鳴き声は、凶器である。




39 :死の子




+レイチュル・ピース・グランディア・ムーラ+


獏が“最強の種族”と呼ばれるには、それなりの訳があった。
獏は夢を喰い、そして同時にその異形の右目でそれを操る。
自分自身は闘いより離れた場所にいて、まったくの危害がなく終わる。

多種族はそれらを卑怯と呼んだ。
そして同時に畏怖し、彼らを“最強の種族”と称したのだ。

故に、獏の当主であるためには右目が異形でなければならない。
その漆黒に浮かんだ銀の眼こそ、夢を威圧し操るための武器。
しかし勿論対価と言うものがある。

もし万が一、右目の威圧で制御できない夢があったなら。
それらは暴走し、自らに襲い掛かってくるのだ。
言葉の通り飲み込んで、噛み砕き、血肉とし、夢は肉体を得る。


「じゃぁな」


「先を急いでんだ」と背を向けて歩き出す凌は、足下のソルヴァンに目もくれず傍の瓦礫の後ろに隠れていた亜月を呼んだ。
おそるおそる凌の後を追う彼女が、ちらりと床に伏したソルヴァンを振り返った。


「死んでねぇよ」


突然上から降ってきた声に、亜月が勢いよく凌のほうを振り向いた。
凌も亜月を見ていたのだろう、その紅と銀の瞳と目が合う。


「悪かったな」

「え?」

「ここまでついてきたのが俺のカタチをした夢だっただろ」


ふい、と視線を逸らして再び歩き出す凌。


「・・・何か、騙してた感じするから」


小さく零れた彼の本音に、ついさっき見ていたあの冷徹な姿が本当の凌でなくて良かった、と安堵する。
やっぱり彼はひどく優しい獏なのだ。




+++




『,,,room』に点滅しているランプが一つ。


―回線が繋がりました :雨→,,,room;―


雨:《「,,,room」管理人の雨です。》

雨:《毎度ご利用頂きありがとうございます。》

雨:《報告→ここ「,,,room」通称「首切り部屋」と平行して》

雨:《皆様に使って頂いている「wwwbody」通称「溺死体」および「b×b-case」通称「惨殺事件」で荒らしが確認されました。》

雨:《「,,,room」でもそのような被害に遭った場合はご報告お願いします》


―回線を遮断しました :雨→Shutout;―

―現在「,,,room」には誰も居ません :non person;―


カタリ、とキーボードから手を離した男の手元にある携帯が鳴った。
見れば淡い青の光が点滅し、それと同時に浮かび上がる差出人の名前。


差出人:Y
宛先:f
件名:収集だよ
本文:ボスが呼んでるよ


簡潔な内容のメールに返信を返す事はなく、男は身の回りのものをまとめた。
ふと視線を上げた先のパソコン画面に浮かんだチャットの窓を消す。


「blackなんかさっさとぶち壊しちまえばいいのによぉ」


マフィアってのは意外と仕事があって面倒だ。
男は重い腰をあげて扉を開いた。


―チカッ

『,,,room』にランプが一つ。


―回線が繋がりました :銀の王→,,,room;―


銀の王:(帰ってこい)

銀の王:(ガット・ビター)

銀の王:(待っているから)


―回線を遮断しました :銀の王→Shutout;―




+++




「あ?」


ガットは血が垂れる額を乱暴に拭い、視線の先に見える緑の髪のそれを見た。
漆黒の燕尾服はたっぷりと血を含み、黒い絨毯も同じ様にワインレッドのしみを作っている。


「・・・やられやがったか、ソルヴァン」


冷めた低い声。
俯せに倒れているせいで顔は見れないが、どうやらまだ息はあるようだ。
傍にしゃがみこんで太股のホルダーから鍵を取り出し、指先でくるりと回す。

銃へと姿を変えた鍵の先を、ソルヴァンの脳に宛がう。

不意に「ぅ・・・」と彼の声が零れた。


「・・・ガ、ト・・・」

「カッ。いいざまだな」


荒い息の合間合間に咳き込むソルヴァンを見下ろし、薄く笑う。
苦しそうに顔を上げるソルヴァンは、自分に向けられた銃口を見やり、目を細めた。


「・・・どういう、事で、すか」

「どうもこうもねぇだろ」

「・・・おかしい、話、でしょう・・・あなた、は」


「whiteに」と続けるソルヴァンの言葉を遮った。
パァン!!と鳴り響く銃声。
「あばよ」とまるで幼子に言い聞かせるような声で、ガットが呟いた。




+++




目の前に倒れているイガラを見下ろし、深くフードを被った子供、レイチュルは今まで頑なに閉じていた唇を開いた。
「・・・ぁ」と零れた声は広い部屋に消え、レイチュルに見向きもしないダーツの脇を通って倒れたイガラの傍に膝を付く。


「ぅ、ぁあ・・・」


泣き声とも呻き声とも取れない言葉。
そして耳をざらりと撫でていく不思議な声に、ダーツが視線をレイチュルへ向けた。
「誰だお前は」と言いたげな瞳は、今初めてレイチュルの存在に気付いたかのように見える。

レイチュルはただひたすらにイガラの長い黒の髪をすくっては垂らし、すくっては垂らし、を繰り返した。


「あ、ぅうあ」

「・・・貴様・・・」


その声に聞き覚えがある。
ダーツはまさか、と腰を上げた。
勢い余って革張りの椅子が盛大に後ろへと倒れる。


「死の子か・・・?」


何故イガラが死の子などと行動している、と眉間にしわを寄せるより早く、レイチュルがぐるり、と首を傾けてダーツを見た。
フードの下に見える光のない死んだ目が、ダークグリーンの眼を映す。

しまった・・・ッ

そう思った時は既に遅く。


「キュアアアアアアアァァアアアウギュギュゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアゥゥゥウウアアアアァウアアアア!!!」


激しく脳髄を揺すぶられ、胃袋から何かが遡りそのまま高級な漆黒の絨毯の上に胃液をたっぷりと吐き出した。
耳を劈くとはまさにこのことだ。
心臓が破裂するような、肺を握りつぶされているような。
グラグラと頭痛がして視界がぼやける。

ふと、霞む先にレイチュルが叫びながら何かを言っているように見えた。


―すべテは、カみのタメに


叫びながら唇を動かすとは、器用な奴だ、とダーツはくだらない事を考えながらふっと意識を失った。

イガラはそれを見て乾いた笑い声を零し、それと共に血を吐き出した。
もう死んでしまうだろう事が体で分かる。
軋んでいる骨を断つように、ダーツの鎌で切られた腹が痛む。
レイチュルの声に、イガラ自身も魂を持って行かれそうだった。


「は・・・は、ははは・・・ッ」


叫び声とも呻き声とも取れぬレイチュルの鳴き声。
それに塗れて、イガラの笑い声がダーツを蔑む。


「は、ははッは!! いい、きみだダー、ツ!!」


何の反応すら返さないダーツに、イガラが割れた声で叫び続ける。


「貴様はここ、で!! 私と共に、死、ぬんだよォ!! は、ははははははッ!! はは!!」


狂った高笑い。
ドロドロとイガラの腹から血が流れ出す。
最高裁判官の部屋に高笑いと嘆き声が響き渡り、まるで電源を落とすようにイガラの思考回路がプツリと遮断された。

それと同時にレイチュルの声も遠ざかっていく。


ジギ。

ようやく、終わりそうだよ・・・




+++




「耳いてぇ」


じんじんする耳をこすりながら、凌が腕の中で藻掻くレイチュルの口を寄り一層強くふさいだ。
間一髪か。
床に転がったイガラとダーツを見て、凌が深く息を吐く。

これだけの血を流した闘いの最後のピリオドを、こんなガキが打つとはね。

包帯で巻かれた凌の掌を強く噛むレイチュル。
指が裂けて血が垂れた。
離せと言っているんだろう、しかし離すわけにはいかない。

このままこの声を屋敷中に反響させつづければ、いずれ弱った幹部も凌たちも例外なく魂を喰われてしまうだろう。
何でイガラが死の子を連れていたのかは分からない。
もしかしたら最初から相打ってレイチュルに魂を喰わせるつもりだったのかもしれない。

凌は倒れているイガラに歩み寄る。


「バカやってんだな、お前も」


何故こうも、生き物は屈折してしまうのだろう。
真っ直ぐ、ただひたすらに真っ直ぐに生きていられればいいのに。

凌はイガラの傍にしゃがみ込んで頬に流れているソレを指ですくった。


「ホントはどこにでもいる女のくせにな」


涙だってほら、こんなにも似合っているのに。