不機嫌な顔を露わにしながら、もう歩き慣れた道を進む。
アイツの家までの道程にある学校の角を曲がったその時。
「凌・・・?」
48 :トラウマ
+うなされる君+
「おいポイズン!!」
「何だね騒々しい」
回診の途中だったのか、不機嫌な声を零すポイズンはカルテを睨んだまま返事を返す。
牟白はそんなポイズンの返答に眉を寄せ、“ソレ”を担ぎ直す。
「オイ!!」ともう一度声をかけると、目にも止まらぬ速さで牟白の首筋にメスが向けられた。
見れば、包帯に包まれた手がそれを握っている。
「見て分からないかね。今私は回診中・・・」
威嚇するように振り返るポイズンが、牟白の肩に担がれている“ソレ”を見て、言葉を詰まらせる。
「凌・・・」
ソレは真っ青な顔をした、凌だった。
+++
「いつもの発作か?」
パタン、と病室から出て来たポイズンを待ち構えていたように、壁に寄りかかった牟白が呟いた。
ポイズンは薬の入った小瓶とカルテを手に、ちらりと彼に視線を流す。
包帯の隙間から覗く金色の瞳が静かに閉じられた。
その際に溜息と共に「あぁ」と言う肯定の言葉がこぼれ落ちる。
「トラウマによる精神病だ」
「アイツ、最近はそんな事なかったじゃねぇか」
「・・・blackkingdomの一件などで忙しかったから昔を思い出す事もなかったのだろう」
ポケットに手を突っ込み、一枚の紙を取り出す。
細長い流し字が、そこにさらりと書かれていた。
牟白はそれを怪訝そうに抓み、「何だよ?」とゴーグル越しに文字を見据える。
「買ってきたまえ。今私は忙しくて手が離せないんだ」
「・・・疲夜にでも行かせろよ」
「生憎、疲夜も殺舞も繁華街に買い出しに行かせている」
げぇ、と嫌な顔をする牟白が、ぐしゃりと紙を握りつぶした。
それを見下ろし、ポイズンがすまし顔のまま言い放つ。
「言っておくが、それは凌の栄養剤を造るのに必要な材料だぞ」
「・・・」
少しの間拳となっていた牟白の手だが、ゆっくりと開いてしわを伸ばした。
「はぁ・・・なんで俺が・・・」と肩を落とす牟白を残し、ポイズンは踵を返す。
灰色の廊下を横切りながら、彼は手に持っている薬の小瓶を握りしめた。
凌は、まだあのトラウマを克服してはいないのだ。
母を殺され、父や親族を喰い。
そしてそれを悔やむが故に、凌は過去に縛られる。
あぁ、なんて愚かな事だろう。
診察室の扉を開き、中へ入る。
揺れるカーテンの下に、小さな写真が立てかけてあった。
それを手に取り、穏やかな目を向ける。
「あわよくば、月明かりのような穏やかな夢を」
+++
不安げに道を歩く優生に、亜月が「大丈夫だよ」とほほ笑む。
優生は小さな唸り声を上げ上の空でトボトボと歩く。
そんな様子を見ながら、彼を挟むように歩いていた巫人と亜月が溜息をついた。
「優生が何を言ったかは知らないけどさ、なにも全部優生が悪いわけじゃないよ?」
「そうだよ、それに突然立って出てっちゃった山本も悪いわけだし・・・」
「ね?」と笑いかけ、『山本』と書かれた表札を指さす。
「あそこだよ」
「・・・凌、いるかな」
「いるんじゃないかな。だってほら、山本の行くとこなんて学校と家くらいだし」
よっぽど凌が怒った事を気にしているのだろう、優生はいつまでもネガティブだ。
亜月はインターホンもなしにガラリと戸を開ける。
靴を見ると、翔の靴だけがそこに転がっていた。
「翔くーん?」と中に呼び掛ける。
すると部屋の奥から「なーにー」と言う声とともにトタトタと小さな足音が聞こえてきた。
「あれ、亜月おかえり。凌は?」
「え? 山本、帰ってきてないの?」
「うん。まだだよ。一緒じゃないの?」
不思議そうに首を傾げる。
ひょい、と亜月の後ろを覗く翔のゴーグルに巫人と優生の不安げな顔が映る。
それを見上げ、察しの良い翔が幼い顔に灯っていた笑みを消した。
「・・・凌に、何かあったの?」
呟く翔の声に、亜月が目を伏せる。
「えっと・・・」と遠慮がちに唇を開いて、優生に聞いた事を話した。
親の話をしたこと、それから凌が急に青ざめて、授業中だと言うのに帰ってしまった事。
それを聞いて、今度は翔の顔が青ざめた。
「発作だ・・・」と囁いた翔が、走り出して廊下の電話を手にする。
急いで番号を押し、受話器を耳に押し付けた。
「博士!! そこに凌いる?!」
せっぱ詰まった翔の声。
ぼそぼそと、落ち着いた声が多少くぐもりながらも受話器からこぼれ落ちてくる。
耳をすませば、それがポイズンの声だと認識できた。
「凌、大丈夫なの?!」
響く翔の声が、立ち尽くす亜月たちの不安を募らせた。
+++
「出来損ないが」
冷たい声が、胸に突き刺さる。
「何故お前の母親が殺されたか、分かるか?」
「正妻じゃないからだよ」
「お前の母親は、正妻の雛菊様を差し置いて杜若様の後継者を産んだからだ」
「その右目は呪われているよ」
「その肌の色は気持ち悪い」
「まるで幽霊だ」
「杜若様の金の目を受け継がなかった」
「お前の左目はなんだい、血の色だね」
「お前の母親・・・葵は私が殺した」
「呪われた子」
「杜若様に似ても似付かない」
「汚らわしい」
「何でお前のような子が・・・」
「産まれて来た理由などないだろうに」
無意識のうちに強く握るシーツ。
指先が白くなるほどの力が入っている事に気付いて、牟白は凌の手を取り開いてやる。
うなされ続ける彼。
額に脂汗が浮かんでいるのに気付いて、傍にあった布で拭き取ってやる。
ったく、世話がやける。
今日に限ったことじゃない。
もう何回も凌は発作で倒れた事があった。
慣れてしまったコイツの看病。
なんでも、昔の事や親・・・とくに父親の事を思い出すと時々精神不安定になるらしい。
牟白はゴーグルを外し、傍のテーブルに置いた。
綺麗な赤い髪を結い上げる簪も取り去ると、ばさりと肩までの赤髪が垂れた。
「コイツ、こうなったら起きるのに時間かかるんだよな・・・」
ほんと、迷惑な野郎だ。
そう思いはするのに、コイツを放っておくことは出来ないのだ。
獏のくせに、悪夢にうなされるコイツを。