殺し合いは、美しい。

それは、まるで歯止めを知らない殺人鬼。
それは、まるで抑制を知らない狂い人。

愛のために剣を取り、愛のために牙を剥く。

全ては愛のためにある。

それ故に、殺し合いは、美しい。




35 :狂い始めるスペード




+夜魅 vs オスカー+


「ジェスカ」


凌の吹っ飛ばされた方へと走りだそうとしていたジェスカを止めて、チェスカが廊下の先を指さした。
その先に見える人影に、二人が動きを止めた。
茶色の髪のその男は、鋭い眼光でジェスカとチェスカを見据えている。


「・・・ボクたちの相手だよ」

「倖矢って人? もう一人のリーテって人はどこに居るのかしら」

「・・・さぁ・・・でも、一人ずつ殺ったほうが楽かも」

「そうね」


体の向きを倖矢の方へと向けた二人は、いつものように手を繋いで小走りに足を進めた。
それを確認した倖矢は、くるりと方向転換して歩き出す。

それはまるで廊下の先の暗闇へ誘うように・・・




+++




「どうやら他の方々も、始めたようですね」


その顔に笑みを貼り付けたまま、オスカーが呟く。
互いに浅い怪我を負ってはいるものの、そんなに派手に血は出ていない。
夜魅はそんな彼を見据えてあくまで静かに唇を開いた。


「・・・貴公は、盲目と聞く」

「その通りです。私には何も見えていませんよ」

「・・・その割には状況把握に長けているようだ」


右手に握った刀。
夜魅は自分の武器とオスカーの手が握っているそれを見て、少しだけ顔を歪めた。

仕込み刀と言うべきか。

オスカーは常に持って歩いていた長めのステッキの中からフェンシングの剣を抜き出し、日本刀を構える夜魅と互角の剣裁きを披露していた。
普通、フェンシングとは『エペ』『サーブル』『フルーレ』の三種類があって、どれも“突き”を主体とした剣の形をしている。
故に日本刀のようなしっかりとした刀身ではなく、ゆれる・曲がる・しなる、の柔らかな・・・つまり横からの打撃に弱いはずなのだ。

しかしどうだ。
オスカーのそれは刀剣の三種類の中ではフルーレの形を取っているにもかかわらず、夜魅と互角を渡り合っている。

しかもその剣裁きに“盲目である”と言う点まで加算すると言うのだから、天才としか言いようがない。


「そう不思議がらないでください。生き物はどこか一つでも感覚器官が狂えば他が急激に発達するものです」

「・・・では、目の代わりに耳や肌で私の動きが分かると言うのか?」

「Oui」


フェンシング特有の構えを取るオスカーに隙はない。
夜魅はそんな彼を見やり、刀を一度鞘に収めた。

落ち着け。

目を伏せ、刀の柄に手を添える。
フルーレと日本刀の最大の違いは“強度”だ。
細く長いフルーレに対し、日本刀は何度も叩き鍛えた真っ直ぐの刀身がある。

踏み込みを強く、そして素早く。

静かに目を開いて足に力を入れた。

抜刀の勢いで、剣を折る。
その意気込みで勢いよく足を踏みだし、刀を抜いた。
シャンデリアの光に反射する鮮やかな銀の刀身が、冷徹にも美しく輝いた。

今までの斬り込みと違う事をオスカーも察したのだろう、身を引いて避けようとする。
しかしそれを逃すはずもなく、夜魅はそのままもう一歩踏み出した。

左下から斜めに大きく斬り込む。
フルーレを引き、身を翻すオスカーの白い団服の裾がすっぱりと切れた。
休息は与えない。
刀を振るい、体を反転させて再びオスカーを狙う。

しかしオスカーも妥協を許すはずもなく、地面と平行に構えたフルーレを勢いよく夜魅へと突いた。
体を反らし、ギリギリの所で夜魅の刀身をかわしつつ彼の背中をフルーレが襲う。
勢いのついた先はそのまま夜魅の着物を破き、微かな血を舞わせた。

それに苦痛の顔すら零さない夜魅は、冷静な眼差しのまま刀の向きを反転させると、刃をオスカーへ向けて振り切った。
切っ先は真っ直ぐオスカーの心臓を狙う。

いける。と確信を抱いたその時。


「オスカー!!」


何かが二人の間に割って入った。




+++




あちこちで聞こえてくる爆発音、崩壊の音、銃声、金属音。
時に高笑い。時に悲鳴。

凌は壁にもたれ掛かったまま気絶している亜月に意識を多少向けながら、目の前のソルヴァンを見た。
緑色の髪を七三に分け、赤渕のメガネを掛けている。
黒い燕尾服をキッチリ着こなしているところから見て、かなりの几帳面のようだ。

あぁいうタイプ、俺苦手なんだよね・・・

首筋を軽くかきながら、機械的な歩調で瓦礫を縫うように歩くソルヴァンを頭のてっぺんから爪先までよく観察した。


「貴方が獏の生き残り・・・山本凌ですね?」

「そーだけど」

「想像以上にお若いようで。あの杜若様のご子息と言われるのでどれほど聡明な方かと思っていれば・・・」


どこか残念そうな顔をするソルヴァンに、眉を顰めた。


「悪かったねーアイツみたいにお堅い性格じゃなくて。俺は似たくもねぇと思ってたけどな」

「・・・随分、お嫌いなようですね」


「残念です」とメガネを押し上げるソルヴァン。
足幅を取って体勢を整える凌を見つめたまま、彼は胸のポケットから鍵を取り出した。
みるみるうちにそれが鎖鎌へと姿を変える。


「私は杜若様を敬愛していたのですけれどね」


「残念です」ともう一度呟くと、ソルヴァンは革靴を一歩前に踏み出した。




+++




一瞬の事だった。

血と火薬と埃の匂いが充満していて、気が付かなかった。

夜魅と刀を交えながら、西洋と東洋の剣術のどちらが優れているのかと、心なしか浮き足立っていたオスカー。
闘いは嫌いじゃない。
母や父を嫌悪したあの時の気持ちや、売り飛ばされた先の日本人の主を殺した時の気持ちを忘れずにすむから。
そしてただ単純に・・・

人を斬るのが、楽しかった。

狂っていると自負している。
自分はもう取り返しの付かない所にいるのだと。
けれど、凌といると救われた。
ベーカーやジェスカ、チェスカといると正気でいられた。

自分はまだ、マトモだと思いこめた。

しかし戦場ではその“枷”がない。
命は一つ、自分のソレだけ。
自分の命と相手の命の遣り取りの中に、凌や弟妹たちは割って入ってはこれない。

歯止めがきかなかった。

純粋に殺し合いを楽しんでいる自分。
相手を殺す事、それだけで頭の中がいっぱいで、なんと美しい、なんて思っていたりする。
殺し合いは美しい。
殺し合うのは“護るモノ”があるからだ。

人、物、地位、権力、信念、愛。

何でもいい。
殺し合いはそれらを護る為に起こる。
そしてそれはどこまでも不可抗力であり、不可抗力であるが故に終演がない。

闘いに溺れ、自分が自分ではなくなる。

まさに、オスカーは今それであった。
相手を殺す。
手を、足を、喉を一突きにして。
それだけが脳を支配し、麻痺させていった。

だから、気が付かなかったんだ。


「オスカー!!」


その声が自分の名前を呼ぶまで。
存在に気が付かなかった。


「ベー・・・カー・・・?」


目など見えなくても手に取るように分かった。

今、夜魅の刀がベーカーを突き抜けた。




+++




漆黒の廊下の角を幾つか曲がり、ジェスカとチェスカは倖矢を追った。
数メートル前を歩く彼は、不意にくるりと方向を変えて一つの扉を開いて中に入っていく。
二人は顔を見合わせて、小さく頷き繋ぐ手に力を入れる。

ジェスカは団服のスカートのポケットから一本のチョークを取り出し、廊下に陣を書き始めた。
チェスカはその隣で小型のナイフを取り出している。
淡くジェスカの陣が光ったかと思った次の瞬間、獣の唸り声と共に床から這い出るように金色の鬣を靡かせて一匹のライオンが姿を現した。
ジェスカがライオンに向かって「おいでダーズ」と声をかける。


「この扉の向こうにリーテと倖矢って人がいるのよね?」

「・・・うん」

「よーし、じゃぁ行くわよ」


チェスカがナイフの柄を強く握り、ジェスカの命の元、ライオンのダーズが扉を蹴破った。




+++




鉄分の匂いがする。
正確には、血の臭い。
的確に言うのならば、ベーカーの、と言う言葉もつくのだろう。

オスカーは回らない頭で何とか状況を把握しようと焦った。

ベーカーが私を庇った・・・?

単純明快に言えば、そう言う事になる。
ただ、解せない。
いつの間にベーカーがここまで来たのか。
何故自分と夜魅の間にいるのか。

何故、私を庇ったのか。


「ベ・・・ベーカー・・・ッ」


倒れかけている体を咄嗟に支え、その名前を呼び掛ける。
夜魅はベーカーの体から刀を抜き去り、数歩後ずさって距離を取った。

驚きを隠せないのは、オスカーだけではないようだ。

「ベーカー!! ベーカー!!」と呼び続けるオスカーの手から、フルーレが落ちる。
ゆさぶり掛ける彼とは真逆に、ベーカーはただ沈黙を保った。

嘘だ。そんな、ありえない。

挙動不審になるほどに、否定の言葉だけが頭を駆け巡る。
動かない弟の肩を抱き、膝をついてその名前を呼び続けた。
死んだ?
まさか!!
そんな事は絶対ない!!

そう言い聞かせているのに、そう言い聞かせたいのに、頭はフルで悪い方向へと介錯を進めていく。

夜魅は戸惑いを隠せない表情で、オスカーを見下ろした。
普段閉じられている彼の目が、開いていた。
そこは、まるで闇を飲み込んだようにポッカリと穴が空いているだけ。

目玉はそこに、存在しなかった。

“視力”がないと言う訳じゃなかった。
“目玉”そのものが、既にオスカーの中には存在しなかったのだ。

しかし、確かに光は届いていた。
ベーカーと言う光。
自分の弟。
愛おしい、血を別けた兄弟。
命を張ってまでblackkingdomから一度は助け出したのに。
折角助けた命なのに。

目玉は無くとも涙はまだ健在だった。

闇のようにぽっかり空いたくぼみから、頬を伝って涙が落ちる。

死んだ。
ベーカーが、死んでしまった。

愛おしい子。
私の弟。
父からも母からも愛されず、私の手だけを縋って賢明に生きようとしていた子。

それなのに、それなのに。

私のせいで死んでしまった。

案外命なんてものは呆気ないものなのだと、改めて痛感する。
こんなものか、と冷笑を零す。
ベーカーやジェスカ、チェスカの身の安全のためにblackkingdomを潰そうと目論んだのにもかかわらず、そのせいで大切なものを亡くしてしまった。

取り返しなんてつかない。

どうしようもない。
オスカーは暫くベーカーを抱えていると、不意に何かを思い出したかのようにベーカーをそっと寝かせてフルーレを手にとった。

殺してやる。

本来目玉があるべきところに収まった闇が、底知れない恐怖を携えて夜魅を睨み付けた。


「殺して、さしあげましょう」


せめて、あの世でベーカーが一人にならないように。




+++




「クククッどうやら派手にやってるようだねぇ」


廊下にふわりと着地して、イガラが口元に笑みを零す。
それを無言で見上げる子供に、彼女が言った。


「レイチュル。見てごらん?」

「・・・」


レイチュルと呼ばれた子供は、イガラの視線の先を見た。
今まで見てきた廊下のドアとは全く違う作りの扉。
大きさが半端じゃなくて、蝶番もドアノブも、全てが漆黒で染まり上がったそのドアには、金色の文字で“最高裁判官”の文字が彫り込まれていた。


「ここだぁ」


ガチャン、と鎌を肩に担ぎ直したイガラの瞳が、獣のようにギラリと光る。




+++




バケモノか。

夜魅は体中に次々についていく傷を感じながら、目の前のフルーレの動きに集中した。
スピードが今までの比じゃない。
刀をいなすのが精一杯だ。

どこでこれだけの剣術を身につけたのか、それは分からないが、相当な技術がその体に染み付いている事だけは理解できる。

容赦のない突きの連打。
反撃を許さない攻撃に、夜魅は防戦一方だった。

何かないか、と周りに視線を走らせる。

何か、彼の気が一瞬でも取られるもの・・・
ビッと頬が切れた。
視線をまたオスカーに戻すと、その長身を器用に折り曲げて屈み込む。
何かが破れる音がした。

服が破れたその音につられて顔を下へ向けると、オスカーの白い団服を突き破り、死角を狙ったフルーレの突きが夜魅の喉を狙っている。
まずい、と反射的に刀を引き、フルーレの切っ先を受け止める体勢に入る。
と、その時。


「よそ見はいけませんよ、Mr.紺條」


「どっちを見てるんです?」と言って笑うオスカー。
その瞬間、彼の左腕が動いている事に気付いて視線をそっちへ向けた。
視界の端に、折れたフルーレの切っ先を持つオスカーの左腕が入る。

まさかと思って防いだはずの右腕のフルーレの攻撃を見れば、オスカーの握る剣の切っ先はなかった。
折れた先が夜魅の刀にぶつかって受け止められているだけで、その先端がない。


「あの世でベーカーをよろしくお願いします」


予想外だ・・・フルーレの先端をわざと折ってフェイントにするなんて。

背中に受けた衝撃に、血を吐く夜魅。
霞んだ視界でオスカーを見れば、柔らかい笑みを零してそこにいた。


「Au revoir, Mr.紺條」