俺の存在が何だか分からなくて、罵られて。
情けないと思っていながらも、俺は建物の影で蹲っていた。
そんな俺をお前がどう思ったかはしらねぇ。
でも、お前は何も言わずにどこかへ行くと、その手一杯に“火の粉”を抱えて戻ってきた。
俺の頭の上からそれをバサバサ被せて。
顔を上げた俺に笑いかけていた。
俺は降ってきた“火の粉”をすくって笑い返した。
「ゔぁーか。人の頭からラメぶっかけやがって・・・」
ホント、面倒な王サマだな。
51 :信 じ ら れ な い
+人間なんて、+
カツカツカツ。
漆黒の廊下を歩いていくソルヴァンは、燕尾服のポケットの中から鍵を取り出し、地下へ続く階段の扉を開いた。
薄暗いそこを蝋燭を持って下りていく。
下りきった先に続く牢屋。
鉄格子が立ち並ぶ中、灯りを持ったソルヴァンの影がよく映えた。
左右の牢屋から「出してくれ」と言う呻き声。
それを無視し、一番奥の鉄格子の前に立った。
中を照らすように蝋燭を高く持つ。
暗闇に浮かぶ蝋燭の火が照らし出したのは、両手を拘束されたダーツの姿。
「・・・陛下」
囁くように呼び掛けると、ダーツがゆっくり顔を上げてソルヴァンを見た。
漆黒の闇に全身を浸し、廃れた簡易ベッドに腰を下ろしている姿は、かつて最高裁判官の椅子に座っていたとは思いがたいほどボロボロだった。
しかしそれでもそのダークグリーンの瞳だけはしっかりとした光を灯している。
「・・・オレはもう陛下じゃないぞ、ソルヴァン」
「・・・そうでしたね」
「何のようだ、こんなところに」
深みのある声が暗闇に溶けていく。
ソルヴァンは一瞬言葉に詰まると、小さく息を吸い込んで呼吸を整えた。
「ジャック・J・ジッパーがフィラメンカを潰しているそうです。おそらくガットをwhiteに連れ戻すためだろうかと」
「そうか」
「宜しいのですか。ガットは・・・」
「放っておけ」
「・・・陛下?」
興味を示さないダーツに、ソルヴァンが顔を顰める。
「それをオレに言って、どうしろと言うんだ、ソルヴァン」
「それは・・・」
「ガットは元々天使だった。戻っても構わないだろう」
「しかしそれはblackkingdomの秩序を壊します」
「もうここはオレの王国じゃない」
「全てを決めるのは、イガラだ」と呟くダーツにソルヴァンは手を強く握った。
何をおっしゃるのですか、陛下。
貴方はこの王国を愛していらした。
漆黒に染まったこの王国を。
私は認めません。
このblackkingdomは貴方のものだ。
「陛下」
「言っただろう、オレはもう陛下じゃない」
「もうここには来るな」と、そう言うダーツを暫く見据え、ソルヴァンは踵を返した。
強情な方だ。
しかし陛下、貴方はまだ私を理解していない。
私も充分、強情だと言う事を。
「では、また」
いつか、この牢屋から貴方を救ってご覧にいれましょう。
+++
「凌!」
久しぶりに学校に復帰すると、いつもだったら来ていない時間にもかかわらず、優生がいた。
亜月は凌の後ろで「おはよう」と手を振っているが、呼ばれた本人は視線を合わせることもなく、その横を通り過ぎる。
「凌?」と眉を寄せて不安そうに呼び掛ける優生を無視し、そのまま机に突っ伏した。
「おい・・・凌・・・」
「・・・」
「お、怒ってんだろ? あの、この前はほら、ごめん」
「・・・」
「あんま聞かれたくない内容だったの知らなくて、俺しつこく聞いちゃって・・・」
「・・・」
「なぁ、凌ってば」
「黙れよ人間」
漸く顔を上げた凌が殺気を含んだ目で優生を睨み付ける。
びくり、と肩を震わせる優生の後ろから亜月が「山本!」としかりつけた。
しかしそんな事も気にせず、椅子から立ち上がった彼は再び教室の外へと出て行ってしまった。
なんなの、山本の奴・・・
病院から帰ってきてから、変だ。
亜月ともあまり会話をしないし、前みたいな戯れは一切ない。
壁を何重にも隔てているようで、怖い。
何だか人間全部を目の敵にしているような。
「気にしないほうがいいよ、優生くん」
「・・・アイツ」
「?」
「俺の名前も呼ばなかった」
俯く優生に、亜月が眉を寄せる。
どうしよう、どうしたらいい?
何をしたらいいのか分からなくてそのまま立ち尽くしていると、ガラリと扉が開いて巫人が入ってきた。
「おはよう」と爽やかに挨拶する彼の顔が、優生の様子を察した途端真剣なものになる。
「何かあったの・・・?」
「それが・・・」と話し始めたのは、優生ではなく亜月だった。
+++
「獏家はバケモノだ。寄るんじゃないよ、魂を喰われちまうからね」
人間たちは口々にそう言った。
けれど、それは昔のこと。
現代では髪が何色でもあまり気にするものはいなかったし、右目は瞑っていればいい。
肌の色だって、多少薄くてもとやかく言われるようにはならなくなった。
だから、きっと、心を許してしまったんだ。
下等な生き物に。
ハルが人間の女を好きになったと言うから。
人間の中にだってイイ奴がいるのだと思っていた、そう思いたかった。
信じていたのに、裏切られたような。
実際に信じていたわけではないのに、そんな気分だった。
学校に通い始めたのは、亜月がそこに通っていたからだ。
亜月を大切にするのは、ハルの形見だからだ。
護りきれなかったからだ。
人間の優生や巫人とよく一緒にいたのは、気紛れだった。
そう、ただの、気紛れ。
俺は周りが思っているよりも、ひどく汚い生き物だ。
人間が嫌いで、自分とは違う奴らが怖くて。
自分の居場所がなくなるのが嫌で、他人をそうそう信じる事ができなくて。
「意味、わかんねぇ」
もう何も信じられない。
不躾に他人を詮索する奴が嫌いだ。
それが人間だとすると、尚更嫌悪感を抱く。
ハルは魔界から逃げ出した悪魔だった。
でも、ハルは他とは違かったんだ。
昔からの知り合いだった牟白も、俺が自分の意思で拾った翔も、傷を治してくれるポイズンも、情報をくれる杉村も、オスカーもベーカーもチェスカもジェスカも。
もう、何がなんだか分からない。
また、籠もればいいのか。
あの広い焼けただれた屋敷にいたあの頃のように。
1人くたびれた着物を着て、生きる意味も忘れて。
他人の命を喰いながら、人間と接触しないように。
閉じこもってしまえばいいのか。
『立ち入り禁止』の札を無視して、屋上の扉を開いた。
そこにはたばこを吹かす数人の不良生徒。
彼らは一瞬呆気にとられたように凌を見るが、みるみるその顔に凶悪な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「よぉてめぇ何しにここにきたんだ? あぁ?」
「パシリくんになりてーのか?」
「そんな目立つ髪の色しやがってよー」
「何とか言えよ」と凌の顎を掴んで鼻先に火のついたたばこを掲げた。
げらげらと下品な笑みを浮かべるそれらに、凌が冷めた瞳を向けた。
「邪魔なんですけど、センパイ」
次の瞬間、鈍い音が響いた。
+++
「これだから人間は嫌いだ」
青すぎる空に向かってそう吐き出すと、頭上から微かな笑い声がした。
見れば、牟白が器用にフェンスの上に座っている。
「久しぶりに暴れたんじゃねーか? 凌」
「・・・なんでお前がいるんですか唐辛子」
「だ れ が 唐辛子だコノヤロウ」
「さー、誰だろーねー」
ゴロン、と倒れ込むように寝転がる凌の隣に腰を下ろす牟白。
それを見やると、凌が「なぁ」とため息交じりに言葉を吐き出した。
「やっぱ人間なんて、くだんねーな」
諦めたような、失望したような。
そんな表情で呟く凌を見下ろして、牟白がふっと笑った。
「そうかよ」
「うざいし、しつこいし」
「あぁ」
「すぐ泣きそうな顔するし、怒るし」
「あぁ」
「面倒だし、疲れるし」
「あぁ」
「あと・・・馬鹿だ」
「あぁ」
「でも、飽きないだろ?」と。
そう言って笑う牟白を見上げることすら、出来なかった。