屈辱には屈辱を。
敗北には敗北を。
支配には支配を。

お前には、絶望を。




78 :重罪




+騙し続けて、+


目の前の女はまるでマリオネットのようだった。
クリス・ワネット。
表情のない、魂の抜けたようなその女は薄い唇を開いて「腐仁・・・」と名前を呼んだ。


「腐仁、どこにいるの・・・この人たちを追い出して」


部屋の中をふらふらと歩き回りながらそうやって腐仁を呼ぶクリスはまるで精神異常者だ。
凌や牟白が顔を見合うと同時に、バンズが帽子を取って「やっぱりな」と呟いた。
ガーゼに覆われて見えない右目とは逆の眼で、その灰色の瞳で、クリスを見る。


「クリスは腐仁の操り人形だったわけだ」

「・・・どういう事だよ」

「俺の知ってるクリスは、こんな女じゃなかった」


真剣な眼差しで「腐仁、腐仁」と連呼し続けるクリスを見つめるバンズは、物悲しそうに眼を細めた。


「クリスは正直で、素直で、いつもアリアベールと仲良く話してた、いい子だった」

「アリアベール?」

「アリアベールもいつも言ってたんだ、クリスはとてもいい子だって」

「バンズ? おい、何の話して・・・」


不審に思ってバンズの顔を覗き込む凌と牟白が、不意に動きを止めた。
それはぽたりと彼の頬を伝って落ちたのだ。
悲しみを携えたその雫は灰色の瞳からいくつも流れおちていく。


「聞いて、バンズ。クリスったらね・・・」


バンズは流れ落ちる涙も拭かずに目の前の痛々しいクリスを見つめ続けた。


「俺がボスに推薦したんだ・・・俺が、ライパビに・・・次のボスはクリスが良いだろうって言ったんだ・・・」

「・・・」

「俺が、俺が・・・ッ」


帽子を床に取り落として、バンズは膝をついて目元を覆った。
クリスをこんなにしてしまったのは俺のせいだ。
俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせい
だ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせい
だ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺
のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺の
せいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ
俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺
のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺の俺の俺の俺の俺の・・・

俺の、せいだ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


「次のボスはクリスにしたらどうだい?」

「クリス・・・あの、クリス・ワネットのことかな?」

「あぁ、俺様が推薦するよ」


あんな事言わなければよかった。
いい子だったんだ。
素直で優しくて、いい子だったんだ。
護れなかった。
また、護れなかった。

俺がwhiteのボスなんかに、クリスを推薦しなければこんな・・・!!


「こんな事にはならなかったのに・・・!!!!」




+++




「どうしたんだァ? ポイズン。随分動きが鈍いぜェ?」


天井に足をつけて逆さまにポイズンを見下ろす腐仁。
ポイズンはふん、と鼻を鳴らすと幾部屋か向こうで鳴る轟音に視線を向けた。

おおよそ、ジャックやガットが暴れているのだろう。
凌たちは無事にクリスを説得できただろうか。
目の前の腐仁の事も大事だが、何よりクリスの方が心配だった。
半ば上の空のポイズンの視線の先を腐仁がちらりと見ると、キヒヒッと笑い声を上げる。


「そんなに心配かァ?」

「ふん。君には関係のないことだ」


素っ気ないポイズンの反応に、腐仁はククッと喉を鳴らすと、指をパチンと鳴らした。
するとぐるりぐるりと部屋が歪みだし、腐仁の脇にあった扉へと“部屋自体”が吸い込まれていく。

その異変にポイズンが眉を顰めると、腐仁がいつものようにキヒヒと笑う。
その声はまるで反響するかのように目まぐるしくポイズンの脳を駆け巡った。


「悪ぃなポイズン」


目の前にあるのか、それとも遠くにあるのが分からない腐仁のいやらしい笑み。


「時間だァ」





崩壊の時が始まる。




+++




「A地点ー、特に何もありませんどーぞー?」

「B地点、何にもないよ、どうぞ」

「・・・・・・何をやってるんですか、あなたたちは」


呆れた顔で目の前の青い髪の少女と黒髪の少年を見下ろす疲夜は、元々細い目を更に細めて溜息をついた。
左右を確認しているのだろうこの二人、死魔と殺舞は不思議そうな顔で疲夜を振り返った。


「A地点もB地点もないでしょう。あなたたち1メートルとして離れてないじゃないですか」

「えーそんなコトないよーね、殺舞ー」

「ボクも意味ないと思うけど」

「あー裏切りものー!」


小さな殺舞をポカポカと殴る死魔を見て新たに溜息をつくと、疲夜は「とにかく」と二人を制した。


「博士を捜さないといけませんね」

「ホントだよねー、博士どこ行っちゃったんだろ? 扉くぐった瞬間にいなくなっちゃうなんてさー」

「もしかして博士、迷子・・・?」

「オレたちが、の間違いでしょう?」


殺舞の言葉を強く否定し、疲夜は辺りを見渡す。


「それに、どうにも腑に落ちません。あの時オレは確かに博士が消えたのを見たんです」

「博士が消えた?」

「おそらく、あの扉屋の仕業です。元々非合理な商売なわけですし、信用なんて皆無。博士が扉を潜った瞬間に繋ぐ扉をずらしたんでしょう」

「疲夜頭いいー」


パチパチと手を叩く死魔を無視し、「それともう一つ」と言葉を紡ぐ。
彼の深紅の瞳はくるりと右から左に動くと、そこにある一つの扉を見つめた。


「この白い空間にただ一つある“緑の扉”です」

「これー?」

「はい。異様だと思いませんか」


見渡す限り純白しか存在しないと言うのに、何故この扉だけ緑なのか。
疲夜は静かに目を伏せると、右目を覆った眼帯を取り去る。
そこには鮮やかな淡いオレンジの瞳があり、静かに廊下を見つめて顔を歪める。


「下がってください」


死魔と殺舞を背中に押しやって、疲夜は背負っていた大きな注射器を下ろした。


「・・・何か、来ます」


そう言葉を発した時、その緑の扉がガチャリと開いて・・・・・・




+++




ぐらりと視界が揺れて、それもそろそろ安定したと思ったその矢先。
ポイズンの金の瞳に映る部屋の内装ががらりと変わっているコトに気が付いた。
今まで広々としていたホールから、そこは一つの部屋の中へと変わっていた。
ここはどこだと視線を漂わせると、背後から「ポイズン?」とうわずったような凌の声が聞こえた。


「なんで、ここに・・・?」


声の方へ振り返るとしゃがみ込んだバンズと、その傍らに膝をついている凌と牟白が視界に飛び込んでくる。
どういうことだ・・・?
アントラの話では凌たちはクリスの所へ行ったと・・・
依然として口を閉じたままのポイズンが再び視線を巡らせると、部屋の隅の方・・・そこに、クリスと腐仁がいた。

正確には

クリスの死体を持った、腐仁が、だった。


「キヒヒッ この女もバカだよなァ」


ドサ、と床に落とされたクリスは虚ろな瞳を晒したままだ。
ポイズンか微かに顔をしかめると、その手にあるメスを強く握り直した。

腐仁はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたまま、クリスの頭を足蹴にする。


「どうせblackでも失敗whiteでも計画外ばかりだ、話してもかまやしねぇだろ」

「失敗・・・?」

「キヒヒッ 間違いと後悔ばかりのてめぇの人生と同じだろ? ポイズン」

「・・・」

「なァ? 獏家の本来の当主・・・毒椿サンよォ・・・・?」

「!?」


腐仁は唇を固く閉じたままのポイズンへ向かって手を翳した。




+++




縁側を緩慢な動きで歩いていく男が、私の父だった。
灰色の髪で、鮮やかな深紅の瞳をしていて、賢く、彼のするコトに一つの間違いはなかった。
blackkingdomの最高裁判官をやっていたからか、もしくは信頼している部下だったのか。
おそらくそのどちらもの理由であろうが、その背には必ず高価な絹のような銀の髪を持った男がいた。

父の名は、杜若。

私は、あの男が・・・






大嫌いだった。






私のコトなど、見た事がなかった。

愛情なんぞ、受けたことがなかったのだ。

アイツが憎かった。
母は私を生んでしまった所為で常に寝たきりとなってしまって、父の頭には仕事のコトしかなかった。
母のコトを寵愛していた杜若は、私のことを忌み嫌っているのが明確だった。

だがしかし、杜若はblackkingdomの屋敷に入り浸り。
“愛している”と言うくせに、私の母を放っておくコトが気に食わなかった。
愛しているなら、ずっと傍らにいて、その小枝のようにやせ細ってしまった母の手を握っていてほしかった。
愛しているなら、艶やかな黒髪を撫でてあげてほしかった。


本当に愛しているのなら・・・私が、母の傍で手を握って嘆くコトなんてなかった。


「そうだ・・・嘆くことなどなかったのだ」


腐仁の掌から脳内に流される映像や声に被って、ポイズンの声がする。
驚愕した表情で、まさかと言わんばかりの顔でポイズンを見る凌に、ポイズンはちらりと視線をやってから顔に厚く巻かれている包帯を解き始めた。

するすると床に落ちていくその包帯の下からは血色の悪い白い肌。
どこか凌と似ている顔立ちの、その右目は


凌のそれと同じ、漆黒に浮かぶ、銀の瞳をしていた。


「君を騙していて、すまなかった」


私は、


「君の腹違いの兄だと、口に出来るような者じゃない・・・」


ポイズンはいままで見た事がないような、淡い悲哀の表情を浮かべた。