俺は107人の俺を犠牲にして生まれた。

アイツは112人のアイツを犠牲にして生まれた。

俺は俺を踏み台には出来ない。
そんな覚悟がない。
けれど、アイツはアイツを踏み台にした。
アイツにはその覚悟がある。

騎馬を従え王となるのは“覚悟”の違いだ。

影を踏んで光となるのは“恐怖”の多さだ。

アイツは王であるための“覚悟”を手にいれたくせに
頭蓋を砕き、死なせていった命を背負う“恐怖”に耐えられない。
だから、俺は誓った。

俺がてめぇの騎馬となり、影でありつづける事を。




43 :造られた命




+113番目の君+


アントラは静かにパソコンへ向き合い、ついさっき出て行ったジャックの背中を思い出しながらキーボードを打ち始めた。
窓から入り込む風が、彼の足下に積んであるファイルの一つをパララ、と開く。
みっちりと空白を埋め尽くす文字の羅列。
そこにはこう記されていた。

【試験管ベイビー。
それは単に試験管内で受精し造られたからではない。
“試験管”と呼ばれる機械に胎内にある羊水と同じ成分で造られた液体を浸し、その中に閉じこめられて育ったからだ。
理由は至って簡単。

立派な戦士に育てるため、だった。

クローン計画。

それは数々の天使や悪魔の成長を見守ってきた学校、“風濱”に備わった研究所の壮大な計画だった。
クローンのオリジナルとなった者は『ヴァルカン』と『ディルス』という2人の男。
かつてネーログェッラの発端となった2人の戦士。

ヴァルカンとディルスは学校側にとっては失いたくない優秀な卒業生だった。
それ故に、2人が死んだ後、このクローン計画が立ち上がったのだ。

しかし、そう簡単にいくはずはなかった。

計画の主旨は2人のクローンを造り、自分たちに忠実な“駒”を造る事。
そしてクローンは最強であり、残虐である事。
ヴァルカンやディルスの性格や人柄などは全く無視をした、残酷な計画。

死ぬ直前に採取し、冷凍保存しておいたヴァルカンとディルスの細胞、そして精子。
それらを使い、研究者たちは幾つものクローンを作り上げた。
小さな精子から細胞分裂を起こし、人のカタチをして、成長する様を何度となく見た。
皆が同じ顔、同じ声、同じ体つき。

一瞬目眩を起こすほど、それは異様な光景だった。

しかし、それらのクローンは次々に生まれると同時に、次々に死んでいった。
急激な成長に耐えられなかったのだ。

クローンとして生まれる事に、なんの支障もなかった。
ただ、自分たちの忠実な駒として使えるようにより早く成長し、より早く脳の発達を喘いだ研究者たちの、血も涙もない研究や投薬に犯されて、クローン達は死んでいったのだ。

そして、幾度となく無謀な研究、投薬、改造を施し、ようやく2体のクローンが出来上がった。


ヴァルカンをオリジナルとする、113番目のクローン、ジャック・ジュネラ・ジッパー。
ディルスをオリジナルとする、108番目のクローン、ガット・ビター。


2人は十数回の急成長を遂げ、痛みに耐え忍び、今の成体として成り立っている。

ここから先に記されるものは、その2人に起こった哀しい物語の一節にすぎない。
だが、あえてここに記そう。

それを使命と信じて。】




+++




【今度こそは上手くいくだろうな?】


ゴポ・・・


【確率は五分五分だ。やってみんと分からん】


コポ・・・


【しかしこれで113体目だぞ。そろそろ細胞のストックも腐り始めている】


ゴ・・・ポッ・・・


【クローンを造るのも、限界だ】


試験管越しに苦い顔を零すのは、数人の研究者。
それぞれカルテを持ち、何かを書き込みながら目の前の試験管の中に浮いているそれを見る。


「仕方ない。一気に10人作り上げろ」

「2人のオリジナルのクローンを10人ずつだ」


ゴポ、と口に添えられたマスクの隙間から、空気が漏れ出す。
研究者は小さく頷くと、それぞれの持ち場に戻った。
最後まで試験管の前に立っている男が、それを見上げる。


「・・・これで、113番目か」


ふわり、と試験管の中で銀の短髪が靡いていた。




+++




「ジャック!! 戻ってきなさい!!」


大声で叫ぶ女の助手の腕からするりと抜け出した見た目8際ばかりの少年・・・ジャックは、「ばーか!!」とからかいながら駆けていく。
その後を追いかける数人の大人達。


「定期検査の時間なのよ!! 戻ってらっしゃい!!」

「嫌だ!! 痛いのは嫌いだ!!」

「痛くないわ!! 大丈夫!!」

「やだ!! 注射も薬もレントゲンも全部嫌いだ!! 試験管の中に入るのなんか絶対やだ!!」


バタバタ駆け抜けていくジャックが、近くの木を器用に使って三角飛びを披露し、ひらりと屋根の上に飛び上がる。
追いかけていたナースや研究員や助手たちは唖然としつつ、「下りなさい!!」と叫ぶ。


「下りないよ!! あんな怖いのもう嫌だってば!!」

「ちょっとだけよ!! 貴方も早く大きくなりたいでしょう?!」

「なりたくない!!」


屋根の上からあかんべーをするジャックが、幼い顔で笑った。


「おれ、一生子供でいいもん!! “成長”があんなに怖いなら、子供のままでいい!!」




+++




「離して!! 嫌だ!!」

「煩いぞ!」


バシンッと容赦なく平手が降ってくる。
ガットは勢いのまま後ろに倒れ、頬を抑えて蹲った。
あまりの痛さに涙が滲む。


「世界に名を馳せる戦士の血を引いているくせに、叩かれた程度で泣くんじゃない」


しゃくり上げながらも、研究者を睨み付けるガット。
それを冷め切った目が見下ろしている。

すると不意に首を後ろに引っ張られ、ガシャン!!と言う音と共に首輪が駆けられた。
鉄製の、試験管に入った時に空気ポンプとなるものだ。
それを見て、顔を青ざめさせる。

またあの中に入れられる・・・!!


「や、やめ・・・いやだあああああああああああ!!!」




+++




恐怖に染められた幼い日々の中を過ぎて、数十年。
誰一人信用しないと心の誓った。
骨や筋肉の負担に耐えて、2人はすっかり成長した、その頃。


「や・・・やめろ・・・やめてくれ・・・」


恐怖に染まった瞳で願い請うてくる青年を冷めた目で見下ろすガットは、黒光りする拳銃の引きがねを引いた。
断末魔すら上げる余裕もなく、青年は地面に倒れ込む。
パーン・・・と快気な音を上げて放たれた音に驚いて、数羽の鳥が木の枝から飛び去っていた。

ヨーロッパのどこか・・・
鬱蒼とした森の奧に建てられた、ここ『風濱』と言う学校の敷地内では今まさにこの時、戦闘実践訓練が行われていた。
風濱は、闇光の世界で有名な戦闘員育成機関の一つ。
ガットは人間で言う12歳になったため、この風濱という学校に入学したのだ。

その風濱で行われていた実戦訓練は十数名に別れて班を作り、自分の持つ武器ただ一つで、相手チームの額のバルーンを割ると言う至って簡単なものだった。
だから、本来あるべきではないここ一帯に広がった血溜まりが、辛辣に目に映えた。

血溜まりの中をガットは緩慢に歩き始めた。

彼の周りには死体がごろごろと転がっている。
ガットの班の生徒も敵役の班の生徒も容赦なく額を打ち抜かれ、割れたバルーンが血と共に顔に張り付いていた。
勿論、実習とはいえ同じ班だろうと違う班だろうと、生徒を殺すなんて事はあってはならない。
しかし、ガットにとってそんなルールは意味を為さないものだった。
拳銃をホルダーにしまい、頬に散った血をぬぐい取る。


「クソつまんねー授業だぜ」


草に向かってツバを吐き、丁度良い木陰を探し求めるように校舎の見える庭を横切っていく。




+++




「弱ぇ弱ぇ弱ぇ弱ぇ・・・弱ぇんだよ!!」


一方その頃、同じ様に実習に取り組んでいたもう一人の少年が大声で吼えた。
結い上げていた銀髪を下ろし、地面に転がり呻く生徒の頭を踏みつける。
彼の周りもまた、血で染め上げられ班の生徒も敵の生徒も関係なく無惨に倒れている。


「ファッキン!! バカか!! てめーら今まで何やってた?!」


ズン、と地面に洋剣を突き刺し、ぐりぐりと生徒の頭を爪先で擦る。
すると額の切り傷から血を滴らせる生徒たちが少年を睨み上げた。
それに少年はエメラルド色の瞳に殺意を込めて睨み返す。


「何だ、何か文句あんのか?! 殺すぞ!! 首ちょんぱだ!!」


洋剣を高々と持ち上げ、踏みつけていた生徒の首を切り落とす。
それはぽーんと放物線を描いてどこかの草原の中へ転がっていった。
高笑いをする少年。


「ヒャハハハ!! いい様だ!! 俺に逆らうからだぜ!! あ?! そうだろ?! このジャック・J・ジッパーに逆らえばてめーらもみんな胴体とおさらばだ!!」


「ファッキン!! くたばれクズ野郎共が!!」と言い残し、洋剣を腰に巻かれた二本のベルトに差し込んだ。
ジャックはそのまま転がり半死半生の生徒たちを残し歩き去っていく。


「つまんねぇ!! もっと殺りがいのある奴はいねーのかよ!!」


ジャックはおおよそ小さかった頃の彼からは想像が付かないほど目つきが鋭くなり、華美な銀髪が伸びている。
成長するにつれて端正な顔立ちになり、もう幼い面影はどこにもない。

そして変わったのは外見だけではなく、かつては誰かを愛し信じる事を知っていた彼はどこにもいない。
数々の研究者たちによる仕打ちに、彼の心は凍てついてしまったのだ。
それはジャックだけにあらず、ガットもまた同じ。

2人の心は固く閉じてしまっている。

ジャックは暇を持て余して校舎へ向かって歩いていると、ふととある木陰の下で居眠りをしている少年を見つけた。
微かな風に掻き上げた金髪を靡かせている。
深く眉間に刻まれたしわからは、他人を信用しない意図が読み取られ、寝ていながらも警戒しているように見える。
ジャックは自然と歩幅を緩め、速度を落とし、ついには立ち止まってその少年を見据えた。


「アイツぁ・・・確か」


見た事がある。
そう、俺があのクソ狭い試験管の中にいた時に、ガラス越しに何度かちらっと見た顔だ。
確かガット・ビターとか言ったか。
イタリアの殺戮者、ディルスの遺伝子から創られた俺と同じ試験管ベイビー。

ジャックはにたりと口元に笑みを零すと、ガットの居る木陰に足を向けた。
近付くにつれて、なるほど、やっぱりそうだ。と確信が沸いてくる。
それと共に、体の奥底から殺戮本能が騒ぎ立てる。
分厚いベルトから洋剣を抜きはなつ。
起き様に斬りつけてやろう。
そう思い、足音をなるべく立てずに近付くと、ジャックの殺気に気付いてか、ガットが飛び起きてホルダーから拳銃を抜いた。
刹那、ジャックの洋剣が円を描くように斜めに切り込まれるが、ぱっとそれを避けるガットがジャックの眉間に向かって発砲する。
ドンッとジャックの体制が後ろに引っ張られたが、倒れる事はなく器用にブリッジの状態から上半身を起こす。
その口にはガットの拳銃から放たれた銃弾が、まるで噛むように受け止められていた。

ただものじゃねぇ。
ガットは体制を整える。


「てめぇ、ガット・ビターだろ」


ガットを見下ろし、ジャックがにたりと笑みを零す。


「あぁ? 何で知ってんだ。てめー誰だ?」

「俺はジャック・J・ジッパー」


ジャックが銃弾を吐き出した。


「てめぇと同じ、試験管ベイビーだ」


目を見開くガット。


「俺と同じ・・・試験管ベイビーだと?」

「あぁ。てめぇはイタリアのディルスの遺伝子から創られたんだってな?」

「・・・よく知ってるな」

「俺はドイツのヴァルカンの遺伝子から創られた」

「・・・」


何の用だ、と視線で問い詰めるガットに、ジャックは洋剣を肩に担ぐ。
その拍子にさらりと彼の肩まである銀髪が軽く靡いた。


「退屈してんだ。俺と殺り合え」


何を言ってるんだ、コイツは・・・。
ガットが眉間に皺を寄せると、不意にジャックが「ヒャハハハ!!」と高笑いする。


「説明なんざいらねぇだろ!! てめぇも俺と同じモルモット!! プログラミングされた本能はそう変わらねぇ筈だ!!」

「何を言ってやがんだ、てめーは」

「分からねぇなんて言わせねぇぜ!! てめぇも俺も戦闘の為、命を奪う為だけに創り出された人形!! 死ぬまで殺戮のダンスを踊り続けるマネキンだろ!!」


ピクリ、とガットの眉がつり上がる。


「殺し合い!! それだけが俺達の快楽だ!! 拳じゃねぇ、剣だ!! 銃だ!! 殺しの道具で相手を八つ裂きにする事をてめぇの脳みそにインプットされただろうが!! その為の手段も!! 力も!! 俺達の中には書き込まれたはずだ!! あのクソ狭い試験管の中でなぁ!!」


「そうだろ?!」と洋剣を振りかざし、ガットへと振り下ろすジャック。
それをかわすが、振り下ろした剣を軸に、ジャックが足払いをする。
受け身を取って地面を転がり、体制を立て直すガット。
しかし既にジャックの足がガットの横っ腹をけっ飛ばしていた。

左方向へ吹っ飛ばされるガット。
この野郎・・・なんて早さだ!!
地面を滑っていき、スピードを殺すと蹴った足を上げたまま静止しているジャックを睨み上げる。
ジャックの顔には、ついさっきまでの笑みはなかった。


「なんだてめぇ。殺る気はねぇのか?」

「うるせぇ・・・ここでゴチャゴチャやるとセンコーが後で面倒なんだよ。俺なんかに喧嘩ふっかけずに他の野郎の所に行け」

「オイオイオイオイオイオイオイ・・・・・・」


苛ついたように頭を振るジャック。


「ファッキン!! バカ言ってんじゃねぇぞ!! 良い子チャンぶってんのか?! あぁ?!」


そこらの草を切り落とすようにジャックがなりふり構わず剣を振るう。
その度に空を裂くような音が耳を襲った。


「理性なんざ捨てろ!! んなもん必要ねぇだろ!! 面倒だと言い逃れられる運命だと思ってんのか?! 本能だ!! 理性で押さえ付けるな!! てめぇの本音は何だ?! 俺を殺したくはねぇのか!!」

「うるせぇって言ってんだろ!! てめーと俺を一緒にすんな!!」


ガンッと再びジャックの眉間に向かって発砲すれば、今度は軽々と手で受け止められてしまった。
ジャックは受け止めた銃弾を掌で転がし、落胆したように握り潰す。


「なんだ、てめぇも奴らと同じクズか」


潰れた銃弾がコロン、と落ちた。
ジャックは洋剣を引き摺りながら、スタスタとガットに背を向け歩き出す。
「オイ」とガットが声を掛ければ振り返りもせず、


「つまんねぇ野郎に興味はねぇ」


それだけ言い残し、校舎の正門の中へと姿を消した。