。


「あの女が一番面倒臭い」


イガラの顔を思い出して、一気にダーツの機嫌が悪くなる。
過去の事も一緒に芋づる形式に出てくるから、あの女の事は思い出したくないのに。
急降下していくダーツの機嫌を気にしながら、ソルヴァンは血のついた手袋を新しいものと取り替える。


「あぁ・・・首を刈ってしまえば楽だろうな」


そして刈ったあとのあの女の首は、正面の大ホールにでも飾っておこう。
腕は二本とも剥製にして、足は1本づつ屋敷の北と南に立てる。
体は・・・いらないな。
臓腑は今晩のスープにしてしまえ。

なかなか悪趣味だ、と自覚しながらも笑みが止められない。

機嫌が上昇した事を悟ったソルヴァンは、「陛下」と冷静に呼び掛けた。


「それでは私も用事がありますので」

「何だ、お前は最後じゃないのか? リーテがそう言ってただろう」

「どうやらガットが先走ったようです」


「ふーん」と興味なさそうに視線を逸らすダーツ。
ソルヴァンはその反応に微かに眉を顰めるが、すぐにいつもの機械的な言葉使いに戻った。


「では失礼します」


パタン、と閉じた黒い扉を確認してから、ダーツは一人椅子にもたれ掛かって目の前の巨大なテーブルを見た。
そのテーブルの一番下の引き出しの中。
そこにある二本のワインと二つの紙切れを見下ろし、すぐに引き出しを閉めた。


「・・・杜若・・・か」


憎い憎い憎い憎い。

憎い杜若の子が、今ここに来ている。
目障りなジギを慕うイガラが、自分の命を狙っている。

あぁ、目眩がしそうだ。

ダーツは目元に指を添えて、瞼を閉じた。


「なぁ・・・俺は曲がっていくばかりだよ」


どこか遠く・・・過去を見つめてダーツが呟く。




+++




「脱獄失敗11回目〜」


クスクスと笑みを零したまま“ソレ”の肩に乗っているチュリルが、下の方に見えるベーカーを見下ろした。
灰色のタイルの上に立つベーカーもまた、チュリルを見上げた。


「お兄ちゃん頑張ってって言ったでしょ? もっともっと頑張んなきゃこの子に勝てないよ?」


幼い笑みを浮かべるチュリルを肩に乗せている“ソレ”。
それは巨大なツギハギのぬいぐるみだ。


チュリル・ボトムの鍵は“ぬいぐるみ”。
その鍵の能力は【生地変換】よ。
どんな素材だろうとぬいぐるみの形になって襲ってくるから気をつけなさい。


そう杉村が言っていたのを思い出す。
「ぬいぐるみって・・・」と苦笑したのを覚えているが、そんな笑っていられるほど余裕はない。


「流石、その歳でblackkingdomの幹部なだけあるね」

「フフフッ チュリルすごいのよ? チュリルはまだ9歳なんだから」


褒められた事で機嫌をよくするところなど、本当に子供だ。
ベーカーは体勢を整えると、白と赤の団服のポケットから数十枚のトランプを取り出した。
金属製の、四辺がカッターのように鋭く研がれたトランプ。

それに首を傾げるチュリルに笑いかけ、ベーカーが軽々とジャンプした。

大きなクマのぬいぐるみの姿をしている鍵が手を伸ばし、べーカーを捕まえようとする。
ベーカーは手にしていたトランプを数枚ぬいぐるみの腕に向かって滑るように飛ばした。
回転して飛んでいくトランプは、ざっくりとぬいぐるみに刺さって綺麗にその腕を落とした。

チュリルの青ざめた顔が視界の端にちらつく。
そのまま黒いタイルの上に着地しようと足を伸ばすと、不意にぐんッと左腕が引っ張られて宙ぶら状態になった。


「脱獄なんてさせないもん!!」


残っている方の腕でベーカーの左腕を掴み上げるぬいぐるみの肩に乗ったまま、チュリルが大声を上げる。
ベーカーを宙ぶらにしたまま、チュリルが切り落とされたぬいぐるみの腕を見た。


「・・・ミーニャの腕、切り落としちゃった・・・」

「そのぬいぐるみ、ミーニャって言うの?」

「ひどいひどい!! 折角ツギハギでかわいいチュリルのミーニャを!!」

「腕がなくなって少しは身軽になるんじゃないかな?」


会話の噛み合わない二人の間で、ぬいぐるみのミーニャが立ち上がる。
それに合わせて引っ張り上げられるベーカー。
チュリルは目尻に軽く涙をたたえて、ベーカーを睨んだ。


「ミーニャは負けないもん!!」


不意に左腕が熱を帯びる。
驚いて視線を左腕に向けると、ミーニャ自信がまるで火だるまのように炎を纏っていた。

コイツッ火でもぬいぐるみの姿になれるのかッ

火傷を承知で左腕に力を入れ、引き抜いた。
それと同時に空いてる右手でトランプを数枚投げるが、火をまとったミーニャは最早“切れる物体”ではない。
よろけながら着地するが、まるで計算されていたように灰色のタイルの上だった。


「12回目よ? お兄ちゃん」


炎を生地としたミーニャの腕は、切り落とした部分も綺麗に再生している。
機嫌を直したチュリルはにこにこと笑って焼け焦げたベーカーの左腕を見た。


「それ、ミーニャの左腕の代償」

「・・・フィーュは、すぐに感情的なるみたいだね? そういう子はモテないよ」

「チュリルはいいのよ。チュリルは男の子なんて興味ないもん」


そう言うチュリルはミーニャの肩に乗ったまま、優しげに炎の頭を撫でた。
どうやら鍵の持ち主には炎を纏っていても関係ないらしい。
厄介だな・・・とベーカーが目を細める。


「チュリルはミーニャが居ればいいの」

「一人遊びをご所望かい?」

「べっつに〜? ミーニャがいれば一人でも構わないし、遊び相手が男の子でも女の子でも構わないよ?」

「そう・・・」


左腕の痛みに脂汗を浮かべながら、ベーカーが笑みを浮かべた。


鍵っていうの2種類あるの。
物理的なものと、魔術的なもの。
物理的なものは鍵の状態から解放してよくありがちな“武器”になるもの。
これらは鍵から解放していてもしていなくても壊せば使い物にならなくなるから簡単よ。


灰色のタイルの上を移動しながら、左腕が軋みながらもまだ動く事を確認する。


厄介なのは魔術的なものの方。
これは鍵から解放された状態でいくら壊しても意味がないわ。
“鍵”の状態で壊さなきゃ何度でも使えてしまう。


つまり、一旦鍵に戻せって事だよね?

ベーカーは一つ息を吐き出すと、チュリルを見上げた。


「ねぇ、ミーニャって何にでもなれるんでしょう?」

「うんッ炎でも水でも岩でも・・・ミーニャはすごいのよ!!」

「ふーん・・・でもそれって本体はどこにあるの?」


「本体?」と首を傾げるチュリル。
ベーカーはにっこりを笑みを零すとピエロらしくおどけてみせた。


「だって色んなものになれるって言う事は、元があるかないか分からないでしょう?」

「ミーニャはミーニャよッ」

「本当にそう言い切れる?」


すっと目を細めてチュリルを見た。
少し戸惑ったような、そんな色を幼い顔に浮かべている。

可愛いフィーュ。
君はまだ闇を上手に理解できていないよ。

「ねぇ」とベーカーが甘ったるい声を零した。

闇は騙し騙されの世界。
口先ばかりの者も多い事をお忘れ無く。
そして俺はピエロ。

そう、道化師。

道化はおどける人の事を言うよね? フィーュ。
その通りだ。

おどけて、ふざけて、貴方を騙し、笑わせる。


「ミーニャって、本当に在るの?」


そんな道化の者の口車にのってしまう様では、立派なレディになれないよ?


「ねぇ、どうなの?」


あぁ、だから君はまだ幼いフィーュなんだよ。




+++




「あら、大変」


テーブルを覗き込んでいたリーテが思わず声を上げた。
紅茶のカップを置いた倖矢が何も言わないで彼女に視線を送る。


「チュリルが戸惑ってるわ。あの子少しは成長したみたいね」

「リーテ」

「何かしら」

「今の会話でも、さっき先輩や夜魅のいた時にも言った、“あの子”とは一体誰の事をさしている?」


穏やかな視線を倖矢に向けるリーテがにっこりほほ笑んだ。


「勿論、ベーカー・D・ブランチよ」

「・・・それは敵だろう?」

「えぇ。でもあの子とはちょっと・・・繋がりがあるのよ、私」


敵と?と不機嫌な顔になる倖矢に、リーテが「誤解しないで」と笑いかけた。
別に誤解なんてしていない。
疑惑も掛けてるわけじゃない。
ただ、何で敵であるそれと知り合いなんだ。

そんな眼差しでリーテを見れば、リーテはすでに視線をテーブルへと戻していた。


「あの子、ここの牢獄で育ったのよ」

「それは聞いた」

「初めてあの子がここに来た時、小さな赤ん坊だったわ」

「・・・」

「母性本能かしらね? 放っておけなくて読み書きを教えたり、外の事を教えてたのよ」


思い出し思い出し語るリーテの横顔は、すこし楽しそうだ。
テーブルに映るベーカーは細めた目に殺気を灯していると言うのに。


「だから、ここを脱獄したって聞いた時正直ホッとしたのかもしれないわ」

「・・・リーテ」

「分かってるわよ、幹部なんだからそんな事許されない」


「でもね?」と顔を上げたリーテはその深い紺色の瞳に真っ直ぐな光を宿していた。


「ガットじゃないけど、今の陛下には付いていけないわ。空っぽの王様に付き合うほど私も優しくないのよ」

「・・・」

「そんなに心配しないで、ちゃんと幹部として働くわよ?」


優しげに目を細める倖矢に微笑みかけるリーテは、もういつものリーテに戻っていた。




+++




「フィーュ。君はまだ若すぎるよ」


動揺を隠せないチュリルが、ミーニャの炎を解いた。
そして次は水へと姿を変えて、ベーカーに降りそそいだ。

だぽんっとミーニャの中へと取り込まれたベーカーを見て、チュリルが「きゃははっ」と笑い声を零す。


「ミーニャは強いのよ!! お兄ちゃんじゃ勝てないわ!!」


「ゲームオーバーよ?!」とミーニャの中で気泡を吐き出すベーカーを見下ろすチュリル。
窒息死・・・つまらない死に方だけどまぁいいわ。
にんまりと目を細めるチュリルの瞳に、にやりと笑ったベーカーが映った。


「な、何笑ってるの?」

「・・・言ったでしょう? フィーュ。君はまだ若すぎるって」


水の中にいると言うのに、はっきりと聞こえるベーカーの声。
そんなのおかしいッと顔を青ざめさせるチュリルを見上げて、ベーカーがほほ笑んだ。


「俺の知り合いでさ、教えてくれたんだよね。君たちに配られる“鍵”には2種類あるって」

「それが何?」

「フィーュ、君の鍵は魔術的な能力でしょう?」

「・・・うん。そうだよ? だから何? 何が言いたいのお兄ちゃん」


苛立ってきたチュリルに笑いかけてから、ベーカーがすっと腕を伸ばした。
それはミーニャの腹から突き出て、外界の空気に触れる。
しかしよくよく見ると、その手は濡れていなかった。


「魔術的な攻撃は主だって“魔法”と“幻術”がある。この幻術って言うのはハイリスク・ハイリターンな魔術で結構魔界でもオーソドックスなんだってさ」

「そうだよ、そんな事も知らなかったの?」

「で、幻術ってさぁ、ある一種の感情を相手に植え付ける事から術を始めるのが多いんだって」


「その感情の名前、分かる?」とゆっくりミーニャの腹から出て来たベーカーが笑った。
彼からは雫の一滴も零れていない。


「恐怖だよ、フィーュ」


灰色も黒も関係なくタイルの上に足をついたベーカー。
呆然とそれを見下ろすチュリルは、少し青ざめた顔をしていた。


「幻術を掛ける相手に“恐怖”を植え付けて、“あたかもそこに在るかのように見せる”。それが幻術の基本」

「・・・」

「恐怖が強ければ強いほど、よりリアルに、より鮮明に幻術がかかる。だからフィーュ。この左腕は焼け焦げたんだよ」


「ちょっと恐かったからね」と語尾のハートをつける。
チュリルは顔をしかめてベーカーを見下ろした。


「そうだよ、そこまで分かってるなら観念したら? ミーニャは強いもの。お兄ちゃんはもうミーニャの恐怖の虜なんだから!!」

「まだ分からないの?」


ふと笑みを消したベーカーに、ぞくりと背筋が凍った。
綺麗なエメラルドの瞳に冷ややかな殺意がするどいナイフのように灯っている。

こわい・・・


「俺にはもうミーニャの幻術は効かないよ」

「そんなわけない!!」

「本当さ」


「御覧よ」とベーカーがチュリルの抱き抱えている方のぬいぐるみを指さした。
ツギハギだらけのそのぬいぐるみには、あった筈の頭が、ない。


「ひっ」


思わず声を上げるチュリルが、怯えた目でベーカーを見た。


「それ、ミーニャの本体でしょう? 鍵も本当はその中に隠してあるんじゃない?」

「・・・ッ」

「おかしいと思ったんだ。だって鍵は解放したら姿を変えるのに、君のはいつまでも君のスカートにぶら下がってるからね」


解放してからも変わらずスカートにぶら下がった鍵は揺れている。
チュリルはミーニャの肩に乗ったまま数歩後ずさった。

しかしそれに合わせてベーカーも足を前に出す。


「終わりだよフィーュ。君に恐怖を植え付けた俺が、ミーニャの恐怖に染まる事はない」

「ひッ・・・い、ぃやッ」

「“脱獄ゲーム”も俺の勝ちだよ? あぁそうだ。ルールに書き加えておいてよ」


冷徹な笑みを浮かべたまま、ベーカーがチュリルを追いつめた。
ミーニャの肩に乗っているものの、恐怖におののいて動けないチュリル。

だがベーカーはそんな事関係ないと言わんばかりの笑みを浮かべてトランプを数枚手にする。


「“脱獄ゲーム”脱獄者は50回脱獄に失敗すると首を斬られる」


コツ、コツ、と歩を進めるベーカーがチュリルに向かって容赦なくトランプを投げつけた。


「ただし」


ひゅっと一直線に飛んでいったトランプは、すっぱりとチュリルを切り裂いた。


「もし脱獄を成功させた場合・・・裁判官が首を落とされるってね」


語尾にハートを付けて、ベーカーが笑う。
ミーニャも消えてゴトンッと落ちてきたチュリルは最早動かない。
そんな彼女を冷ややかに見下ろして、ベーカーが笑った。


「おやすみフィーュ。良い夢を」