あの高笑い。
あの美しい貌。
あの華奢な体つき。
俺が認めた、唯一の王。
62 :騎馬は崩れ
+王は揺れる+
何度も頭の中をリピートしつづける悪夢の言葉に、崩れ落ちそうになる。
正夢になった悪夢は、自分にとって最悪な状況へ陥れようとするものだと分かっていても、それでも視界は真っ暗だった。
王に必要とされない騎馬に、何が出来る。
頭の中のジャックがそう囁いた。
学校で、独りだった俺と似た匂いがしたんだ。
ジャックは、“俺”と言う存在を認めてくれた。
オリジナルのディルスじゃないく、“俺”として。
“ガット・ビター”として。
こんな脆い信頼関係じゃなかったはずなのに。
立ち尽くすガットの肩を誰かが掴んだ。
ゆっくり振り返れば、凌が面倒くさそうな顔をして突っ立っている。
「落ち込んでんの?」
「・・・うるせぇ」
「言っとくけど、悪夢の言うことに一々耳かしてたら精神イカれるぜ」
精神がイカれる?
あぁ、そうだろうな。
現時点で、俺はイカれ初めてる。
「悪夢はアンタの一番弱いトコを突いてくる」
「俺の弱いトコ・・・?」
「アレがジャックじゃねぇって事、アンタが一番よく知ってんじゃねーの?」
頭をガシガシとかく凌の紅色の瞳を見る。
アレはジャックじゃない。
知ってるっつの、そんな事。
第一、本物のジャックは人間に手ぇ出したりしねぇよ。
アイツはプライドをぜってーまげねぇ王であり、誇り高き剣士だ。
だからアイツはフィラメンカを・・・
・・・フィラメンカを・・・?
何かを思いついたように瞳に光が戻るガット。
牟白の手当をしている疲夜と死魔を視界の端に入れたまま、顎に手を当て考え始めた。
おかしい。
リーテの話じゃピオッジャのチャットに書き込まれる殺戮状況の時間帯はいつもPM10:00以降からAM5:00まで。
つまり、人影の少ない頃。
それに比べ、人間狩りは昼間にそれが集中している。
もしジャックがどっちもやってるって話になると、噛み合わない。
アイツはいつも体術と武器をフルに使った戦い方をするために、任務に出た後は大概シャワーを浴びに部屋に戻ってそのあと仮眠を取って出て行く。
それなのにその日の昼間に人間狩りができるはずがねぇ。
そして、いつも見ていた悪夢の中のジャック。
俺の顔に傷を付け、腐仁と共に消えたアイツ。
「・・・オイ、凌」
「んぁ?」
「もし、ジャックが2人いると仮定したら・・・」
そう、2人。2人だ。
「必ず戻って来い」と言い、今フィラメンカを潰して廻ってるジャック。
俺の顔に傷を付けて人間狩りをしているジャック。
「俺の中でつじつまが合う。だがその中でどっちが本物かって話になると、俺には分からねぇ」
「そう言う時は、どうすればいい?」と視線を向けると、案外すんなりと回答が返ってきた。
「アンタが一番望んでるジャックでいいんじゃねーの?」
あぁ、だったら。
もうすこし、俺はお前の騎馬で居られそうだ。
+++
手の甲に大きな蜘蛛を乗せ、杉村は目を細めた。
「嫌な予感は、どうやら的中したらしいわね」
あれだけ天使には関わるなと言ったのに・・・凌ったら。
悪夢を喰らうのが獏だと分かっていても、わざわざ闇と敵対する光に住む天使の悪夢まで食べる必要などないだろうに。
「情報をありがとう」とほほ笑んで、蜘蛛の腹を撫でた。
それを満足そうに見上げる蜘蛛は、するりと天上へ登っていく。
それを見送り、彼女は深い溜息をついた。
「あぁ・・・また兄さんに怒られるわ」
blackkingdomの情報を凌に与えただけでも「私の患者をわざわざ危険な目に遭わせて楽しいかね?」なーんて怒られたのに。
兄さんだって私が情報屋だと知ってて言うんだから質が悪いわ。
ブツブツと文句を垂れながら、アンティークなテーブルの上に置かれたスコットランド製の紅茶カップに手を伸ばす。
「まったく。凌ったら人の忠告を聞かないんだもの。今回は私のせいじゃないわよ。そうよ、兄さんにもそう言ってやりましょう」
「そうか。君がwhiteemperorについて凌に教えたのか」
本来聞こえるはずのない声に驚いて顔を上げた。
ギィ・・・と微かに軋んで扉が開くと、そこに不機嫌なオーラを醸し出したポイズンの姿を発見する。
たらりと頬を冷や汗が落ち、慌てて椅子から立ち上がった。
「ち、違うわよ兄さん!! 今回は私じゃないわ! ガットよ!」
「しかし彼が過去の事をべらべらと話すタイプには見えないんだが?」
「え、と。それは・・・」
「君がガットとジャックについて凌に話したんじゃないのかね?」
ギクリ、と言い当てられた真実に息を飲む。
何て勘の鋭い人だろう。
昔からこの鋭さには身内の自分でも肝が冷えるばかりだ。
ポイズンは杉村の反応を図星と取って、唯一包帯の隙間から見える金の瞳を細めた。
「やはりな」
「だ、だって・・・私は忠告の意味を持って凌に話したのよ?」
「凌の情が深い事は君も知っているだろう」
「まさか哀れまないとでも思ったのかね」と呆れ声。
杉村は言い返す言葉もなく俯いた。
そりゃ少しは思ったのだ。
凌だったら哀れんで協力してしまうかもしれないと。
けれど、彼はああ見えて意外と薄情な面がある。
自分や、自分の居場所を脅かす者以外に興味関心を示さない。
それは凌がかつて杉村の元で働いていた時に痛いほど感じた事実でもあった。
だからきっと「面倒だ」と言って断るだろうと踏んだのだ。
「君は・・・本当に私の手を焼かせてくれる」
「ごめんなさい、兄さん」
「・・・今回は良しとしよう。仕方がない」
まさかのお咎めなし宣言に、杉村がぱっと顔を上げた。
しかし、ポイズンの次の言葉に凍り付く。
「次にもし凌に妙な情報を与えたら、水の中に頭を突っ込んで酸欠寸前状態のまま100回“もうしない”と言ってもらうぞ」
あぁ、そう言えば兄さんはド級のSだったわ・・・
ぶるりと身震いすると同時に、小さく首を縦に振る。
それを見ると、ポイズンの纏うオーラが少し軽くなり、杉村の座っていた向い側の椅子へ彼が腰を下ろした。
杉村が自分と同じデザインのカップを取り出し、紅茶を注いだ。
カップを受け取り、ポイズンが杉村に視線を送る。
「そういえば兄さん。何か用があって来たんじゃないの? 兄さんが病院を空けるなんて珍しいものね」
「あぁ。1つ気になっている事がある」
「何かしら」
アールグレイの匂いが充満する部屋で、ポイズンは静かに唇を開いた。
「私が生き返らせた死人は、何人いるか知っているだろう?」
「4人でしょう? この前の女の子を含めて」
「あぁ。疲夜と、殺舞と、死魔・・・そして、私が生き返らせた中で一番最悪な男」
ポイズンの声のトーンが一気に下がる。
「腐仁について、情報を集めてくれ」
+++
「よぉ、ジャック」
廊下に待ち伏せしていたかのように、腐仁がジャックに手を挙げた。
仮眠をすませて部屋から出て来たジャックの機嫌が一気に急降下していく。
「んだよ」とぶっきらぼうに返事を返し、食事をしに歩を進める。
「今からまたフィラメンカ潰しかァ?」
「飯喰いにいくだけだ。ついてくんな」
「キヒヒッ ご機嫌斜めなところ悪いがよ、ガットが下りてきてるって話だぜ?」
ピクリ、とジャックの眉毛がつり上がり足が止まった。
腐仁はそんな彼ににやりと笑みを向けると、ぐるりと彼の前に回り込みその端正な顔を覗き込む。
「てめぇは人間界に下りなくていいのかよォ?」
「・・・」
「久しぶりの再会なんだろォ?」
企み顔の腐仁に警戒心が沸いた。
コイツがこんな顔をするときに、良いことが起こったためしがねぇ。
ジャックは無視するに限る、と判断し再び足を進め始める。
そんな後ろ姿に「ま、別にいいけどよ」と呟く腐仁がジャックと反対方向へ歩き出し、一番最初の角を曲がった。
そこにいる、1人の男の肩を叩く。
「別にガットに会うのは本物じゃなくっちゃならねぇって訳じゃねぇ」
「キヒヒヒッ」と甲高い笑い声に反応するように、その男、“ジャック”の口元がつり上がった。