私と同じ境遇の弟よ。
守ってやれなかった事を怨んでくれたまえ。
見捨てた事を怨んでくれたまえ。
私に君の兄を語る資格はない。
君に私を、愛す義務は、ない。
79 :裏切られた、と心が軋む
+綺麗な涙+
するりと床に落ちた真っ白の包帯。
それが先程まで巻きついていたポイズンのその表情は、ひどく哀しい。
凌は自分と似たその面持ちを見上げたまま、何も言えずにいた。
兄・・・?
俺の・・・?
そんなはずはない。
だって獏家の血を引く者たちは全て自分の胃袋に収まっているのだから。
今更その獏家の生き残り・・・しかも自分の腹違いの兄、だと・・・?
凌は目に見えて困惑していた。
その横では凌がまた発作を起こしやしないだろうかと不安顔の牟白がいる。
すると不意に、凌の喉が震えて、絞り出すような掠れた声がした。
そう、本当に微かに。
「俺の・・・兄貴・・・?」
そして同時に、ポイズンの肩が小さく震えたのを、牟白は見た。
「ポイズン?」と声をかけるが、ポイズンは沈黙を保ったまま、指先や首にまきついた沢山の包帯をするすると解いていく。
その下に見える青白い肌が露わになり、灰色の髪が余計に際だった。
ポイズンは全ての包帯を取り終えると、壁に寄りかかっていた腐仁をその金と銀の瞳で睨んだ。
「・・・何だァ? その目は・・・」
気に食わない。
気に食わない。気に食わない。気に食わない。気に食わない。
「告げるつもりはなかった」
白衣のポケットからメスを取り出したポイズンは静かな声を震わせてそう吐き捨てる。
「私が兄だと、告げるつもりはなかった。黙っていたかった。黙って、凌の内にできた深い傷を少しずつでも癒せればと思っていた」
「・・・ポイズン・・・」
「告げてしまえば傷つける。そう考えて―・・・」
そこまで言いはなった時、ポイズンは「いや・・・」と言葉を含んだ。
違う、そうじゃない。
そんなに私は偽善者ではなかった。
私が、凌に兄だと言わなかったのは・・・いや、言えなかったのは・・・
「怖かった」
そうだ、怖かった。
凌に嫌われてしまうのが。
二度と私の病院に来なくなってしまうのが。
私は怖かった。
+++
愛された覚えがなかった。
あの父親・・・杜若は、私を愛した事がなかった。
だから私も杜若が嫌いだった。
私への扱いは酷く、私は限界だったのだ。
しかし私は獏家を継ぐための右目を受け継いでしまっていた。
だから家を出るに出れなかったのだ。
けれど限界だった。
どうしても我慢ができなかった。
そんな時だった・・・
「杜若様の側室様がお子をお産みになった!」
「何でも彼の右目を受け継いでいらっしゃるとか!」
ドタバタと屋敷を走り回る小間使いたちの話を聞いてしまった。
普通家督を継ぐための、獏家代々に伝わる右目は世代ごとに一人しか生まれない。
それなのに、その右目を持った赤子が生まれたと言うのだ。
私は我が耳を疑った。
そして同時に心が躍った。
これで、この家から出ていける。
私はあの父親から解放される・・・!
「これで・・・私は・・・!」
私はその赤子が生まれた事で、私自身が助かる事しか考えていなかったのだ。
若かったから、と今なら言い訳できるかもしれない。
私と同じ道を歩まぬようにと、その赤子を父の手から守ってやろうなどとは微塵も思っていなかったのだ。
私はその晩に家を出た。
腹違いの妹を連れて。
「待って兄さん! 待って!」
「早くしろ! 父上に見付かってしまう!」
「でも、でも・・・あの子はどうするの? あの子だって兄さんと同じように右目を持ってるわ!」
妹の手を引き、私は走り続けた。
幾度となく赤子を心配する妹の言葉に耳も傾けず。
そして私たちは日本を離れ、ドイツへ向かった。
そしてドイツのスラム街で、私はどうしようもない後悔にみまわれた。
何てことをしてしまったのだろう。
私を失った獏家では、家督を継がせんとしてあの赤子に厳しい教育を強いるだろう。
そして正室から生まれた私と違い、側室から生まれたあの赤子がまともな生活が出来るはずがない。
あぁ・・・私はなんて事を・・・
私は・・・私は・・・
私の弟を見殺しにしたのだ。
後悔しかできなかったのだ。
それからずっと後悔しかしてこなかった。
だからドイツで医者になるために死ぬ者狂いで勉強した。
まさか、その数百年後にあの赤子・・・凌が生きて、尚あの獏家を喰い滅ぼしたと聞くとは知らずに・・・
+++
疲夜は死魔と殺舞を背中に回し、その大きな注射器を構えた。
先程目の前の緑の扉から出て来た同じ顔の男たちは、そんな疲夜たちを見下ろしてイヒヒ、シヒヒと笑う。
ひやりと背中に冷や汗が伝った。
「貴方がたは・・・」
腰を低くしてゆっくりと右目を多う眼帯を外す。
この顔、この声の質・・・やはり腐仁に似ている。
昔博士がオレの次に生き返らせたと言う腐仁。
アレは生き返る前は神だったと聞く。
しかし彼の神髄の目がその二人を捕らえたその瞬間に、まるで体中の血液が沸騰するかのような感覚にみまわれた。
そして声を出す事も叶わず、疲夜の体中から真っ赤な血液が弾けるように噴き出したのだ。
逃げて、と死魔や殺舞に伝えるために視線を後ろへ向けるが、既に二人も疲夜と同じように血を辺りに撒き散らして床に伏せていた。
こ、の・・・ッ
疲夜は真っ白の床に伏したまま、目の前の男二人を睨み上げた。
見たことがない力だ。
それも理を外したようなこの常人ではない力・・・
く、そ・・・腐っても神、か・・・ッ
朦朧とする意識の中、疲夜はポイズンの心にわだかまりを造った本人に似たその顔を怨んだ。
+++
「ファッキン! 口ほどにもねぇ!」
剣についた血を振って払うと、ジャックは返り血も浴びていない銀の髪を靡かせて足下に横たわるティッセルを見下ろした。
くだらねぇ。
こんな弱ぇ奴らと同じに幹部を名乗っていたとは・・・泣けてくるぜ。
不機嫌顔でガットを振り返ると、ガットはゾムリスに銃弾を浴びせ、その時間を止めていた。
その後ろでは香王もまた時間を止められている。
「物好きだな、そんなもんの時間止めて助けるつもりか?」
「目障りだから動かねぇように止めといただけだ。それより・・・」
頭をかきつつ、横にいたラスターのこめかみに迷わず撃ち込み、時間を止めたガットはジャックの方へと歩いていく。
「さっきから嫌な予感がする」
「嫌な予感?」
「・・・随分と・・・静かすぎる」
確かに、そこは戦場と言うにはあまりに静かすぎた。
ジャックの剣からしたたり落ちる血の音以外に、全く音がしない。
ジャックも静かに耳を欹てると、目を細めた。
何だ・・・?
音が、ない・・・。
こんな現象・・・記憶の中で一つしかない。
神だ。
「この屋敷に・・・神がいる・・・?」
「神・・・?」
「覚えてねぇか? 試験管ん中で無理矢理入れられた知識の中にあるだろ? あたりが静まり返るのは神がいる証拠だ」
「・・・その威圧で空気が鎮まるって言う、あれか・・・?」
「あぁ」
だがおかしい。
普通神がいてもここまで大きな屋敷全部が沈黙に支配されるほどの威圧などありはしない。
ってことは複数いるってことか?
このwhiteemperorに?
ジャックは小さく舌打ちをすると、ガットを連れてクリスの部屋へと走り始めた。
嫌な、予感がする・・・
+++
今にもメスを投げんとするポイズン。
そして相変わらず呆然としている凌。
そんな彼の傍にあった扉が、不意にキィと開いた。
目敏く牟白がそれへ視線を向けると、そこに現れたのは目の前にいる腐仁と全く同じ顔をした二人の男。
「腐仁が3人・・・?!」
牟白の呟きに答えるように、部屋に入ってきた片割れが「シヒヒ」と喉を震わせた。
もう片割れは部屋の隅に転がるクリスの死体を見下ろし、腐仁へ視線を移す。
「上手くやったみてェだな? 腐仁」
「キヒヒッ まぁなァ。さっさと仕事を終わらせてづらかろうぜェ」
「そう焦んなよ。楽しもうじゃねェか・・・折角こんなに美味そうな男がゴロゴロいんだからよォ イヒヒッ」
同じ顔が3つ並び、互いに笑い合う姿は異様だ。
しかし若干の違いが見られる。
同じ顔でも、一人は無傷、一人は顔に大きな切り傷、一人は火傷を負っているのだ。
牟白は左に放心状態のバンズを、右に困惑している凌を連れてその異様な光景の中にいた。
どうなってやがるんだ?
しかし混乱している牟白を背にしているポイズンは至って平静で、それを見た腐仁はニヤリと笑う。
「真実を知りたそうな顔してやがんなァ、え? 教えてやろうか?」
上から目線にそう言い放つと、腐仁の脇に立つ同じ顔の男たちも同じように喉を軋ませて笑った。
キヒヒ、イヒヒ、シヒヒ、と似通った顔の笑い声。
思わずぞっとするようなその光景に、牟白は息を飲んだ。
「真実が知りたきゃ墓場に行きなァ」
「そこにゾーラ・フランっつー変態ゾンビが・・・いる、ぜェ」
「ソイツが・・・俺ら、の・・・事を全て・・・知ってる・・・」
「?」
声が変な所で途切れる。
それだけではない、まるで目もピントが合わず、何故かぼやけてきた。
ポイズンが顔をしかめたが、ゴーグルのお陰か・・・状況がしっかりと把握できている牟白は目を見張った。
そこはまるで灼熱によって歪んだ空気のように、歪な空間を作り上げていた。
ぐにゃりとへしゃげたその空間に見えるは、大きなジッパー。
それを上から下へ下げて開くと、腐仁たち3人はその中へと消えた。
あの、喉をひっかくような笑い声を残して。