「昔のよしみで、君に頼みたい事がある」


そう切り出したポイズンの頼みは、あまりに唐突すぎた。




67 :真っ白な天国




+小さな権力者+


「何だと?!」と声を張り上げるガットが、思わずバンズの胸ぐらを掴み上げた。
落ちそうになる帽子を片手で押さえつつ、バンズが落ち着くように苦笑を零す。


「あの腐仁が聖界の神の1人だって言うのかよ!!」

「あぁ、そうだよ・・・っていうか苦しいんだけどガット・・・」

「んな事信じられるかよ!!」

「信じられなくても真実なんだからしょうがないだろう? 俺様だって最初は驚いたさ」


やんわりとガットの手を引き離すバンズが、息を整えて襟を直す。
ガットはまだ納得できないような顔をして、バンズを睨み付けていた。


「でさ、その腐仁をアンタに殺して欲しいんだよ」

「丁重にお断りさせていただきまーす」

「えええ・・・そこをなんとか」

「大体俺は悪夢を喰うために店開いたんだって。誰かの怨み晴らすためじゃねーっつの」


困ったように溜息をつくバンズが「じゃぁさ」と企み顔をする。


「人間狩りの犯人が腐仁だと言ってもかい?」


バンズのその言葉に、暫くの沈黙が落ちた。
何を言っているんだ、と言わんばかりの凌にバンズが説明を始める。


「さっきのジャックは腐仁の操る幻影だよ。アイツの鍵の能力だ。ひどくリアルで俺様でも一瞬見間違う」

「じゃぁ・・・ジャックは今何してるってんだ?」

「何だ、聞いてなかったのかガット? ジャックは今フィラメンカを潰してる事」


驚いた顔でガットを見上げるバンズとは別に、ガットが安堵の息を吐き出した。
心底ジャックが人間狩りの犯人じゃなくて安心したらしい。
苦労人だな、と牟白が心の中で思う。


「腐仁を殺したら、人間狩りは止まる。そしたらキミにとっても心配事が消えるんじゃないのかい?」

「・・・」

「見たところ、ここに住んでるのはキミ以外みな人間の血が流れてるみたいだからね」


真剣なバンズの顔。
それから視線を外し、天上を仰いだ。
・・・あー・・・結局はこうやって手ぇかすはめになるんだよな。
つーかこれ、またポイズンに怒られんじゃね?

うだうだと頭の中で文句を垂らす凌の脇で、不意に電話が鳴った。

面倒くさそうにそれへ手を伸ばし、受話器を取り上げる。


「もーし。ただいま思考回路停止中のため電話に出ることが出来ません。ピーっとなったらお名前とご用件」

『くだらない事を言っていないで素直に話を聞きたまえ』


呆れ声のポイズン。
それを聞いて、もし今の話をポイズンに話したら反対してくれるんじゃないか、と小さな希望を持って「あのさ」と切り出した。


「俺さぁ、何かしんないけどwhiteemperorに行く話になってるんだけど・・・」

『あぁ、なら丁度良い。その事で話がある』

「・・・え? あれ、怒んねーの?」

『何の話だね。何故私が君をしからねばならないんだ』


思わず「ええええ・・・」と不満の声を零す。
ここで「止めておきたまえ」とか言ってくれればわざわざ行かなくてすむのに・・・と顔をしかめる。
しかしそんな凌の心情を知らないポイズンは淡々と受話器の向こうから話を続けた。


『実は私もwhiteに用があって行かなければならない。だがあそこにはジャックが居るためにblackよりも忍び込みにくい』

「ちょ、あの・・・ポイズン?」

『だから馴染みの男に頼んで侵入路を確保しておいた』

「オイこら待て待て。おかしいだろ何でwhiteに行かなきゃなんねぇんだよ、何でポイズンが下準備してんだよ、俺嫌なんですけど」


想像もしていなかった展開に、凌が慌てて制止の声をかけるが、ポイズンはまったく気にしてない。
というより、意図的にスルーしている。


『それから、そこにバンズがいるだろう?』

「え、あぁうん。居るけど何」

『彼がおそらく君を光の世界へ連れていってくれるだろう。そこで詳しい話を聞きたまえ』

「いや、分かんない。待って。了解してねぇから」

『それでは』


そう言ってブツッと一方的に電話が切れ、立ち尽くしている凌の手元でツーツーツーと受話器が情けない音を出す。
暫くそれを見つめて黙っていた凌の背中に、ガットが笑って言った。


「決まりだな」


どうやら耳のいい彼には一部始終聞こえていたらしい。
凌が限りなく深い溜息をついたのは、言うまでもない事だ。




+++




「博士もwhiteemperorに行かれるんですか」


受話器を置いたポイズンの後ろから、カルテの詰まったファイルを持ってきた疲夜が声をかけた。
「あぁ」と小さく返事をするポイズンが、いつものように机に向かい合う。


「博士」

「何だね」

「オレも連れて行っては貰えませんか」


ファイルをポイズンの机に置きながら、伏し目がちに彼を見る。
するとポイズンは沈黙を保ったまま疲夜をその金の瞳に映した。

まるで叱られている子供のように身を固くし、疲夜が彼の返事を待つ。


「・・・何故?」


暫くその緊張に耐えて漸く帰ってきた言葉はYESでもNOでもない。
しかし疲夜はそう聞かれる事を確信していたかのように唇を開いた。


「貴方が、心配だからです」

「心配、だと?」

「はい」


ふい、とポイズンの脇にある立てかけられた写真へ目をやる疲夜。
いつもは伏せられたその写真が、珍しく立っている。

ポイズンもつられてそれに視線を向けると、そこに映る“ソレ”に目を細めた。


「・・・博士がこの診察室に誰かを入れる時・・・いつもそれを伏せていらっしゃる」

「・・・」

「しかし、僕のこの右目の前ではそれも無意味と知っているために博士はオレの前ではそれを伏せませんね」


何でも見通す目。
闇や光・・・天使も悪魔も構わず診察をするこの病院に危険分子が転がり込んでこない事はまずない。
だからこそ、それを見越して疲夜を生き返らせたその時に、その目を右目に埋め込んだ。

見ればその者の過去、心理、全てを見通す“神髄の眼”。

疲夜は常にそれを隠すように眼帯を付けるが、一度だけ、見たのだ。
その眼で、ポイズンの素顔を。


「オレは、博士が決めた事には逆らいません。けれど、いい加減その人に真実を話したらどうですか?」

「・・・」

「きっと、全てを話してもあの人は博士を嫌いになったりしませんよ」


「オレはあの人の素顔もこの目で見たんです」と。
申し訳ない顔でそう呟く疲夜をしっかりとその瞳に映すポイズン。


「貴方があの人を心から心配して大切にしようと、それでも気付かれないように愛情を隠している事も」


ポイズンは暫く口を閉ざすと諦めたように溜息をつく。


「・・・許可しよう」


そう言ってポイズンは「仕方あるまい」と目を伏せるのだった。




+++




「さーて、じゃぁ行きますかぁ」


夢喰い屋の扉に、バンズがポケットから取り出した白い鍵を差し込んだ。
ガチャリを回すそれを見て、凌が嫌そうな顔を零した。
そしてその手は「てめぇも道連れだ」と言わんばかりに牟白を捕まえている。


「ちょ、どこ行くの山本」


翔と慌てて玄関に出て来た亜月が凌の服を掴むと、「天国に旅立つんだよ」と顔をしかめる。
その言い回しに含み笑いを零す翔に拳骨を食らわせ、亜月と翔を睨んだ。


「今回はぜってー連れてかねーぞ。俺の負担が増える」

「よう、だったら俺の手も離せよ凌」

「いーんだよお前は。ちょっとやそっとじゃ死なねーから」


「どういう意味だ」と眉を寄せる牟白を引っ張り、扉を通り抜けた。
バンズが夢喰い屋の扉を閉めようとする寸前に、思い出したようにガットを振り返る。


「ガットは来れるだろう? 白と黒の鍵の両方あっただろうし」

「あぁ。なんとかイガラを説き伏せて後を追う」

「そうかい」


ふっと笑い、最後に亜月に視線を向けた。


「それじゃぁ可愛い子猫ちゃん。今度会ったらデートしよーねー」

「え、えぇ・・・ッ?!」

「ぐずぐずしてんじゃねーよさっさと行けゔぁか野郎!!」


帽子を持ち上げて挨拶するバンズを蹴り上げ、強引に扉を閉めるガット。
ぴしゃり、と閉まったそれを振り返り、牟白が「それにしても・・・」と辺りを見渡す。

そこは、建物も地面も全てが真っ白の世界だった。


「真っ白だな・・・ここ」

「目ん玉に対する虐待かこれは」


元々くまのある目をこする凌の背後で、不意に幼い声が「よ、ようこそ」と言った。
振り返ってもそこに姿はなく、少し視線を落としてみる。
するとそこに見事なオレンジ色の髪をした少年が立っていた。


「ぼ、僕がグリプ・メイリー・カーンです・・・はじめまして。凌さん」