その顔の傷を復讐の念とするのなら、俺はこのクラウンに誓おう。
邪魔となる全てのものを滅ぼし、我が爪に血を、牙に肉を。
頭上から降りかかる深紅の雨にうたれながら。
『一生てめぇについて行く。俺だけはてめぇを裏切らねぇ』
その言葉だけを信じ。
その存在だけを真実として。
この腐りかけた世界の頂点に立つ、王者になることを。
45 :顔の傷
+誇りと友の命+
土曜の朝。
凌は学校がない事を良いことに、夢喰い屋のソファで寝転がっていた。
最近使うようになったパソコンはテーブルの上に開いたまま置かれている。
温かい春の光が、瞼越しに輝きを運んでくる。
そんな静かな空間に「こんにちはー」と澄んだ女の声が入り込んできた。
「あら、またこんなところで寝てるの?」
「・・・何しに来たんだよ、店長」
眠たい目をこすりながら、聞き慣れた声のする方を見る。
無断で部屋に上がってきた杉村はにっこり笑みを零し、凌の寝転がる向側のソファに腰を下ろした。
その際に綺麗な漆黒の髪が揺れる。
「で?」と上体を起こす凌。
「実はblackkingdomの事を調べてたら面白い情報を聞き付けたのよ」
「だから教えてあげようと思って」とほほ笑む彼女。
凌はそれに軽く眉を寄せ、頬杖を付いた。
「何の話?」
「とある可哀想な2人の天使のお話」
「・・・ガットの事?」
「よく分かったわね。じゃぁもう1人は?」
「知らね」
興味ねぇし、とそっぽを向くが、ふと思いついた単語に口にしてみた。
「ガットと約束したとか言う奴?」
「ご名答。その天使の名前をジャック・ジュネラ・ジッパー」
「名前くらい聞いた事あるでしょう?」と青紫の瞳が凌を捕らえる。
確かに、聞いたことある名前だ。
どこでだったか・・・覚えてないけれど。
「ジャックは今whiteemperorのU席よ。実力はwhiteとblack合わせてもずば抜けてるわ」
「おーこわ」
「そんな彼が何でwhiteのボスの座にいないか、分かるかしら?」
「・・・さぁ」
どうせ考えたって分かりゃしないだろう、とすぐに返事を返す。
杉村は特に気にする事もなく唇を開いて、回答を紡ぎ出した。
「ジャックはwhiteのボスとある取引をしてるの」
「取引?」
「そうよ」
最近よく聞く単語だなぁ、と頭をかきながらそう思う。
「ジャックは自分がボスの座を譲り絶対的な忠誠を誓う代わりに、blackへ堕とされたガットを幹部にのし上げる事を取引したの」
ピク、と凌の眉が寄った。
ガットの命と取引に、ボスの座を譲った?
「普通だったら等価交換とは言えないでしょうね。でもジャックは学生時代から手の終えない性格をしていたの」
「・・・」
「そんな彼が唯一心を許したのが、ガットだったのよ」
「ふーん・・・」
「彼は自己顕示欲が強くて誇り高いから、自分より上に立つ全てのものが気に食わなかった。頭にきたらすぐに首をはねていたそうよ」
あっぶねー奴。
よくもまぁそんな危険な奴とガットはつるんでいられるな、と心底思う。
っていうか、ガット自身も結構危ない奴なのか。
「そんな彼がたった1人の男のために自らの誇りを汚して他人の下に付くなんて驚くべき事よ」
「・・・そのジャックって奴、そんなにガットと仲いいのかよ?」
「えぇ。ジャックとガットが互いにしか心を開かない理由は1つ。2人とも、何百の犠牲を払って出来たクローンだからよ」
クローン。
その単語に、凌の瞳が微かに見開かれた。
+++
「どういう事だオイ!!」
whiteemperor。
光の世界で最大の勢力を持つマフィアの“ボス”である女、クリスに向かってジャックが大声を張り上げた。
「何でガットがblackkingdomに送られなきゃなんねぇんだ!!」
「・・・理由はこの書類に・・・」
「てめぇの口で話せクソ女!!」
あまりの暴言に傍にいたアントラが止めようとするが、視線すら向けることなく、ジャックはクリスを睨み付けている。
クリスは静かに口を開くと、真顔のままするりと言ってのけた。
「ガット・ビターは麻薬売買の嫌疑を掛けられたの」
「んだと?!」
「現場を腐仁が押さえてくれたの。フィラメンカと言う魔女の集会場所だった」
「フィラメンカ・・・?」
聞いた事ねぇ集会名だ、と寄り一層顔をしかめる彼。
クリスはそんなジャックから視線をそらすと、「もういいかしら」と立ち上がる。
「今からガットをblackkingdomに引き渡しにいかなければならないの」
どうすればいい?
何とかガットを引き留めたい。
しかし今の彼の力では、それは到底、無理な話だった。
whiteに入って数十年。
在学中の学校から引き抜きされ、そのまま幹部につくほどの実力を持っていても、だ。
解決の糸口が見付からない。
アイツは抵抗してるだろうか。
暗い牢屋に入れられ、死を待つだけのその世界に引きずり込まれる事に。
そうは、思えなかった。
アイツは時々情けねぇと思うほどしおらしくなる時がある。
きっとblackに連行されるこの瞬間でさえ、アイツは手に錠を掛けられ何食わぬ顔で歩いているのだろう。
潔いと言えば聞こえが良いが、ジャックにとってそれはガット自身への侮辱だった。
プライドが無いわけじゃない。
ガットはジャックとのプライドの“あり方”が違うのだ。
誇り高きジャックのプライドは、例えるならまさに剣。
真っ直ぐすらりと鋭い刀身のように、触れるもの全てを切りきざむ諸刃の剣。
それにくらべ、ガットのそれはひどく柔軟で、己がこうであると信じた方にしか進まない銃弾。
引き金を引くタイミングをその指に任せるように、ガットのプライドは表だって現れる時と現れない時とがあった。
そして、何となく確信していたのだ。
ガットは例え陥れられた嘘の疑惑だろうと、抵抗などしない。
奴はまるで黄金の鬣を靡かせるライオンのように、そこで沈黙を保つのだろう、と。
そう思ったら、いてもたってもいられなかった。
さっさと部屋から出ていこうとするクリスを引き留めるために、ジャックが「待て!!」と吼える。
振り返ると、彼は強く拳を握り、手に持っていた大降りな剣を床に突き立て膝を折った。
アントラとクリスが驚いたのは、言うまでもない。
「誓ってやる。俺はてめぇに尽くす」
「・・・」
「だから」
顔を上げたジャックの頬を冷たい汗が伝った。
「だから、ガットをblackkigdomの幹部に引き上げろ! アイツにはその力がある!!」
「・・・何を言い出すかと思ったら・・・」
「てめぇなら出来るだろ、双子勢力の片割れを仕切ってんだ」
「どうだ、ボス」と恭しく発した言葉。
このwhiteに来てから、初めて彼が彼女の事を“ボス”と言った瞬間だった。
クリスは静かに振り返ると、数歩ジャックに近寄る。
「・・・いいわ。ガットを死刑囚から幹部に推薦してみましょう」
ぱっと顔を上げるジャックに、クリスが冷たく言い放つ。
「ただし、貴方が私に忠誠を誓っている間だけ、私の守護を彼に。貴方が私を裏切ったその時は彼の命はないものと思いなさい」
「いいわね?」と淡々と言葉を発し、クリスが部屋を出て行った。
その姿が消えてすぐに、アントラがジャックにかけよる。
「ジャック! すごいよ!! 初めてボスの事・・・」
「くそ!!」
アントラの言葉を遮るように、ジャックの屈辱に満ちた声が響いた。
ドンッと絨毯を殴る度に、ミシミシと床が唸った。
「くそ!! くそ!! くそ!! くそ!!」
「ジャ、ジャック・・・」
「ファッキン!! この俺が!! このジャック・J・ジッパーが!! 女の下につくだと?! ざけんな!!」
屈辱と怒りに揺れるエメラルドの瞳がクリスの出て行った扉を睨み付ける。
「いつかあの女を切りきざんでやる!!」
+++
「ガットがwhiteに戻りたがる1番の理由は、これでしょうね」
「・・・」
「おそらくガットは“王”ではなく“騎馬”に向いてる性格だったんでしょう。ジャックが他人に膝を折る行為が耐えられないのよ」
「・・・ジャックは」
何と言うべきだろう。
言葉に詰まって、一旦唇を閉じる。
少し経って、言いたいことを整理してから再び凌が口を開いた。
「ジャックは、プライドを捨ててまでガットの事救いたかったんだろ?」
「・・・そうね」
「救いたかったって言うか、助けたかったって言うか、よくわかんねーけどとりあえず、死なせたくなかったんだろ?」
「そう。相当辛い事だと思うわ。彼にとって、苦肉の選択だったんでしょう」
もしも俺が同じ立場に居たら、どうしただろうか。
ジャックと同じ事が出来たか?
気に食わない相手に膝を折り、自分より格下に忠誠を誓うなんて事が耐えられるだろうか?
もしくは、そうする友の元に戻るために、ガットのように一生懸命になれるだろうか。
なれはしない。
きっとどこか心の隅で諦めを感じ、怠けてしまう。
そう考えると、この2人はどれだけ屈強な精神をしているんだろう、と思う。
深く考え込んでいた凌に、杉村が「それで・・・」と話を続けた。
「今、ジャックはフィラメンカを潰すためにクスコへ向かったそうよ」
「クスコ? ペルーの?」
「えぇ。フィラメンカは7つのファミリーで造られた魔女の集会。拠点をクスコに置いて、残りの6のファミリーは世界に散らばっているの」
「どこら辺だよ」
「分からないわ。web上で調べても私の蜘蛛たちを送り込んでも何の情報も得られなかったの」
この杉村が何の情報も得られなかった、とは相当だ。
ついさっき食べた昼ご飯のメニューを知っていたりするこの杉村が。
「でもそれじゃ悔しいからあら探ししてみたの。で、その結果、数十年前ガットがフィラメンカで麻薬売買をやっていたって言う疑惑が掛かった事件の事が分かったわ」
「あれは罠だったのよ」と声のトーンを低くして、杉村が話し始めた。
+++
ガットは暗闇に包まれた牢獄の中で、1人簡易的なベッドに腰掛けていた。
手には錠。足には枷の先の鉄球。
窓はない。
三面を漆黒のレンガが覆い、残った一面に冷たく立ち並んだ鉄格子がある。
ざらついた足下は、きっと掃除もされていないのだろう。
ずきんずきんと傷む顔の傷。
縫い合わされ、ガーゼに包まれたその傷のせいで左目を開ける事が出来ない。
何もかもが真っ黒のそこに、白い服、金の髪の自分はひどく異質だった。
ガットは忌々しげに舌打ちをし、蜘蛛の巣の張った天上を見上げる。
ジャックの奴、キレてんだろーな。
アイツの事だ、俺がblackkigdom送りにされた事を聞いたら怒り狂うだろう。
昔誓った俺の言葉。
『一生てめぇについて行く。俺だけはてめぇを裏切らねぇ』
あれは確かジャックに会って3年目だったか。
よく覚えていないが、確かにガットはその言葉を口にした。
自分にはない強さを持っているジャックに惹かれ、その弱さを知り。
俺はアイツに誓ったんだ。
それをアイツは鬱陶しいと思ってんだろう。
俺が勝手にそう言っただけで、アイツはへとも思ってないかもしれない。
いや、むしろ忘れている可能性の方がでかい。
ジャックはそう言う奴だ。
自分の妨げとなる者は女だろうと子供だろうと、容赦なく斬り捨てる。
あの容姿端麗さで女には困らないだろうジャックが、未だにこれと決めた女がいないのはそのせいだ。
ガットはふぅ、と息を吐き出して手に填められた錠を見下ろした。
助けなんて求めてはいない、だけど、期待してないと言ったら嘘になる。
どこか心の隅でジャックが来るんじゃないか、と思ってしまうのだ。
・・・ばかばかしい。
こんなとこに入れられた時点で、アイツにとって俺は“足手まとい”になったはずだ。
そんな俺をジャックが助けるとでも?
まさか。
「カッ。どうせ忘れられた誓いなら、破っても関係ねぇだろ」
苦しげに寄った眉と、細められた目。
ガーゼに覆われた顔の傷が疼く。
壁に預けた重たい頭。
ゆっくり瞼を閉じると更に深い闇がやってきた。
「誰が忘れたって?」
突然聞こえた聞き慣れた声に、勢いよく目を開いた。
鉄格子に閉ざされた方へと視線を移せば、そこに流れる銀の髪が見えた。
「ジャック・・・?」と疑い半分の声を出す。
ジャックは腕を組んでにやりと笑い、「よぉ」と軽く手を挙げた。
「てめぇ何やってやがんだ。バッカじゃねーのか」
「あぁ? んだとコラ。俺だって好きで入ってるわけじゃねーよ。つーかそっちが何でblackにいんだよ」
「クリスに・・・ボスについてきた」
“ボス”と言う単語に、ガットが不愉快な顔を見せた。
ジャックはそんな彼を見下ろし、澄ました顔で話を進める。
「てめぇをblackkingdomの幹部に推薦しといた。ダーツの野郎は意外と物わかりがいいぜ」
「・・・どーいう事だ」
「てめぇがあのディルスのクローンだって言ったら、実力を見るまでもなくY席を空けてくれた。今日からてめぇがblackのY席だ」
「オイ、待て。どういう事かちゃんと説明しろ!」
思わず立ち上がって鉄格子の前に進む。
ジャックを睨む付けるガットに、彼は細めた目を向けた。
「てめぇ、何をした? あの女のことボスっつったろ・・・何でだ。答えろジャック!」
「・・・クリスに俺のプライドを売って、てめぇの命を買った。それだけの事だ」
「はぁ?!」
「何やってんだてめぇ!!」と錠の填った手で鉄格子を掴んだ。
見たこともないくらい落ち着いたジャックの表情が、胸を抉る。
なんなんだよ、てめぇは。
何で誇りを売ってまで、俺を助けた。
てめぇは王になるんだろう?
全てのものを跪かせ、俺達を“クローン”だと、“コピー”だと呼んだ奴らに復讐するんだろう?
そのタメにてめぇは気高く誇り高くあるべきなんだ。
何があろうと、それが例え常人を掛け離れようと。
てめぇは弱気になっちゃならねぇ。
てめぇは常に前ばかりを見て、血の滴る道を進むべきなんだ。
それの妨げとなるのなら、俺なんて斬り捨てろ。
てめぇは気高く誇りに満ちた、慟哭する獅子でなければならないのだ。
ジャックの真理が理解できなくてガットが深く眉間にしわを寄せる。
それは端から見ればひどく傷ついたような顔だった。
ぴくり、とジャックの眉が微かにつり上がる。
「ゔぁかじゃねぇのかてめぇ!! 何勝手な事・・・!!」
「ファッキン!! 勝手はどっちだクソ野郎!!!」
目にも止まらぬ速さでジャックの腕が動き、鉄格子の間を擦り抜けガットの胸ぐらを掴み上げた。
さっきまでの無表情はどこにもなく、怒り狂った瞳がガットを睨み付けている。
つり上がった眉、への字に結ばれた唇からも相当機嫌が悪い事が見て取れた。
ジャックはガーゼで覆われたガットの左目とコバルトブルーの右目を交互に見つめた。
「てめぇ、俺に誓った言葉破る気か!! あぁ?!」
「破るって・・・覚えてたのかよ・・・」
「ったりめーだろ!! バカにしてんのか!!」
ぐぐ、とガットの胸ぐらを掴むジャックの拳に力が入ったのが分かる。
見ればそのエメラルドの瞳が、泣き出しそうなほど哀しい色を帯びていた。
思わず目を見張る。
「てめぇも俺を裏切んのか?! 言っただろ!! 俺だけは裏切らねぇって!! 違うか!! あぁ?! ガット!!」
「・・・ジャ、ジャック・・・」
「いいかガット!! 今ここで俺に誓え!!」
ぱっと手を離したジャックが、その手を拳に変えてガットに尽きだした。
「ぜってー生きてwhiteに戻ってこい!! ぜってーだ!! いいな!!」
真っ直ぐな眼差しに、ガットがジャックの拳を見下ろす。
沈んでいた気持ちがうずうずと浮き上がってくるのが分かった。
一度怒鳴られたからだろうか。
モヤ付いていた胸がすうっと通っていく。
そして同時に、嬉しかった。
何だコイツ、ちゃんと覚えてたんじゃねぇか、と。
「Io ritorno da tutti i mezzi」
“必ず帰る”
今度は勝手に破ったりしねぇからさ。
ゴツ、とジャックとガットの拳がぶつかった。
生気の戻ったガットの瞳を確認し、ジャックが柔らかく笑う。
「で、ガット。何だその顔の傷は」
「あぁ、これか? 腐仁にやられた」
「腐仁に?」
そう言えばフィラメンカの現場を腐仁が押さえたと言っていたな、と思い出す。
あの嫌らしい笑みを零す顔を思い出すだけで不愉快な気持ちになっていく。
「ジャック、アイツにゃ気をつけとけ。実際俺はアイツに填められてこんなとこに来るはめになったんだからな」
「・・・詳しい話は後だ」
「それより」とジャックがポケットから黒い鍵を2つ取り出す。
その一つをガットに渡す。
「前まで使ってた白鍵を渡せ」
「は?」
「いいから渡せ」
出すように催促するジャックの掌に白い鍵を渡す。
ジャックは2つある鍵の片割れを右手に持ち、もう片方をガットに返した。
両手に乗せられた白と黒の鍵に視線を落とすガット。
「てめぇの鍵だ。中身は銃のまま」
「・・・何でそっちの2つをてめぇが持ってくんだコラ」
「いいだろーが」
「じゃぁなぁ」と背を向け歩き出すジャックの口元には、やんわり笑みが灯っていた。