ズッペから漂うオニオンの匂いに満足気な笑みを零しながら、ヴルストとザワークラウトにフォークを突き刺した。
グラスに入れられた白ワイン。

ゴージャスなシャンデリアの下で、銀の髪の男はひらりと落とした写真をナイフで壁に貼り付ける。
その写真にはおそらくこの銀の髪の男とガット・ビターが幾分幼い面持ちで映っていた。


「ファッキン。いい加減、てめぇのいねぇ生活も飽きてきたぜ、ガット」




41 :銀の王と金の獣




+白い世界+


「ジャック様、おはようございます。紅茶をお持ちしました」

「あぁ、入れ」


シャワーで濡れた長い銀髪をタオルでふきながら、投げやりな返事を返す。
比較的大きく作られた汚れを知らない扉を入って直ぐに、マーブルで作られたテーブルがあり、おずおずと部屋の中へ入ってきたメイドはその上にカップ、砂糖、それにミルクの順に並べていく。

部屋には大きな本棚があった。
そこにはカントの超越論的哲学、ニーチェの生の哲学。ルター。ベネデット・クローチェ。ライプニッツなどの一見目眩を誘うような本ばかりかと思えば、また違う段にグリム童話なども積み重なっていた。
背表紙を見る限りでも、おおよそ世界の半数以上の国の言葉が確認でき、その他諸々の、余程の暇人でなければ読み切れる量ではない本の数々が、ずらりとアンティークな本棚に並んでいる。
その脇には本棚と同じデザインのラックがあり、まるで聞いていない事を表すように、埃を被ったクラシックレコードが並べられていた。

壁にはどこかの宗教的な絵画や、イタリアのルネッサンスで名を上げる数々の絵が飾られている。
ただ、よくよく見ると綺麗に装飾されている額縁に所々傷がついていて、大事にしているとは言い難い。

ジャックと呼ばれた男は大方の水滴を取り除いた銀糸のような髪を翻し、白い革張りのソファに深く座った。
その際に、紅茶を注いでいたメイドが彼からシャンプー以外の匂いを嗅ぎ分けて顔を上げる。


「ジャック様、お怪我でも? 血の臭いがいたします」

「あ゙ぁ?」


唐突な質問に顔をしかめたジャックは、何か思い出したように一瞬だけ寝室へと視線を向けた。
スコットランド製のきめ細かな淡い緑のカップを長い指で器用に摘み上げ、型の良い唇を添える。


「死体処理班呼んどけ。あと、ベッドシーツも全部取り替えろ。窓開けとくのも忘れんなよ」

「・・・?・・・かしこまりました」


半眼の彼のエメラルドの瞳が、揺れる紅茶を見据えている。
メイドは不思議に思いながらも、あまりずけずけと質問しないほうが身のためだ、と判断し、言われた通りに窓を開けに寝室へと歩を進めた。

長い足を組んで紅茶を飲むジャックの耳に、メイドの息を呑む声が届く。


「ジャ、ジャック様・・・これは・・・一体・・・」

「ヴィンチーノファミリーのボスの愛人だ。吐くだけ吐かせてウザかったから殺した」


脳裏に蘇る女の甘ったるい声に、吐き気を覚える。
気分が害されたので、彼は飲みかけのカップをシルクで出来た柔らかなテーブルクロスの上に置き、近くに掛けてある純白のコートを肩に羽織って銀のドアノブを回した。


「一晩相手にしただけで調子に乗りやがって・・・ファッキン。バカが」


蔑むように冷め切った声が零れる。
自らのボスの部屋へと歩き出す彼の頭からは、すでに昨日抱いた女の顔も、声も、名前すらも、全て消え去っていた。

ジャックは自分の部屋を出て3つの扉を通り越した先に見える一際巨大な扉の前に立つ。
両開きのソレの前でようやくコートの袖に腕を通した。


「オイ入るぜボス!!」


まだ朝の6:23だと言うのに彼の大きな声が響いた。




+++




「チャットがなんだって?」


眠そうに目をこすりがら凌が力説する優生に視線を送る。
すると巫人が「それって“雨-ピオッジャ-”って言うチャット?」とお茶を口に含んだ。


「そうそう。妙な名前のチャットルームを貸し出してるサイト」

「たしか首切りとか、溺死体とか、そんなんばっかじゃなかったっけ?」

「何、巫人も知ってんの」

「うん。web上じゃ結構有名なチャットだよ。利用者数がはんぱなくってさ」


「ふーん」と興味薄そうに欠伸を一つ。
チャットがどうたらこうたら・・・昔に比べたらインドア派のガキが増えたもんだ。と頭をかきながら思う。
っていうか、文字だけのやりとりの何が楽しいんだか。


「でさ、一緒にやろうって言ってんだよ。な? な? 凌だってパソコン持ってんだろー?」

「あんなモンに向かってる時間あったらもっと寝て身長伸ばせチビ」

「んなッ?! それを言うか!!」

「あははッ でもさぁ何で突然ピオッジャなんかの話になったわけ?」


まるで毛を逆立たせる猫のように唸る優生を宥めつつ、巫人がもっともな質問をする。
すると優生はコロリと態度をかえて「それがさー」と顎に両手を当て意味深な笑みを浮かべた。
よくホームズがとっていたとか言う、あのポーズだ。


「最近ほら、ニュースで変な殺人事件続いてんじゃん?」

「あぁ、連続殺人事件。昨日3人の親子が殺されたんだっけか」

「それがどーしたよ」

「何でも、そのピオッジャのチャットでその事件について語ってるトコあんだってさ!」


キラキラと目を輝かせる優生に、凌が目を細めた。
「正義ぶってんの?」と不機嫌な声を絞り出すと、「ちげーよ!」と少し赤らめた顔が抗議する。
コイツ、ぜってー自分が犯人捕まえられねぇかなとか思ってたクチだな・・・と凌の機嫌が急降下した。


「そうじゃなくって!! なんかほら、そういう事件の裏情報とか流れてそうじゃん」

「んなもん知っても意味ねーよ。くだんねぇ事件の裏なんか知るより牛乳飲めばどれだけ身長伸びるか実験してろ」

「何でお前はさっきから身長の事ばっか言うんだよ!!」

「だって・・・」


凌は目の前で行われている身体測定を見やり、「・・・なぁ?」と再び優生に視線を向ける。
数人のクラスメートがまだ測定を続けていて、全て終わらせた凌と巫人と優生は部屋の隅で胡座をかいて座っていた。
それぞれの手には測定結果の書かれたプリントが握られていた。


「優生くーん、君1年で何cm伸びたのかなー?」

「う、うるっせぇよ!! 大体前回測定したのは9月だろ!! 何で3月にもまたやるんだよ!!」

「普通は3月にやって1年間やらない筈なんだけどね」

「何かの手違いだろ」


面倒な事この上ない。
大きな欠伸をもう一度して、凌が瞼を閉じた。
すると話を戻したのだろう、巫人と優生がまだチャットの話をしているのが聞こえてくる。

チャット・・・ねぇ・・・




+++




「blackkingdomの騒動があってから2ヶ月と半月が経ちました」


男はYの文字が書かれた赤いゴーグルの奧の瞳で、白く長いテーブルの先にしずしずと座る女に視線を送った。
女はその顔に何の色も浮かべることなくそこに静かに座っている。
男は反応のない事がさも当たり前のように言葉を繋げる。


「現在は死神のイガラが最高裁判官として君臨していますが、裁判方針は以前とそう変化はありません。ただ、死刑執行回数は激減し、牢獄での労働量に見合った処置が行われているようです」

「・・・そう」

「次に、マフィア界の裏で行われている麻薬売買についてですが、今朝のジャックの情報によると売買の中心はヴィンチーノファミリーのようです。しかしこのヴィンチーノファミリーの裏にいると思われるものが・・・」


「手元のディスクを」と手元のボタンを押す男。
テーブルについている男の他6人の目の前に、ホログラムの画面が浮かび上がった。


「以前麻薬売買の嫌疑が掛けられていたフィラメンカが色濃く浮かび上がっています」


「フィラメンカだと?」と眉間にしわを寄せるは、銀の長髪を持つ容姿端麗な男、ジャック・ジュネラ・ジッパーだ。
彼は端正なその顔に不機嫌な色を露わにする。


「フィラメンカっつったら・・・魔女の集会だったろ?」

「そうだよ」

「・・・チッ、あのカスメス豚どもが・・・まだ麻薬の集会してやがったのかよ」


ガンッとテーブルをけっ飛ばし、純白のそれの上に組んだ足を乗せる。
すると彼の向かいに座っている金髪の男が「キヒヒッ」といやらしい笑みを零す。


「なつかしい名前じゃねぇかァ、フィラメンカ・・・確かあのガット・ビターがblackに堕天使として送られた元凶だろォ」

「うるせぇぞ腐仁!! てめぇがアイツの名前を口にすんじゃねぇ!!」

「キヒヒッそりゃ悪かったなァ」


肩をすくめる腐仁と言う男に反省の色はない。
ジャックはそれに殺気をこめた視線をおくり、椅子を倒して立ち上がった。


「てめぇの顔を見てると胸くそ悪くなるぜ。俺は寝る」

「ちょ、ジャック!!」


Yのゴーグルを掛けた男が焦って彼を止めようとするが、捕まえた腕も易々と振り払われてしまう。
ジャックは綺麗な銀の髪を翻し、スタスタと扉の向こうへと消えてしまった。
どうしたものか、とテーブルの先に見える女・・・ボスを振り返る。

ボスは静かな金の瞳でジャックの背中を見据えているだけで、何も言おうとはしなかった。

暫く無言でいたかと思うと、不意に「続けて」の一言。
男は垂れる冷や汗を拭い、出て行ったジャックを気にしながらも話を続けた。




+++




「・・・ファッキン、バカ野郎が・・・ッ」


何故戻ってこない!!
blackkingdomは2ヶ月半前に一度崩壊する寸前までいったと言うのに・・・!!

ジャックは眉間に深くしわを寄せ、自室の扉のドアノブに手をかけた。
その時、丁度中から出て来たメイドと視線がぶつかる。
それが無償にむしゃくしゃして、拳を振るってその場をどかせた。

ドタンッと後ろでメイドが倒れた音がするが、知ったことか。


「・・・ガット・・・まさか約束を忘れてんじゃねぇだろうなぁ・・・!!」


彼が怒りに任せて細腕を振ると、すっぱりと傍のラックが真っ二つに割れた。