恐いから、戦う。
これは、お前を護ると言う信念だけの話じゃない。
俺は、俺自身が恐いから、戦うんだ。
俺の居場所を、脅かされたくはないから。
37 :完璧主義者
+ソルヴァン vs 凌+
足場と視界の悪いそこに向かい合って佇む凌とソルヴァン。
廊下の向こうからはひっきりなしに悲鳴や叫び声や歓喜に噎ぶ声・・・狂う一歩手前のそれらが耳にこびり付くように聞こえてきた。
ソルヴァンは目前数メートル先にいる凌を見据え、「冷静ですね」とメガネを押し上げた。
じゃらり、と鎖鎌を持ち上げて刃に散った血を拭いた。
「貴方たちの中では、どうやら貴方が一番冷静なようだ」
「あーそう? ま、一番弱いけどな」
「そうなんですか?」
「それは良かった」と機械的な言葉が漏れる。
凌もまた無表情のままソルヴァンを見据え、「つっても・・・」と付け足しの言葉を加える。
「精神的な面で、だけど」
挑発的なその言葉に、ソルヴァンが初めて表情を崩した。
眉間にしわを寄せ、あからさまに不機嫌な雰囲気を醸し出している。
彼は手にしている鎖鎌を持ち直すと、革靴の先をトントンと整えながら首の紐リボンを直す。
「減らず口をたたくのは止したほうがいい」
「・・・別に減らず口じゃねーよ」
「いいえ、そうですよ。貴方がたが我々blackkingdomに勝てるわけがありません」
胸ポケットから櫛を取り出したソルヴァンが前髪の七三を整え、凌を真っ直ぐその緋色の瞳の中へと捕らえた。
「blackkingdomは陛下のもの。それを汚した貴方がたを生かして返すわけにはいかない」
「・・・」
「貴方がたには何があろうと、ここで誰にも看取られる事なく死んでいただきます」
「その為にわざわざ鍵をお届けしたのですから」と細めた瞳に殺気が灯った。
+++
殺してやる殺してやる殺してやる。
目の前の椅子に寄りかかって座り、微動だにしないその男を睨み、無理に笑みを顔に灯した。
男は漆黒を纏っていた。
黒い髪を流し、黒い冠をかぶった男。
blackkingdom最高裁判官。ダンプ・ダック・ダーツ。
「ダーツ・・・」とイガラが呟くと、ダーツは半開きのそのダークグリーンの瞳を彼女に向けた。
「久しぶりだねぇ・・・」
「・・・もう二度と、オレは会う気がなかったんだがな」
「私は貴様を殺したくて殺したくて仕方がなかったよぉ」
怒りか憎しみか。
おそらくどちらもだろう。そのお陰で声が微かに震える。
ジギ、ジギ。
ようやくここまで辿り着いた。
やっと、やっとだ。
15年間、あの獏がこちらの世界に戻ってくるのを待った。
復讐の怨嗟を胸に秘めたまま、奴を待った。
全任最高裁判官の息子。
そして、あの“最強の種族”と唄われた獏家の生き残り。
ジギ、待っていてくれ。
もうすぐなんだ。
ジギを見殺しにしたダーツを殺し、blackkingdomを私のものにし、私はジギの果たそうとした事をしよう。
ジギが天へ向かって矢を射て死んだと言うのなら、私は天に向かって鎌を振ろう。
理不尽な神々の喉元を裂き、ジギを私から奪った者達に報復を。
だから、待っていてくれ。
“娘”の私がジギの無念を晴らしてあげるから。
+++
ソルヴァンは鎖を左手で器用に操り、確実に、そして着実に凌の肌を切り裂いた。
薄く切れて血が舞う。
凌は傷口を見やることもせず、苦痛の顔を浮かべる事もなくそれを避け続けた。
動きに目が慣れてくる。
鎖の軋み、鎌の速さ。
それらを片目で見定め、くるりと体を回転させる。
右足を軸に、左足を振り上げる。
襲い来る鎌の柄についている鎖を逆に掴み、おもいっきり引っ張る。
一瞬目を見開いたソルヴァンが鎖に引っ張られて体勢を崩した。
「死ね」
ビュッと頬を掠った足先。
微かに切れたソルヴァンの頬から血が舞った。
後ろに反り返って次に襲い掛かってくる凌の右足を避け、体勢を整えた。
凌と距離を置き、未だに掴まれている鎖鎌を強く掴み直す。
「随分と・・・言葉遣いが荒いようですね」
頬の傷を指で擦り、血で赤く染まった手袋を見下ろした。
「“死ね”だなんて・・・貴方のような方が口にするなんて」
「悪いな」
凌が目を細める。
「俺は他とは違うから、そう言う事には容赦ねーんだ」
「・・・」
「コントロールが効かねーんだよ、俺」
囁くように呟かれた言葉に、背筋が凍る。
コントロール?
つまりは、理性を失うと・・・?
顔をしかめるソルヴァンに、凌が言葉を付け足す。
「昔、一度狂った事があった。俺が獏家を滅ぼしたその時だ」
痛い苦しい痛痛痛い苦し痛苦しい
おおおおおおおおおおおおおおお俺の居場所、俺の居場所はどこだ?
ここにはない。ここは、俺のいいいいいい居場所じゃない。
俺は認められていない。
俺は、必要とされていない。
お、おおおお俺は、俺は、お、俺は・・・
俺は、要らない。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死死死死死死死死死死・・・
居場所がないなら死んでしまえばいい。
愛がないなら死んでしまった方がいい。
苦しみは感じたくない。
悲しみはもっと嫌だ。
怖いのは、辛い。
死にたい死にたい死にたくて溜まらない。
俺なんて、生まれて来なければ良かったのに。
「怖くて怖くて一人じゃいられなかった。だから、みんなを殺して自分も死のうと思った。けど、やっぱりそれも怖くてできなかった」
「怖かったんだ」と静かにソルヴァンを見据える凌の口元が弧を描いた。
にやり、と笑うその顔は今までの面影などどこにもない。
まるで自分と同種の悪魔。
そう、見えた。
「俺は俺の居場所を奪われるのが怖いから戦うんだ」
「それ意外に理由なんて必要ない」そう言うと、凌の紅色の瞳が狂気に染まった。
+++
「ん・・・」
重たい瞼を開くと、ごうっと風が顔に吹き付けて足下にいくつか、壁の残骸が飛んできた。
驚いて目をこすり、そっと身を乗り出すとそこに戦っている凌とソルヴァンを見た。
思わず目を見張る。
え・・・?
「山本・・・?」
まるで狂ったように笑う凌の姿に恐怖が体を駆け巡った。
自分の体を抱くように腕をさする。
何、コレ・・・
信じられないものを見るような目で凌とソルヴァンの闘いを見ていると、不意に首根っこを掴まれて、誰かに後ろへ引っ張られた。
声を上げようにも手が口を塞いでいてそれは不可能。
慌てて両腕を振り回すが、呆気なく片手でそれを掴み取られてしまう。
「黙ってろ」
唐突に囁かれた声に抵抗を止める。
え、な・・・
振り返り、その顔を見た。
それは灰色のコートを被り、深くフードを被っている。
「な、何でここに・・・?」
+++
何なんだ。
凌の蹴りをかわしながら、まるで豹変した彼の姿を冷静な目で見やる。
おかしい。
明らかに、おかしい。
何があったと言うんだ、この獏に。
狂った・・・?
いや、違う。
狂ったのとは少し違う。
何だ、コイツは。
困惑する彼に、凌の攻撃は容赦なく降り注ぐ。
スピードとパワーの増した蹴りや拳が、ソルヴァンの殴り飛ばし肋骨を幾つか折る。
勢いよく後ろへ吹っ飛んでいく彼は、すでにボロボロだ。
何て力の差だ。
この5日間で一体何をしたと言うんだ?
まるで刃が立たない
ソルヴァンはなんとか受け身をとって地面に着地すると、不意に現れた凌に横っ腹を再び蹴り上げられた。
「かッ・・・は・・・ッ」
馬鹿な!!
馬鹿な馬鹿な!!
こんな事があってたまるか!!
ここはblackkingdom!!
闇の世界で最大にして最高の機関!!
こんな侵入者などに我々が負けるはずなどない!!
ふ、と視界の端に血走った目を見た。
「は、はははははは!!」
狂った声がする。
狂気に満ちた、声がする。
大きく開いた口。
何かが吸い込まれるように体から力が抜けていく。
「いただきます」
にやり、と笑った凌に、恐怖を覚えた。
ゴッキン、と骨が折れる音がする。