椿の花の散り様はまるで首を落としたようだ。
その毒の匂いは腐臭を漂わせる死体のようだ。
そして私はその二つを名に持った
首を落とした死体にすぎない。
75 :椿と毒
+美しい過去+
「随分と派手にやっているな」
不意に背後から声がかかり、もはや生存者のいない部屋からふらりとジャックとガットが視線を逸らした。
そこには曇天色のマントを肩に掛けた、顔の90%を包帯に覆われた男が立っていた。
真っ白の包帯に映える灰色の髪と金色の瞳は印象的で、初めてその姿を拝むジャックはその奇抜さに顔をしかめる。
「よぉ、ポイズン」
それが誰なのか見当が付いていたにもかかわらず、声を発しようとしなかったジャックに代わってガットがその男の名前を呼んだ。
包帯の男、ポイズンはその声にちらりとガットを見やってから辺りを見渡す。
「・・・まるで血の海だな」
「俺らも鬱憤が溜まってんだよ」
「それにしてもやりすぎだろう」
「カッ、うるせぇほっとけ」
じっとガットとポイズンの会話を聞いているジャック。
そのエメラルドの瞳にははっきりとした敵意が含まれている。
そして勿論、それに気付かないほどポイズンも馬鹿ではない。
「何だね」
「・・・気に喰わねぇ」
「それは良かった。私も君のような野蛮人は嫌いだ」
「言うじゃねぇか。やんのか、あぁン?」
「落ち着けよジャック」
床に突き立てていた長剣を手に取るジャックの肩を掴んで制す。
ジャックは一瞬ガットを睨むと、握った剣を鍵へと変えた。
それを慣れた手付きで鍵束の中に戻し、鼻を鳴らす。
そんなジャックがぶっきらぼうに「中庭だ」とポイズンに背中を向けて吐き捨てた。
「・・・そうか、行くぞ」
たった一言でその意を悟ったポイズンは、疲夜たちを連れて再び歩き出した。
ガットはその後ろ姿を静かに見据え、消えるのを待ってからジャックを振り返る。
「いいのかよ? あんなにあっさり腐仁の居場所ゲロって・・・」
片眉を上げて問いかけると、ジャックは心底不機嫌そうに顔をしかめてそんなガットを睨んだ。
「ファッキン、バカ言え、良いわけねぇだろ」
「だったら・・・」
「先に」
不満そうなガットの言葉を遮るようにジャックが声を発した。
その声はひどく低く、怨念が籠もっている。
「あの女・・・クリスを殺す」
「・・・」
「長い間この俺をコケにしやがったんだ、当然だろ」
そう言ってジャックは暫く沈黙を保っていたガットを振り返った。
「本当はお前をblackにぶち込んだ腐仁の野郎を先に殺そうと思ってたんだけどよ・・・」
「あの包帯野郎にチャンスをやる」と微かに笑む。
チャンス?と問いかけるような眼差しを向けるガットに、ジャックは笑って答えた。
「俺らがクリスを殺して戻って来るまでに包帯野郎が腐仁を殺してたら諦めてやるが、俺たちの方が先だったら・・・」
「・・・」
「その時は俺が腐仁を殺す」
「・・・珍しいな、お前が他人に何かを譲るなんてよ」
「ハッ、今日は気分がいいんだよ」
ガットが戻ってきたから。
また殺し合いが楽しいと思えるようになったから。
もう、独りにならずにすむから・・・
「行くぜ」
「・・・あぁ」
ジャックの声に軽く返事をし、ガットは重い足を動かした。
前を行くジャックは後ろ姿からでも機嫌がいいのが見てとれる。
しかしそれを見るガットの気持ちは沈んでいくばかり。
・・・ジャック・・・
blackkingdomで受け取った彼の逮捕令状だけが胸に不安を作っていく・・・
+++
クモとサソリの前に立ち、それぞれの武器を構えるゾムリスとラスター。
バンズや香王に押されて2人に背を向け、凌や牟白が歩き出したその時。
「だめよ、どこ行くの?」
幼い声。
場違いなその声に皆が振り返ると、そこに小さな人影を見た。
それはまだ幼い子供で、いつか見たblackのチュリル・ボトムほどの年齢の少女だった。
少女は綺麗なショートカットの金髪を靡かせて、幼い笑みを浮かべている。
しかし、何故かひどくその笑みに気圧されるのだ。
「あたしティッセルって言うの、よろしくね」
凌と牟白の微笑みかけるティッセル。
微かに凌が顔をしかめると、そんな彼の頬をかすって何かがティッセル目掛けて飛んでいった。
額縁だ。
壁にかけられていた巨大な額縁。
それが凌の頬をかすめてティッセルへ吹っ飛んだのだ。
何事だと振り返ると、いつの間にかぬんちゃくを手に仁王立ちしている香王がいて、あからさまな敵意を抱いた瞳をティッセルに浴びせていた。
「久しぶり・・・ティッセル」
「あら香王。あなたもいたのね」
「白々しい! この嘘つき猫が!」
険悪な雰囲気が流れ出しているのを悟り、凌と牟白がバンズを振り向く。
彼は困ったように肩をすくめると、眉尻を垂らして苦笑した。
「香王ちゃんとティッセルちゃんは前々からライバルでさ・・・昔はよくボスの取り合いしてたんだよ」
「取り合いって・・・片方はガキだろ」
「いや、そうでもないんだよね・・・」
「彼女、あれで香王ちゃんと同い年」と苦笑じみて言うバンズの言葉に凌と牟白は目を剥いた。
だってどう見ても彼女は女性ではなく少女なのだ。
そんな2人の間をすり抜けてティッセルの前に進み出る香王。
それを確認するように見届けたバンズが「行こうか」と歩を進めた。
「あら、どこ行くのよバンズ」
「いやぁティッセルちゃんに心配かけるからあまり言いたくないんだけ」
「ボスのところ?」
遮る声は幼いはずなのにあからさまな敵意と殺気を含んでいて、香王がぬんちゃくを構えた。
「ライパビ様の次はクリス様を殺そうって言うの?」
「別に殺そうってんじゃないんだけどね」
「止めてくれないかしら」
スカートのポケットから鍵を取り出した彼女が憎々しげにバンズや香王を睨み付ける。
鍵はみるみるうちに巨大なハサミになり、ジョキンジョキンと刃を擦った。
「もうあたしのボスを傷つけないで」
「ボスはあたしのものよ」と走り出したティッセルのハサミをぬんちゃくで受け止める香王。
ギリギリと攻防戦を繰り返しながら「進め!!」と香王がバンズたちを叱咤した。
バンズはやれやれと肩を竦めると、凌や牟白と歩き出す。
「死ぬなよ〜?」
という呑気な言葉を残して。
+++
中庭へと歩を進めていたポイズンははた、と足を止めた。
長い廊下の向こうから何かが歩いてくる。
それはゆっくりと近付いてくると、「あ?」と声を上げた。
「ポイズン?」
揺れる奇抜色の髪。
整った顔の右目を伏せている彼は凌だった。
ポイズンは軽く目を細める。
「何でいんの?」
「・・・」
「ちょ、黙ってたら分かんねぇんだけど」
顔をしかめる凌。
それでも沈黙を保ち続けるポイズンはす、と一歩前に進み出た。
と、同時に凌の体に衝撃が走る。
「君は、誰だね?」
冷め切った言葉が包帯の隙間から零れ出て凌をその金の瞳が射抜いた。
凌はにやりと笑い、腹に受けた衝撃・・・ポイズンの手に握られているメスから体を引き抜いた。
しかし彼の腹部には血などなく、クスクス笑いながら凌はふっと消えた。
消えた、と言うより鍵び戻ったと言った方が正しいだろう。
今まで凌が立っていたそこには白い鍵が1つ落ちている。
その様子を見ていると、不意に誰かの腕が伸びてきて、床に落ちた鍵を拾い上げた。
「キヒヒッ、相変わらずつまんねぇ奴だなァ?」
喉をひっかくようなその声の主は指先でくるくる鍵を回しながら楽しげに笑った。
「よォ、久しぶりだなァポイズン。来ると思ったぜ」
キヒヒッと肩を揺らして笑うそれに、ポイズンはメスを手に睨み付けた。
「・・・腐仁・・・」
あぁ、なんて憎らしい名前だろう。
+++
「・・・き・・・つ・・・椿」
優しい手。
それが私の頭を撫でて、彼女は青白い顔のままほほ笑むのだ。
床に伏せった彼女は弱々しく言葉を紡ぐのだ。
「椿、私の・・・可愛い子供」
私の灰色の髪を。
私の金色の瞳を。
彼女は愛おしそうに包むのだ。
「貴方のせいなんかじゃないわ・・・自分を責めないで・・・貴方を残して死んでしまうかか様が悪いのよ」
「・・・母上・・・」
「とと様を憎んだりしないでちょうだい・・・」
「・・・しかし母上・・・」
彼女の手は細い。
そうだ、私を産んだからだ。
もともと体が弱いと言うのに、私を産んでしまったから彼女は死んでしまうのだ。
分かっていた事なのに。
「椿、椿、私の可愛い子・・・」
「母上ッ!!」
手はするりと私の掌から滑り落ち、彼女は死んでしまった。
私を産んでしまった哀れな女。
毒を産み落とした哀れな女。
あぁ、母よ、貴方の最大のあやまちは、この私をこの世に産み落としてしまった事だ。
父は言う。
母を殺した毒の子よ。
貴様に椿の名は似合わぬと。
あぁ憎らしい我が息子。
お前の名前は“毒椿”
その持って生まれた毒で周りの者共を不幸に貶め、椿の花のように首を落として死んでしまえ。
「毒は私と切っても切れぬモノ・・・」
毒は私。
私は毒。
私は周りを溶かす、腐臭放つ毒の塊。
「腐仁・・・君の全てをこの私が溶かしてやろう」
私は全てを溶かす、Dr.ポイズン