邪魔だてするなら、 殺 し て し ま え 。




70 :包帯の下の火傷




+それぞれの準備+


beensの屋敷は広く、凌は詮索がてらブラブラと長い廊下を歩いていた。
時折出くわすメイドや部下たちはみな笑顔で凌に挨拶をしてくる。
なんともフレンドリーなマフィアどもだ。
何度もそう思い、その度にボスがボスだから・・・と納得する。

暇だと視線を流すと、バルコニーがある事に気が付いた。
真っ白なそこへ出ると、綺麗に整えられた庭が広がる。
日向であったせいか、バルコニーはほかほかとしていてベンチに腰を下ろし目を瞑った。

眠い・・・

彼からしてみたら昨日の晩は珍しくも夜中の2時まで起きていた。
何故か無償に胸騒ぎがしてたまらない。
不安か心配か、とにかく胸にモヤを抱いたまま寝付いてしまったせいもあって、夢見も悪い。

このまま寝ちまうか。

そう決心した時に、瞼の上に影がさした。
誰かが立っているのだろう。
そう判断して「何だよ・・・」と不機嫌に言い放ち、瞼を押し上げる。
と、そこには・・・


「やぁ凌クン。おはよう。良い夢を見れたか、な゙ッ?!」


鼻先数センチの所に顔があって、反射的にそれの頬を名一杯叩く。
勢いで顔が背けたそれ・・・ラスターが赤くなった頬をさすりながら「痛いじゃないか」と凌に抗議の声を上げた。
しかし凌は聞く耳を持たない。


「君もまた手の早い男だね・・・見たまえよ君の拳のせいで私の綺麗な顔が台無しだ」

「あぁ、何お前ナルシーなのね」

「うふふふふ。別にナルシーと言うわけじゃないよ。本当の事だから胸を張って言える!」

「・・・うわぁ・・・」

「それに君の美しい寝顔を見る事が出来たから、まぁいいとしようじゃないか」

「よーし顔を出せ。もう一発殴ってやる」

「まてまてまてまてまて待ちたまえ」


はっはっはと空笑いを零し、凌に掴み上げられた胸ぐらを何とか外す。
無駄にビラビラしている服をYシャツの襟を直し、ふうと息を吐く。


「やれやれ少し落ち着きたまえよ凌クン」

「生憎俺に危害を加える奴はとりあえず殴っとくんだわ、俺」

「あぁ、趣味の悪い・・・」

「アンタに言われたくない」


凌の隣に空いているベンチに腰を下ろすラスターと距離を取る。
彼の金髪が妙に空色ががかっている。
不思議な色だ。

風に靡くそれから目をそらし、再び目を閉じようとすると「おいで」と座ってすぐのラスターが立ち上がって手を差し出す。
その仕草があまりに臭くて背筋に氷が落ちたようにゾクリと毛が逆立った。
きもちわりぃ・・・
顔を思いっきり歪めて、「何」と単刀直入に問いかける。

行き場をなくした手をやれやれと言ったふうに振った。


「私たちのファミリーを案内してあげようかと思ってね」

「いや、いいです遠慮します。つーかアンタについていきたくない」

「君のその率直さはある意味素晴らしいものを感じるよ」

「そりゃどーも」


腕を頭のうしろで組んで首をあずけると、「いいから来たまえよ」とむかつくほど明るい声であははははははと笑うラスター。
無理矢理凌の手を取ると、それを拒絶した凌の腕の包帯がほどけた。
しゅるりと解けたそれを取り戻そうと立ち上がる凌に、ラスターはにっこり笑って言う。


「さぁ、おいかけっこの時間だ!」


シュパーン!!!

まさにそんな効果音を立てて、ラスターがバルコニーから消える。
呆然とする凌が、すーすーと風が撫ぜる腕とラスターの消えた方向を交互に見やる。

包帯のない白い腕は、赤黒い焼けた肌を余計に目立たせている。


「・・・・・・・・・あんの・・・変態野郎・・・ッ!!!」


一瞬の風が吹いたその後には、その場に凌の姿はなかった。




+++




ギィ、とアンティークな椅子を引っ張り出し、腰掛ける。
譜面代を丁度良い高さにセッティングしてから使い古した楽譜をそこに置いた。

それから壁に立てかけてあったヴァイオリンのケースを引き寄せ、中から光を反射して光る使い込んだヴァイオリンを取り出す。


「さて、はじめるか」


まるで愛でるように繊細に、指先でヴァイオリンをなぞり、顎を乗せる。
いつみても綺麗だな・・・とうっすらオレンジ色の瞳を開いてそれを見た。
弓を弦に添えて、静かに引く・・・


「はーっはっはっはっはっはっはっは!!! 捕まえられるものなら捕まえてみたまえ!!」


ギィッ?!

耳を劈くような音。
突然飛び込んできた聞き慣れた高笑いに思わずヴァイオリンが悲鳴を上げる。

それは勢いよく部屋に入り込んできて、手に包帯を掴んだまま「やぁゾムリス!!」と手を挙げた。


「おはよう元気かい?! いやぁ私はこんな朝からランニングで多少疲れてしまっているがね!!」

「・・・―てめぇッ」

「しかしどうしたのかね? 今朝はまだあのけたたましいヴァイオリンの悲鳴が聞こえてこなかったが寝坊かい?」

「てめぇが邪魔したんだろーがフラップ!!!」

「あぁそれは良かった!! 君の演奏姿は芸術的だが君の演奏そのものはひどいからね!!」

「てめぇゴルァ!! 殺されてぇのかあぁ?!」


さっきまで大切そうに扱っていたヴァイオリンを振り上げてラスターに迫るゾムリス。
すると不意に彼の黒髪を揺らして何かが通り過ぎた。
そしてゴッと言う重たい音と共にラスターの狂ったような笑いが歪に揺れる。

ものすごい勢いで飛んできたそれは奇抜な色の髪をした凌だ。

無言でラスターの頭を力任せに蹴り上げ、吹っ飛んだ彼の手から包帯を取り上げる。


「良い度胸してんじゃねーか、あ゙ぁぁ? 俺さー変態と熱血ってこの世でいなくなればいいと思ってんだよねー?」

「お、おい・・・」

「つーか朝っぱらから人の睡眠妨害した上に俺を走らせるとかありえねーんですけど。ム カ ツ ク ん だ よ こ の ボ ケ ッ!!」


一言一言に怨みを込めてラスターを踏みつける。
さすがにそれを哀れに思ってか、ゾムリスが凌を押さえ付けた。
それでも足を伸ばしてラスターを蹴ろうとしている凌はひどく不愉快な顔をしている。


「ちょっと待ておいコラ。流石にそりゃひでーだろ」

「うるせぇ黙れ。殺すぜってーコイツを殺す」

「・・・フラップ。つくづくてめぇは人の怨念の矛先を受けるのが好きだな」


凌を取り押さえながら呆れた顔をラスターに向けると、鼻血を拭きながらむっくり起き上がる彼が困ったように肩をすくめる。


「別に好きで嫌われているわけではないよ。みな勝手に私の美しさに嫉妬してやつあたりしてくるだけの事さ」

「あぁ、お前はそういう奴だったな」

「うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇうぜぇうぜぇ」

「お前はお前で落ち着け獏」


パシンッと軽く凌の頭を叩き、ゾムリスが深い溜息をついた。
その時ちらりと視界に入った凌の焼けただれた腕に目を細める。
オレンジ色の瞳が自分の腕の火傷に注がれている事に気が付いた凌は、居心地が悪そうにそっぽを向いて包帯を巻き始めた。

そんな凌にゾムリスが唇を開く。


「それが、獏家を滅ぼした時の火傷ってやつか」

「ッ」


まさか言い当てられるとは思っていなかった、と言わんばかりの驚いた顔でゾムリスを振り返った。




+++




「博士、アントラさんと連絡が付きました。あと、グリプさんとも」

「・・・何と言っていた」

「アントラさんは“いつでもいい”との事です。グリプさん率いるbeensファミリーは明日朝一番にwhiteemperorに乗り込む予定だそうで」

「そうか」


仮眠を取っていたのか、珍しく包帯を巻いていないポイズンが伏せっていた机から顔を上げた。
しかし疲夜や殺舞や死魔の立つ位置からは彼の疲れ切った背中しか見えない。
ザンバラな灰色の髪が窓から入り込む風に揺れ、ポイズンがゆっくりと立ち上がる。


「そろそろ、準備を始めたまえ」


「私たちは明日の夜出発する」と言い放ち、彼は立てかけられた写真を手に取り金の目を細めた。

さぁ、過去の清算をしにいこうじゃないか。




+++




乱れた金の前髪をかき上げて、天上を見上げた。
漆黒の部屋を照らすシャンデリアがキラキラと光って、部屋中に乱反射している。
ガットは大きく舌打ちをして、ベッドの上の布団を蹴り落とす。


「whiteemperorに行かせろだと? 駄目に決まってるだろぉ」


whiteemperorに言って、ジャックに言わなきゃならねぇ事がある。
そう言ったガットに、イガラはすっぱり言い捨てた。
勿論それに反論しようとするが、傍に立っていたソルヴァンによって止められてしまったのだ。
ついこの前最高裁判官についたイガラよりも、長年最高裁判官補佐兼、第U席を勤めてきたソルヴァンにどうしても逆らえない。

そして苛立ちを隠せずに部屋に帰ってきて、ベッドに体を預け今に至る。


「・・・チッ」


このままじゃwhiteに忍び込む以前に、どうやってblackを抜け出すかという問題が浮き彫りになってくる。

何か方法がないかと顔をしかめるガットの部屋の扉がコンコンと小さく叩かれた。
「何だ」と不機嫌に返事をすると、「先輩」と呟きながら倖矢が入ってきた。


「・・・んだよ、倖矢かよ」


自らの後輩の姿を確認してすぐに、コバルトブルーの瞳が天上へ戻される。
倖矢は静かに足を進めると、ベッドの傍に寄ってガットを見下ろした。


「先輩、行かないんですか」

「・・・」

「あんなにwhiteemperorに戻りたがってたじゃないですか」

「しょーがねーだろ。あの女の許可なしじゃこの屋敷から出れねぇんだよ」

「・・・ジャック先輩なら、強行突破するんじゃないんですか」

「・・・」


ギシ、とベッドのスプリングを軋ませて、ガットが上半身を起こす。
倖矢の瞳に映る金髪が乱れて風に揺れた。
暫く黙っていたかと思うと、ガットはベッドの傍のテーブルの上に置かれていたホルダーと白と黒の鍵を取り上げる。

いつものように太股にそれをセットして、ガシガシと頭をかいて倖矢を振り返る。

にやり、と彼の顔に笑みが零れた。


「てめぇが提案したんだ、俺がいない間の事は任せたぜ」


踵を返し、部屋を出て行こうとするガットを呼ぶ。
「何だ?」と再び振り返る彼に、持っていたそれを突き出した。
それは、年季の入った白ワインのボトル。


「ジャック先輩と会うのは、久しぶりでしょう」

「カッ てめぇが気ぃ使うと気持ちわりぃな」

「・・・」


不機嫌に眉を寄せる倖矢をからかうように笑って、ワインボトルを受け取る。
それを頭の高さまで持ち上げて「じゃぁな」とドアノブに手をかけた。


「ギャハハハハッ 久しぶりに暴れてやるか・・・ッ!!」


くるりと鍵を指先で回し、ガチャリと拳銃を掌に納めた。
ズッコズッコと引き摺るかかとの足音が、妙に廊下に響いていた。




+++




「何だっていいだろ」


ゾムリスの視界から腕を隠し、凌が彼を睨んだ。
しかしゾムリス当人はそれを軽く受け流し、小さく溜息を吐いて腕時計を見下ろした。


「・・・そうか」


呟く声と同時に、静かに扉が開いてひょっこりとグリプが顔を出す。


「こ、ここにいたんですね」

「あぁボス。おはよう。今日もライパビ似のオレンジ髪が美しい!」

「お、おはようございますラスター」


苦笑を零すグリプが凌にその潤んだ目を移した。


「き、来て下さい。出発の時間が早まりました」


「何?」と眉をひそめるゾムリス。


「た、たった今から、whiteemperorに乗り込みます。じ、時間がないんです」