あの顔、あの声、あの手、あの、存在。

思い出すだけでも、俺を蝕んでいく。
思い出すだけでも、


俺の精神をぶっ壊していく。




47 :目眩




+発作+


「しっのっぐっ!」

「うるさい」

「俺まだ何も言ってないんだけど!!」


「存在自体がうるさい」と小さく呟いた凌の言葉に深く心をえぐられつつ、優生はめげずに身を乗り出した。
机に突っ伏して完全に睡眠モードになっている凌にも構わずに、その上から語りだす。


「あのさ、今3月じゃん? もう直ぐ桜の季節だろ?」

「あーそうですねー」

「そしたらさ、やっぱり花見したいじゃん!」

「んーそうですねー」

「もう巫人と亜月は誘ってあんだけどさ、凌どうする?」


ぴく、と凌が反応を示し、顔を上げた。
その視線は優生ではなく、その後ろにいる亜月に向いている。
その視線に気付いた亜月は苦笑を零した。
おそらく、人間狩りが続いているこの時期に出かける約束をしたことに怒っているのだろう。


「な、どうする?」

「花見て飯食うだけの事になんでそんな行きたがるんだよ」

「みんなでやるってのが楽しいんじゃん! なー、行こうぜー?」


がたんがたんと座っていた椅子を揺らし、子供のように駄々をこね始めた優生を見て、凌は思い切り目を細めた。
それから亜月にもう一度目を移し、溜息を付く。


「行ってやる変わりに向こう昼寝の邪魔すんなよ」

「なんか可笑しくね? その条件。俺が何時邪魔したってんだよ」

「今正にしてんだろーが。お前少しは自分の行動見直せ」


ソレだけを言うと、凌はまた机に伏せ、すやすやと寝息を立て始めた。
反論しようとした優生は慌てて口を手で押さえ、起こさないようにと気をつける。
そこまでして凌も連れて行きたいのか、と、巫人は小さく苦笑した。




+++




「・・・保護者?」

「うん。近くにいい花見の場所がないから、少し遠出しようと思うんだけどさ」


昼休み、昼食を取りながら花見についての計画を話していた時、唐突に巫人が声を上げた。
凌が眉をしかめ聞き返すと、巫人はその不機嫌な表情もものともせず、にこにこと笑顔で語り始める。


「最近、いろいろ物騒な事件が起きてるだろ? だから、俺達だけじゃ何かあったときまずいと思うんだよね」

「言われて見ればそうだなー・・・でも保護者って、どうすんだよ」

「俺の両親は忙しくて無理。優生は?」

「かーさん働いてるし、とーさん今家にいねーよ」

「あたしのとこは親いないから・・・」


亜月が小さく呟いた後、三人の視線がゆっくりと凌へと向いた。
こんな展開になるのではないか、と少し予想はしていた凌は盛大に溜息をつき、額を手で押さえる。


「行かなきゃいいだろ、面倒臭い」

「えー、折角ここまで計画立てたんだし行きてーじゃん」

「凌は誰か大人の人でついてきてくれそうな人いないの?」


巫人が改めて聞きなおすと、珍しく少し迷った様子だった。
それから少しの間を置いて、もう一度溜息を付いて疲れきった声で呟いた。


「一応聞いてみる。断られたら諦めろよ」

「おう! それじゃしょうがねーもんなっ」

「ありがとー、凌」


巫人と優生が笑顔で返事をしている中、亜月だけは心配そうな顔で凌を見た。
いったい誰に保護者を頼むというのか、一抹の不安を覚えて顔が引きつる。
何しろ、凌の周りの大人たちは全員が全員異常なのだから。




+++




「ふざけるな。死にたいのかね」

「ですよねー」


ピリピリと殺気を放つポイズンに話を持ちかけた凌は、内心ほっと息をついた。
そもそもポイズンが花見についてくるなど全くもってありえないことだと分かっている。
わざと聞いて、そして断られたという口実を作る為にポイズンに話を持ちかけたのだ。

これで花見に行かなくとも良いだろう、と凌は息を吐いた。


「あら、何の話?」


背後から聞こえた声に、凌はのんびりと振り返った。
珍しくポイズンの病院へ顔を出していた杉村店長が、にっこりと微笑んで凌に訪ねる。


「花見ですって? 楽しそうね」

「話聞いてんじゃねーか」


おそらくドアの向こうで立ち聞きしていたのだろう。
杉村店長のにこにことした笑顔を見て、凌はいやな予感がした。


「私でよければ引率してあげるわよ? 凌」

「・・・・・・」


何故こういう予感ばかりが当たるのだろう、と、凌はおもいっきり溜息を付いた。




+++




「え、無理?」

「そー」


国語の時間を使い、席が近い事を良いことに優生に保護者が付けない事を伝える。
と言うより、杉村の了承は得られたが、彼女を保護者として連れていくのはどうかと思ったからだ。
オスカーなら性格的にも面倒見の良さから言っても申し分ないのだが、もしそうするとあのバカ3兄妹までついてくる事になる。
そして他に保護者と言えそうな顔が思いつかないのもまた事実だった。

しかし優生は納得できないらしく、途端不機嫌な顔を作った。


「そんなー・・・凌んとこだけが頼りなんだぜー」

「知るかよそんな事。諦めろ」


どうでもいいと言わんばかりの凌の言いぐさに、むっとする。
優生は国語の教科書で顔を隠すと、凌の方に顔を向けた。


「ホントはさー行きたくねぇから無理とか言ってんじゃねーの?」

「お前バカですか」

「だってその態度じゃそうとしか思えねーし。つーか凌の親って何やってんの?」


「俺んちは共働きだし、巫人んちは神父とシスターだし」と指折り数える優生の言葉に、凌の眉がぴくりとつり上がった。


「高校生なのにそんなコロコロ髪染めても何にも言わねーの?」

「・・・うるせーよ。何でもいいだろ」

「よくねーよー」


「なーなー」と興味津々な優生の瞳に苛ついた。
何を期待してるのか分からないが、きっとコイツの事だ。
どうせくだらない事を考えてるんだろう。

しつけぇ・・・

授業と言うまどろみの世界が一気に崩れていく。
脳裏に霞む、あの悪夢。

血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血

そこらかしこ、血 だ ら け 。

気分が悪くなる。
ぐらりと視界が歪んで、吐き気に襲われた。
やばい、いつものだ・・・と口元を覆うが、優生は構わず「なー? オイ聞いてんのかー?」とひっきりなしに聞いてくる。
イライラして、目眩がして、先生の声と、教科書を読み上げる生徒の声と、優生の声。
そして夢の中の自分の悲鳴がごちゃまぜになって耳に張り付く。

そしてついには「親の事くらい教えてくれたって・・・」と言いかけた優生の言葉を遮るように、凌が立ち上がった。

クラスの音が消え、先生が黒板に書いていた字を休め振り返る。
元々色白なのに拍車が掛かり、もはや包帯と同じくらい青白くなった凌が教科書もノートも開きっぱなしで、鞄も持たずに教室の扉を目指した。
「山本?」と先生が駆け寄って肩を掴む。


「触んな!」


しかしそれは勢いよくはね除けられた。
ギロリと睨む凌の瞳には確かな殺気が宿っている。
先生ですら、一瞬怯む。


「ちょ、ちょっと待て山本。どうした。気分でも悪いのか?」

「うるせぇ」

「こらッ ちゃんと人の話を・・・」

「黙れ」


クラス全員が目を見張る。
それもそのはずだ。
凌はクールな部類に入っていたのだから。

亜月が止めに入ろうと立ち上がると、はっとしたように凌が踵をかえす。
そのままよろけながら教室の外へ出て行ってしまった。


「山本・・・」


シーンと静まりかえった教室に、窓から入り込む風が悪戯の凌の教科書を捲っていく音だけが響いた。




+++




なんで、だれもぼくをあいしてくれないの。

なんで、あなたはそんなにぼくをにらむの。


ふらふら揺れる足取りで、凌は壁づたいに学校を出た。
吐き気がひどい。
気が遠くなりそうだ。


ぼくがなにかしましたか?

ぼくがわるいことをしましたか?


霞んでいく視界に、荒い呼吸。
学校を出て数十メートルのところで、膝をついた。


ぼくはあいがほしかった。


噎せ返ってきた気持ち悪さに、路上にそのまま嘔吐した。
酸っぱい胃液が口の中に広がって、さらに気分が悪くなる。


ふつうのこどものように、あいがほしかった。

それだけなのに。



も、むり。




それだけ、なのに。




凌はそのまま道路へ突っ伏した。