降り注ぐ火の粉は花火に似ている。
俺はそれを手に取って、抱えきれないくらいその腕に抱えて。
泣きっ面のてめぇの上から降らせてやった。

そしたら、そっとほほ笑んだだろう?

俺が今まで見た事ねぇような笑みで。
柔らかく、ほほ笑んだだろう?

俺は、その顔がもう一度見たくて。
その顔を忘れたくなくて。
今もまだ純白に血を滴らせて歩き続けてる。




50 :ハルヴェラと亜月




+見方+


カツカツカツ、と廊下を横切って歩く足音を聞き、アントラは勢いよく自室の扉を開いた。
赤いゴーグル越しに見えたのは、血を被った銀色。


「・・・おかえり、ジャック・・・」

「・・・あぁ」


視線を落としジャックの手元を見ると、右手に銃を握っている事に気付いた。
ガットと同じ銃。
アントラは微かに目を細めると、無理に笑って「お茶飲む?」と問いかける。

しかしジャックは「いらねぇ」と吐き捨てるように返事を返し、再び歩き始めた。


「もう次のファミリーを潰しに行くのッ?!」


遠ざかっていく背中に向けて慌てて問いかけると、「うるせぇ」と疲れ切った声。


「シャワー浴びて、寝る。それからまた出かける」

「そ、そう・・・あの、ジャック?」

「あぁ? んだようぜーなさっきから」

「無理しないでね」


「ね?」と念を押す。
するとジャックは「うるせぇ」と再び呟き、重い足取りで歩き出した。
心なしか足がふらついているように見える。

そんな後ろ姿を見送るしか、アントラにはできなかった。

ジャックはそのままフラフラと歩を進めた。
ふと顔を上げると、廊下の向こう。
ジャックの部屋の扉に寄りかかっている人影が見える。


「・・・腐仁。てめぇ、俺の部屋の前で何してやがる」

「キヒヒッ お疲れだなァ? ジャック」


腐仁が寄りかかっているために、部屋に入れないジャックは不機嫌な顔を露わにして彼を睨んだ。
しかし全く動じない腐仁はいやらしい笑みを浮かべたまま、舐めるような視線でジャックを見ている。
ジャックは小さく舌打ちをすると、右手に持っていた銃を腐仁の眉間に向けた。


「撃ち殺されたくなけりゃ、そこどけ」

「キヒッ そんなに疲れてんのか?」

「うるせぇ、俺に構うな」


引き金に指をかけるジャックの目は本気だ。
腐仁は肩に首をうずめると、にやりと笑って銃口を手で覆った。

そっと手を伸ばす腐仁は、細い指でジャックの頬に散った血を拭き取った。
ピクリと眉を吊り上げる彼のエメラルドの瞳に腐仁の顔が映る。


「なァジャック。そんなに疲れてまでフィラメンカを潰してぇのかァ?」

「てめぇに話す事なんざ何にもねぇよ」

「キヒヒッ ガットと違うそういう気丈なトコ、好きだぜェ?」

「ガットの名前を気安く口にすんな!」


開いてる左手で腐仁の首を掴むジャック。
腐仁は微かに目を細めると、キヒヒと喉をひっかくように笑った。


「よォ。あの金髪野郎の何がいいんだァ?」

「黙れ」

「てめぇと違ってアイツは軟弱だぜェ? アイツが暗殺専門なのは正面切って他人を殺せねぇからだ」

「ファッキン。黙れってのが聞こえねぇのか? くたばれクズ野郎」

「アイツはてめぇにとっちゃ足手まといだろォ?」

「黙りやがれ!!」


ゴキッと骨が砕ける音と共に、腐仁の首が有り得ない方へ向いた。
ジャックは腐仁をそのまま廊下に放り出し、自分の部屋の扉を開いた。
足下に転がっている腐仁に、冷めた目を向けて言い放つ。


「汚ねぇ声で俺の騎馬の名前を口にすんじゃねぇよ」


ゴキゴキ、と腐仁の折れた首が動き、元の位置に戻る。
それを見下ろしながら、閉じかけた扉の隙間からジャックの言葉がこぼれ落ちた。


「俺の誇りに、泥をつけんな」


バタンッと勢いよく閉じた扉を見上げ、腐仁が起き上がった。
パキパキと首を動かしながら、キヒヒと笑みを零す。


「“俺の誇り”かよ・・・笑えるぜェ。堕天使になったクズに何の価値がある」


ゆっくり立ち上がってジーンズの埃を叩く腐仁がジャックの消えた扉をちらりと見やってから廊下を歩き出す。
微かな風に揺れる金髪がきらりと光った。




+++




静かに病室の扉を開くと、少し開いているカーテンの隙間からぼんやり外を眺める凌が目に入った。
疲夜は手に持っていた薬とグラス、そして水の入った硝子瓶をベッドの傍のテーブルに置く。


「ようやく起きたんですね」

「・・・何日寝てた?」

「6日間です」


寝起きの掠れた声で、凌が疲夜に問いかける。
硝子瓶からグラスに水を入れ、薬を取って凌に手渡した。


「起きて早々ですが、鎮夢剤です。栄養剤はあとで食事と一緒に持ってきますね」

「・・・」

「凌さん?」

「俺どうやってここまで来たんだ?」

「牟白さんに運ばれたそうですよ」


「そうかよ」と囁く凌が一気に薬を飲み込んだ。
半分水が無くなったグラスを疲夜に戻す。

伏せられた紅色の瞳が、くるりと疲夜に向けられる。


「・・・亜月は?」

「今は学校へ行ってます」

「あーそう」

「博士の許可が下りるまで凌さんは休学と言う事になります」


疲夜に応対にもぼんやりとしか反応を示さない凌は、そのままベッドに突っ伏した。
枕を抱き込み体を縮めると、くぐもった声で「寝る」と呟いた。
それを聞いた疲夜が慌ててその肩を揺する。


「駄目ですよ凌さんッ あれだけ寝たあとにまた寝たりしたら体に悪いです!」

「うるせぇ眠れねぇ」

「凌さん!」

「起きたまえ、凌」


不意に聞こえた低い声。
凌は枕からのっそり顔を上げると、その声の主を軽く睨んだ。
扉の前にいた声の主・・・ポイズンがカツカツと歩を進めてベッドに近寄ってくる。

その後ろには牟白と翔がいて、尚更顔をしかめた。


「寝起きのところ悪いが、言っておきたい事があるのでね」

「俺には何にもねーんだけど」

「君はいつまであの小娘を見守っているつもりかね?」


布団の中へもぞもぞ逃げようとする凌を引っ張り出すポイズンの質問に、凌が眉を顰めた。


「君の目は濁ってしまっている。あれはハルヴェラではない」

「・・・」

「“和親亜月”と“ハルヴェラ”をいくら比べても虚しいだけで何もあるまい。あれは半血。ただハルヴェラの血を引いていると言うだけの小娘だ」

「だから、何だよ」

「要らないだろうと言っている」

「要らない? 亜月が?」

「そうだ。君の発作は過去を思い出すごとに起こっている。そしてそれを思い出させる種は、あの半血の小娘だ」


冷たい金の目。
凌はゆっくり上半身を起こしてポイズンを睨み付けた。
しかし彼は怯むことなくベッドの脇に立っている。


「今回の発作は学校の人間に過去を詮索されて起こったのだろう? だったら学校を止めろ。そしてあの小娘も忘れろ。そうするのが君のためだ、凌」


「わざわざ自分の首を絞める場所にどうして行く必要がある」と。
凌は視線をポイズンから外し、扉の傍に立っている牟白と翔に向けた。
二人とも居心地が悪そうにしていて、目が合う事はない。
凌は小さく息を吐くと、「無理だ」とはっきり言いはなった。


「それはできねぇよ。ハルとの約束だ。破れねぇ」

「あの小娘を守るとでも約束したと言うのかね」

「あぁ。亜月はハルの形見だから」


もう二度と、守れなかったなんて事はないように。

それを聞いたポイズンは深く溜息を零すと、「行くぞ疲夜」と踵を返した。
凌の顔を振り返ろうともしない。
そのまま不機嫌な空気を垂れ流し、ポイズンが病室を出て行った。

ポイズンの背中を見送って牟白がベッドの脇のパイプ椅子に腰掛ける。


「てめーはホント他人の言う事きかねぇよな」

「きかないんじゃねーよ。きけねー事ばっか言ってくるだけだろ」

「同じ事だろーが。つーか、やっぱまた学校行くのか?」

「まぁ、そーなるんじゃねーの」

「物好きだな。で、また人間とツルむのかよ?」


凌は牟白から視線を外して自分の包帯が巻かれた手を見下ろした。
「まさか」と小さく呟く声。
ゴーグル越しに牟白が凌を見据える。

翔が心配そうに凌の手を取った。


「もう、話もしねーよ」


やっぱり、人間なんてそんなもんだ。

昔から人里の外れに住んでいた獏家は、その容姿、その瞳から人間達に嫌われていた。
罵倒や嫌味は勿論、酷い時は石を投げられた。
自分より下等で、低能な奴らが。
恐怖心に煽られてなんて愚かな。

これだから、人間はいつまでも認められはしないのだ。

聖、魔、光、闇、そして人。
5つある世界で、人だけが他の世界の存在や情報を知り得ないのは、あまりに人間と言う生き物が無様で愚かだからだ。
異形を認めない。
常に秩序だと言い張るくせに、裏でこそこそと手を汚す。

馬鹿らしい。

だから、天使も悪魔も皆が皆人間を嫌う。

「寝る」と言い残し、凌がゴロリとベッドに横になった。
わざわざ牟白や翔に背を向けるように。
牟白はそんな凌を見下ろして「なぁ」と呼び掛けた。


「俺自身が人間の親を持つからとかそういう理由じゃねーけどよ、人間もそう捨てたもんじゃねーぜ?」

「・・・神社の人間どもにイライラしてしょっちゅう家出してくる奴がよく言うぜ」

「ばーか。“人間”って1つにくくって考えんのがわりーんだよ」

「・・・」

「俺だって翔だってあの女だって人間の血が流れてるけど、お前は拒絶したりしねーだろーが」

「それは・・・」

「天使ん中でも悪魔ん中でも相性ってのがあんだよ。それと同じで人間だって個々の存在はちげーんだ。色々いるぜ? 何も全部きにくわねぇ奴ってわけじゃねーんだ」

「・・・」

「てめーの過去を聞いてきた奴がどーだかは知らねーが、あんまり人間を嫌ってくれるなよ」


「嫌いになっちまったら」と続けた牟白の言葉に胸が痛んだ。


「てめーがハルヴェラと被せて見てるあの女も、昔人間だった翔も、異質な俺も、全部拒絶しなけりゃなんなくなるんだぜ?」


あぁ、それは・・・

なんて悪い冗談なんだろう。