予想の範疇を通り越して、お前は俺を叩いた。

想像の範囲を飛び越して、お前は泣いてみせた。

思ってもみなかったんだ。
俺の話で泣くような、同情深い人間がいるなんて。

人間は、非道なイキモノだと思っていたから。




53 :思い通りにいかない




+涙+


冷たい視線。
優生と巫人が同時に息を飲む。
その、漆黒に浮かぶ銀色の瞳が恐ろしい。

な、何だよ・・・凌の奴・・・

強く拳を握り、凌を見上げた。


「疲れたって・・・なんだよ」

「あ?」

「俺たちといるのが、疲れたって言うのかよ!!」


叫ぶ優生を宥める巫人。
しかし凌の瞳は静かで、あくまで“人間”として2人を見下ろしている。
“優生”や、“巫人”としてではなく、“人間”として。


「それが、何だよ」


つららのようなその言葉。
今日ほど凌の無表情が怖いと思った事はなかった。
人が変わったように、冷めた顔でいる凌を直視することもままならない。

なんで・・・

ちょっと、ちょっとだけ凌の親の事聞いただけじゃねぇか。
なんでそんな事くらいで、こんなに・・・

意味が分からない感情に、泣きそうになる。
何重にもある壁の向こうに行ってしまったような、そんな感覚。
苦しそうな顔をする巫人と優生を見る牟白。


「おかしいよ・・・」

「何が」

「だって、だってちょっと聞いただけだろ?! ちょっと親の事聞いただけじゃねぇか!!」

「・・・」

「そんな事でなんで、何で学校止めるとか言い出すんだよ!! それに悪魔って何だよ! 闇の世界って何だよ!! なぁ凌!!」

「お前には関係ねぇよ人間」


「そんな・・・ッ」と悲痛な声を上げる優生の脇を通り、ツカツカと巫人が凌に歩み寄った。
次の瞬間、パーン、と言う快気な音が鳴る。

驚いて顔を上げた亜月の目に映ったのは


「巫人くん・・・」


平然といていた凌の頬を、叩いた後の泣きそうな顔。


「自分勝手だよ、凌。ちゃんと説明してよ」

「・・・」

「俺たち友達なんだか」

「友達じゃねぇよ」


「友達なんかじゃねぇよ」と繰り返す凌の淡々とした声に、巫人と優生が息を飲んだ。
驚愕の顔をする2人に、叩かれた赤い頬をさすりながら凌が告げる。


「暇潰しだった。心を許す気なんて微塵もなかった」

「そ、んな・・・」

「“ちょっと親の事聞いただけ”? だろうな。お前らにとっちゃそんくらいのもんだろうな」

「凌・・・」

「お前らには分かんねぇよ。分かってたまるかよ」

「や、山本」


慌てて凌に亜月が駆け寄るが、「止めとけ」と牟白に止められた。
その手を振り解こうと睨み付ければ、目を伏せて首を振る彼。
そういえば、牟白は凌の事を昔から監視しているはずだ。

何かあるのかと身を引けば、凌の眉間に普段じゃ考えられないほどのしわが寄っている事に気付いた。


「十数年しか生きてねぇようなガキに・・・」

「何言ってんだよ・・・凌、どういう事だよ」

「人間なんか、嫌いだって言ってんだよ!」


ギシ、とフェンスを強く掴む凌が珍しく叫んだ。
泣きそうな顔をしているのは、巫人と優生だけではなかった。
ズルズルとフェンスに背を預けたまま座り込む凌。


「もう、どっか行けよ・・・」


消え入りそうなその声が、耳に付いて離れない。
居ても立ってもいられなくなって、亜月が凌の傍に膝をつく。
ぎゅっと強く握った包帯巻かれた手を取る。

辛そうな凌の姿が耐えられなくて。


「優生くん、巫人くん・・・あのね」


全部、話したら少しくらい、凌の辛さが消えるんじゃないかと思って。


「オイお前・・・」


牟白の制止も聞かずに話し始めた。

凌に会った時のこと、blackkingdom、人間狩り、そして、凌と自分の過去。


全部、全部。




+++




全部話を聞いた後の優生と巫人は呆然と凌を見ていた。
亜月は勢いのあまりぶちまけてしまった事を後ろめたく思い、「ごめんね・・・」と呟いた。
しかし凌は「別に」と小さく返事を返しただけで、そのまま立ち去ろうとしてしまう。


「ま、待ってよ凌!!」


横を素通りしようとする凌の腕を反射的に巫人が掴もうとするが、脳裏を過ぎった亜月の話に手を引っ込める。
それを見ていた凌が、再び冷めた目を向ける。

やっぱりな・・・

どうせ、自分と違うイキモノをそう簡単に受け入れるはずがない。
人間は、そう言うイキモノだ。


「行くぜ、牟白」


優生と巫人を残して歩き去ろうとする凌の背中を見据え、牟白が溜息をついた。


「まぁ待てよ凌」


肩を竦めて苦笑を零す牟白。
振り返れば、牟白が優生を指さしている事に気付く。


「なぁ、今までお前の話聞いて泣いた奴、人間にいたか?」


「は?」と不機嫌な声を零す凌の紅色の瞳に、ボロボロ泣いている優生が映った。