必要だと言ってくれ。




80.溢れた感情




+雨、そして浸水+

腐仁たちが去り、静まり返った室内。
誰も口を開けられずにいると、突然その巨大な扉がくの字に折れて吹っ飛んだ。
無惨に床に落ちた扉を踏みつけて、それを蹴り飛ばした本人であるジャックが姿を表す。
その背後には複雑な顔をしたガットが控えていて、不機嫌を体全体で表すジャックは鋭い視線で辺りを見渡した。


「ちっ、逃げやがったか」


部屋のどこにも目当ての姿がないことを確認すると、隠すこともせず舌打ちをする。
誰を、とは言わなかった。
その場の誰もがジャックの殺したがっている人物をよく知っていたからだ。
そしてその内の1人は今まさに冷たくなって、バンズの腕の中にいる。

それを見つけたジャックは静かにバンズの前に立った。

怒りと憎しみと侮蔑を含んだそのエメラルド色の視線は果てしなく冷たく、今にもその青ざめた首を握り潰してしまいそうだ。
しかし今更死体となった女をいたぶる様なふざけた趣味を持たない彼は、ただ唇を噛んで拳を握る。

取り逃がした…!
俺のモンを傷つけて、俺の手の届かない所に追いやった野郎を!
ムカつくムカつくムカつくムカつくあああムカついて仕方がねぇ…!
怒りの矛先をどこに向ければいい?
俺の膝に泥をつけさせ、この俺をいいように使った女も、もう殴っても蹴っても意味がねぇ!

わなわなと震える拳で壁を殴り、ジャックは「あぁちくしょう!!」とタンスを蹴り上げた。
宙を舞ったそれは扉同様に床の上で無惨な形を残す。
ガットはそんなジャックに近寄り、なだめるように名前を呼んだ。


「落ち着けよ。今更仕方ねぇだろ」

「ファッキン黙れ!!その口を閉じろぶっ殺すぞ!!」


殺意をこれでもかと含んだ瞳がガットを睨み、ジャックの掴んだ椅子が悲鳴を上げ始める。
ミシミシと歪むそれに一瞬目をやって、再びガットはジャックを見た。


「この世界で俺以外の奴が俺に命令すんじゃねぇ!!たかだか俺のモノの分際でごちゃごちゃと…!!持ち主に楯突くな!!!」


ベキリとひしゃげた椅子を窓の外に投げ飛ばす。
ガラスを割って空を舞ったそれは地面に叩きつけられて哀れに砕け散った。


「気に喰わねぇ!!あの野郎もその女も全て気に喰わねぇ!!死ね!死ね!!ファッキンくたばれぶっ壊れろ!!」


部屋の中心のベッドを乱暴に一度蹴り、ジャックは部屋を出て行った。
ガットはまるで悲しむように眉根を寄せると、深くため息をついて少しへこんだベッドに腰掛けた。

ミスった…

ガシガシとその金髪を乱し、後ろに倒れ込む。
追いかけようか、しかし今追ってもアイツは怒り狂っていて話にはならないだろう。

完全に話すタイミング見失っちまった…

ズボンのポケットに手を突っ込むと、指先に触れる折り畳まれた紙切れ。
ガットは先ほど足を踏み鳴らして出て行った背中を思い出してもう一度ため息をついた。
ジャックが出て行ったのを皮切りに、機能を停止していた脳が働き始め、ポイズンは早々にその場を立ち去ろうとした。
解いた包帯を握り締め、凌を視界に入れないように背を向ける。

しかし彼の行動はたった一言に阻止された。


「ポイズン…!」


震える声で、その名を呼ばれて。

ぴくり、とポイズンの動きが止まる。
しかし振り返りはしなかった。
いや、出来なかった。
しまった…と思った時には既に遅く、もう足が動かない。
まるで根が生えてしまったように重い両足に顔をしかめ、固く目を瞑る。

出て行きたい。
凌の言葉を聞きたくない。
しかしこの足が竦んで動かない。

そうだ…私は凌の言葉を恐れている。

精一杯の落ち着いた声色で「何だね」と返事を返すと、背後で凌が立ち上がる音がした。

聞きたくない…聞きたくない…!
私は君の口から否定の言葉を聞きたくない!
分かっているのだ、どれだけ自分が凌に非道を尽くしたか。
あんな家に君をただ1人残した私が、どれだけ罪深いか。

凌はポイズンの心情を知るはずもなく、静かに…しかししっかりとした口調で言葉を紡ぐ。


「昔,ハルから教わった。争いは言葉が足りねーのが原因でおこるって」


「だから」と呟くような声。
それにポイズン以外の視線が集まった。


「ちゃんと言う…けど…」


まるで今から説教でも受けるかのようなか細い声に,耳をそばだてた。

逃げてはだめだ。
凌の言葉を…例え罵倒でも否定でも、全て享受しなければ。
全て黙秘し、凌を苦しめていたのは私なのだから。

ぐ、と唇を噛んで、背後にいる凌を振り返る。
するとそれと同時にポイズンは自らの耳を疑った。




「ありがとう」




罵声を浴びせられると思っていた分、余計に言葉の意味を解釈するのが難しい。

何と言った…?
ありがとう…?

意味が分からないと凌を凝視するが、凌は苦笑にも似た笑みを零してこの銀と紅の瞳を真っ直ぐポイズンに向けた。


「俺は独りが嫌いだ。すごく怖い…だから誰かに傍に居てほしい…多分それは誰でもいいんだって、ずっと思ってた。だから人間混じりの牟白だって翔だって亜月だって、別に良かった。天使だろーと悪魔だろーと、正直誰だってよかった」

「…」

「でも、違う…っていうか…やっぱ足んねぇ…多分…自業自得だろって思うけど…俺はやっぱり、家族が…ほしかった」


段々と消え入りそうな声になるのと比例して、凌の瞳から透明なそれが流れ落ちた。


「だから…ありがとう…生きてて、くれて…全部、もう…胃袋ん中っ…て思って、たから…」


ありがとう,ともう一度呟く凌の頭を、気付いた時には撫でていた。




「君は馬鹿だ」




こんな私を許す君はひどく愚かで、
ひどくお人好しで、

優しすぎる…




+++




いいか凌。
どんな生き物だって自分以外の奴の心なんて読めねぇんだ。
だからみんな不安になる。
だからみんなすれ違う。

嘘つきになんかなるな。
自分をごまかすな。
相手を想うなら全部言ってやれ。

そこは悪い、それは良い、好きだ、嫌いだ、愛してる…

何も隠す必要なんてない。
生き物なんて案外みんな馬鹿だからよ、たった一言で救われる事なんてザラにある。
黙ってたら大切なもんも全部失うぞ。

だから辛い時も嬉しい時も、全部口に出せ。
恥ずかしがる事なんてねぇ。


大事なら大事って

胸張って言ってやれ。




+++




ガットは足早に進んだ。
目当ての銀色を探して視線を行き来させるが、やはりいない。
軽く舌打ちをしてホールへ続く扉を開けてみた。

するとその瞬間、視界に入り込む銀。

曲がる事を知らないそれはただ真っ直ぐと垂れ、ホールの中心に突っ立っていた。
静かにその名を呼ぶと、ひどく緩慢な動きで首だけこちらを振り向く。
怒りを爆発寸前で抑え込んだせいか、今は逆にぼうっとしていて、焦点の合わないエメラルドがガットを捉えた。

ゆっくりと彼に近づきながら,ガットはポケットの中からそれを取り出して握り締めた。
頭には凌の言葉が響いている。


『争いは言葉が足りねーからおこるって』


まさに,その通りだと思う。
俺は不安だ。
ジャックに必要とされているのか,不安でたまらない。
元々誰かに愛されて生まれてきたわけじゃないこの"ガット・ビター"という存在を,本当に要ると思ってくれているのか。

昔戻ってこいと言ったその言葉は,今でも有効か…?

俺は不安で不安で仕方がねぇんだ。
お前はいつもその場その場で思い付いた事をする。
猫のように気紛れだから,今もまだ俺が必要なのか。

堕天使になっちまった,俺を。

言いたい事は山ほどある。
言って欲しい言葉も沢山ある。
だけど,そんな勇気がない。

とんだ臆病者だ。

ジャックの一歩後ろまでくると,足を止めた。


「…話が,ある」

「んだよ,短く話せ。今にもブチギレそうなんだ」


不機嫌な顔。
不機嫌な声。
それが心の中の恐怖心を煽る。
一つ深呼吸をして,くるりと体ごとこちらを向いたジャックから一度視線を外す。
パタパタと誰かが走ってくる音がしたが,扉に背中を向けているから分からないし,今はそんな事どうでもいい。
ぎゅ,と拳の中のそれをもう一度強く握ってジャックの瞳を真っ直ぐ見据えた。


「俺はblackkingdomに残る」


一瞬呆けたジャックの顔がみるみるうちに真剣さを帯びて,口はへの字に,形のいい眉はつり上がっていく。

逃げ出してぇ…

本当はwhiteに戻ると高らかに宣言したい。
けれど…これは譲れない。

お願いだジャック。
俺の主。


この不出来な騎馬に,少しでいいから言い訳をする時間をくれ…




+++




ポイズンが疲夜たちを探しに行き,ガットも何かを思って部屋を飛び出して行った。
凌と牟白は呆けるバンズに肩を貸し,クリスを抱えて廊下を歩いていた。


「重てぇちくしょう…ちゃんと歩けよバンズ…!」

「俺も腕死にそう。もげる千切れる取れちまう」

「てめぇが抱えてんのは女だろうが!」

「何言ってんの唐辛子。死人って結構重たいんですよー筋肉に力入ってないからー」


いつものようにぐだぐだと文句を言う凌にちらりと視線を向ける。
声は若干かすれて目元も腫れていたが,表情は柔らかく穏やかだ。
牟白はふっと軽く笑みをこぼすと,肩にのしかかるバンズを背負い直した。
するとそこに背後からパタパタと足音がして,振り返ると血相を変えたアントラが数人の部下をつれて走ってくるのが見える。


「えーと…アントラさん…?」


抑揚のない声で凌がうろ覚えな名前を口にすると,アントラは息を乱しながら立ち止まった。


「凌くんに牟白くん!それにバンズ先輩も!よかった助けて!」

「…何かあったのか?」


牟白が眉間にしわを寄せると,青ざめた顔で口をパクパクさせる。
後ろの部下たちも顔が真っ青で震えているあたり,かなり動揺しているようだ。
その様子に凌と牟白が顔を見合わせると,アントラの悲鳴にも似た声が上がる。


「ジャックが…ッ!ジャックがガットを殺しちゃいそうなんだ…!!」


アントラに導かれてホールに向かうと,そこにはwhiteの部下たちが遠巻きにホールの中を覗き込んでいて,アントラを先頭にその人だかりをかき分ける。
一番前まで躍り出ると,不意にゴッと何かを殴る音。
それと同時に黒い何かが地面と平行に吹っ飛び,壁に激突した。

ガラガラと壁の残骸と共に崩れ落ちた黒いそれはガットで,彼の体は傷だらけ。
それに相対するジャックが無傷なのをみる限り,ガットが一方的になぶられているのは明白だった。

怒鳴り散らすこともせず,口をぎゅっと結んだままのジャックは近づくだけで殺されてしまいそうなほどの殺気を放ち,カツカツとブーツを鳴らしながら,ぐったりと動かないガットに近付いた。
普段後ろに撫でつけられた彼の金髪は乱れ,頬や唇,頭から血が滴っている。
ボロ雑巾のようなガットを容赦なく掴み上げたジャックは重みを感じさせない動きで高く腕を上げ,両手でその首を締め上げた。
ぶらりと地面から離れた足。
僅かに残った意識すら途切れそうになるガットは酸素を求めて咳き込んだ。


「ジャ…ッ…ッ!」

「あ゙ぁ…?…何か言いてェ事でもあんのか…?」


地を揺るがすような低い声で冷め切った言葉をジャックがガットに投げかけるが,返事と言えるような言葉が返ってくる訳もなく,苛立ちがさらに増して首を絞める手に力が籠もる。


「この俺を裏切っていい御身分だなぁ…?」

「ッ…くッ…ぁ゙」

「ふざけんのも大概にしろよ…!」


掴み上げていた体を再び投げ飛ばす。
広いホールの反対側まで飛ばされたガットは全身を駆け抜ける痛みに顔を歪め,漸く得られた酸素を肺に流し込む。
が,すぐに何か固い物が肺を圧迫するように胸の上に添えられて,まるで万力のような力で肋骨に重圧をかけられた。

ミシミシと悲鳴を上げる骨。
薄く開いた目で見上げると,その固い物がジャックのブーツだと分かった。


「痛ェか…?痛ェよな…俺も同じくらい痛ェよ」

「ッ…ぅ゙ッ…」

「てめぇ俺に誓ったよなぁ…?俺の傍にいんだろ…?なのに何だ,blackに残る…?てめぇ俺に喧嘩売ってんのか,あ゙ぁ…?」


ガットが血を吐いたのを見て,ジャックは足をどけると動く事もできないガットに馬乗りになり,容赦なく顔や頭を殴りつけた。
止めなくては,と思っても誰も動けないのはこの場に立ち込める肌を刺すようなジャックの殺気のせいで,アントラはガクガクと震えながら「止めてッ止めてッ」て呟いている。
凌も牟白も,その場にいる者全てが恐怖で動こうとする意志を根底から奪われていた。

やばい,死にそうだ…

やけに冷静な頭でぼんやりとそう思いながら,殴られて揺れた脳が視界をぼやけさせた。
このまま死ぬんだろうか。
主に殴り殺されるのか。
それは騎馬としてひでぇ最期だ,と最早力を失ったまぶたを閉じると,全身を走る痛みとは別に…何か暖かいモノが頬を打った。

殴られ続けたせいで,感覚がおかしくなったか。
ついに死に際かと腹をくくると,また,何かが落ちてくる。



ぽたぽたぽた…



何だ,血か…?
暖かいそれが落ちてくるのとは逆に,さっきまでの拳は降り注ぐのを止めた。
不思議に思ってまぶたを押し上げると,ぶれた視界でも分かるくらいのそれがまた頬に落ちた。
段々とクリアになる視界でそれの出所を追うと,それがジャックの綺麗なエメラルドの瞳から零れているのが分かった。

それと同時に,何かに弾かれた様に頭の中が真っ白になる。


泣いてる…?


それの正体が涙だと,ジャックな涙だと気づいた時にはただ目を見開いて見上げる事しか出来なかった。
止まることなくガットを傷付けていた両腕は床に付かれ,ジャックの長い銀髪が垂れて外界との繋がりを断つ。
さながら高級なシルクのカーテンのように。

肩を震わせてぽたりぽたりと涙を零すジャック。
銀のカーテンによって外界から隔離されたそね空間にだけ降る,雨。


泣いている。


見開いていた目を細め,ジャックを真っ直ぐ見上げた。


泣いている。泣いている。
今,目の前で。
唯一絶対の王が,


泣いている。


ガットは痛みで痙攣する腕を伸ばし,ぽたりぽたりと落ちてくるそれを拭い去ろうとした。
しかしジャックはそれを許さず,触れようと伸びてきた腕を払いのけた。
その際にゴキッと嫌な音が響いたが,そんな音は目の前のジャックの悲痛な声にかき消される。


「なんで…!」


きっと外界の者は怒りに肩を震わせ,声を震わせているのだろうと思うのだろう。
真実を知るのは,この銀のカーテンの内側にいるガットだけだ。


「なんで裏切んだ…!」


振り上げた拳を床に叩きつけ,めり込んだそれを強く握り直しガットを睨みつけた。


「てめぇだけは違うって…!!ファッキンこの嘘つき野郎が…!!!」


お前の誓いを信じてた…
お前の存在を信じてた…!
いつかまた,俺のもとに戻ってくると…信じてた…!!


「どいつもこいつもみんな同じだ!!クソが!!口先ばっかの腰抜け共が!!死ね!!くたばれ!!!結局てめぇも同じゴミ虫だ!!!!」


半狂乱状態のジャックは最後の最後に拳を床に叩きつけると,体を起こしてガットから離れた。
長い髪に隠された顔を伺う事は不可能で,潰れた喉で名前を呼んだが,ジャックはそのままほらふらとホールの入り口に足を向けた。
そして入り口の扉に手をつき,振り返らずに呟きだけを残して去っていく。


「信じた俺が馬鹿だったぜ…」


好きにどけへでも行きやがれ。
二度と俺にその面見せんじゃねぇ。


「ジャ…ッ…ゲホッ」


待ってくれ…!
言いたい事があんだよ…!!

霞む視界の向こう…段々と小さくなっていく背中に,涙が出そうになる。


「じゃ…く…ッ!!」


体の至る所が軋んで痛くてそれだけで意識が吹っ飛びそうなのを唇を噛んで耐える。
傷だらけの体に鞭打って起こし,血が滴るのも構わず壁づたいに歩き出した。
メキッと骨が鳴ったが,知ったことか!

悲鳴を上げる体をなんとか奮い立たせ,ギシギシと覚束ないながらも足を踏み出す。

今言わなくちゃ,二度と戻れない来がした。
これだけはちゃんと言わなくちゃいけない。

例え血が足りなくてぶっ倒れても…
あばらが折れて心臓に突き刺さっても…




お前を独りにはさせない。




+++




じわりとまた涙腺が緩んだ気がした。
案の定,また涙が頬をつたう。

ばかばかしい…なんだこりゃぁ…
男のくせして泣くなんて…

早くそれをどうにかしたくて,ジャックは自室のシャワールームに足を向けた。
服を着たまま蛇口を捻ると,あっという間に全身が濡れる。
体が重くて,気分が悪くて,胸がちくちくして,イライラする。
その場に座り込んで膝を抱え込み,頭痛すらしてきた頭を預けた。
ああ胸くそ悪い。
何でこうなった。
全てガットのせいだ。
アイツは誓った事すら守れねぇ…何でだ,やっぱり俺が嫌だからか…?
blackに行って,そこでアイツは新しい居場所を見つけたのか。

俺は…


何も見つけられないまま,アイツの帰りを待っていたのに…


もう水か涙か分からないに全てがずぶ濡れになった。
体が段々冷たくなっていく。
濡れるのも水音も嫌いだ。
昔を思い出す。
あの機械音と水音だけの暗い空間…試験管と呼ばれるそれに入っていた時の事を思い出して吐き気がした。
寒くて,胸が痛くて,また涙腺が緩みそうになったのを耐えるために唇を噛むと,不意にかすれた声が頭上から聞こえた。


「…な゙にしてんだよ…」


潰れていても分かる。
このハスキーで聞いていて落ち着く低音は,ガットのものだ。
ジャックはなんでここに来たんだと罵りたい気持ちを抑えて,「失せろ」とだけ顔を隠したまま怒鳴った。
しかしガットはシャワーを止めると,まるで無視してその場にバシャリと座り込む。
顔を上げないジャックを,ぶれる視界で見つめた。


「ジャック…話してェ事があ゙る…」

「聞く気はねぇ」

「頼む,聞いてくれ゙…」

「うるせぇ失せろ…!」

「ジャック…!」


「頼むから゙」と消えてなくなりそうな声に漸くジャックが顔を上げた。
血が滲んだ唇を噛んで悲痛な表情をつくるガットは,握り潰していたそれを広げてみせる。
少し血と水で濡れたこれはしわくちゃだったが,それでもそこに書かれた文字はしっかりと読み取る事ができた。


「ジャック…お前の゙逮捕令状,だ…」


声が時々裏返ったりむせかえったりしながらも,ガットはジャックを見つめて話し続ける。


「この前,ソルヴァンから゙預かった…俺がwhiteに゙戻ると,アイツらの誰かが,お前を捕まえにくる…」

「…」

「だが俺が向こうにいれ゙ば…これは俺が持っていられる」

「…てめぇまさかそんな理由で」

「そんなとかい゙うな…ッ」


痛みに耐え,朦朧とする頭でジャックを見る。
だめだ意識が遠のきそうだ…
まだ言いてぇ事は残ってんだ耐えろ!


「ジャッ,ク…お前誤解してん゙ぞ…」

「あ゙?…何をだよ,てめぇは」

「俺は何があってもお前の騎馬だ…!お前の傍以外に居場所なんざね゙ぇ…!!」


ゴホッと咳き込んで血を吐くガットは,ゼーゼーと肩で息をしながら睨むようにジャックを見た。
ジャックも驚いたような,泣き出しそうな,そんな顔でガットを見つめる。


「言ったろ゙…帰るって…だから,もう少し,待っててくれ゙」

「…」

「不安,なんだ…すげぇ…ッ」

「ガット……?」

「この傷をつくった"お前"を毎日っつ―くら゙い夢に見る…ッその度に,もう,待ってねぇんじゃ,ねぇかと不安にな゙る…!」


折れた左手が上がらずに,右手だけで顔面を覆った。
不意に,その手のひらを伝って涙が零れる。


「も゙う…要らねぇんじゃねぇかって…ッ!」


止まらない涙を隠すのに必死だった。
だからガットは気付く事が出来なかった。

ジャックの瞳が美しく,優しく,ガットを見ていたことに。

自分でも分かるくらい,ジャックは穏やかに微笑んだ。
それはもう,自ら気持ち悪いと思う程に。
しかし自然と出てしまうその笑みを消し去ることができない。

嬉しかった,誰かに必要とされている事が。

友としてその存在を求めているのに,普段から何故か異様なまでにジャックを持ち上げるガットが不満だった。
何故一歩後ろを歩くのか。
何故そんなにまで盲目的なのか。

いつまで経ってもどこか距離があって,何度それを壊したいと思ったか分からない。
しかしこの騎馬は振り返る事も,妥協する事も,まして対等な何かを求める事すら赦さなかった。
だから求められなかった。

お前を,友として,求められなかった。


「この大馬鹿野郎!」

「な゙!?」


突然の罵倒にガットが弾かれたように顔を上げた。
何で今,この瞬間で罵られたのか分からない。
何かジャックをキレさせるような事を言っただろうかと,その整った顔を見たら雫を垂らしながら今まで見たことがないような笑みを零す彼がいた。
無邪気に,嬉しそうに笑うジャックは顔に張り付いたガットの前髪をどけた。


「てめぇ本当の馬鹿だな!そんなん気にしてやがったのかよ!」

「そんな゙…て…てめっ」

「俺はてめぇ以外の奴にこの背中を預ける気はさらさらねぇよ!」


ケラケラと笑いながらも力強く言い放つその言葉に頭がついていかなかった。
ジャックは何が面白いのか,肩を揺らして笑い続ける。


「てめぇは何を疑ってんだよ。待つっつったら死ぬまで待つ。俺は自分で言った事を曲げた事は一度もねぇし,これから先もする気はねぇ」

「…ッ」

「もしかしてそんなくだらねぇ理由で帰ってくんの遅かったのか?本気で馬鹿だな,一発殴らせろ」

「…も゙う充分殴っただろ…」

「ヒャハハッそれもそうだ!」


さっきまでの怒気はどこに行ってしまったのかと言うほど,ジャックはおかしそうに笑っている。
何が何だか分からなかったが,それでもいいかとガットも笑みを灯した。
それに気付いたジャックは声を上げて笑うのを止め,静かに微笑む。


「待っててやるからさっさと俺の罪状取り消してこい」


そう言って笑うジャックがとても綺麗で,かっこよくて,回らない頭で確信した。
しかしそれを口にするのはどうも恥ずかしく,出てきた言葉はいつものような呆れまじりの言葉。


「カッ…あいかわら゙ず上から目線だな…」

「うるせぇ。なるべく早くしろよ,これ以上退屈したらもう一発殴る」

「次殴られたらリ゙アルに死ぬから勘弁してれ゙…」


既に痛みが痛みなのかすら分からない状態で,体を起こしている事自体が奇跡に近い。
安心したら視界がぼやけてした。
そこでまた,美しい銀色を目にして思う。




やっぱりコイツに一生ついていこう




力が入らなくなった体が傾いて,ふと意識を失ったガットの体を受け止めたジャックは,自分よりもがたいのいいガットを軽々と肩に担いでバスルームを出た。
それから寝室に向かい,キングサイズのベッドに彼を下ろす。
改めて見たら左の手足は折れていたり,頭や唇から血が垂れていたりとガットの体はボロボロだ。
自分でやった事だが,早とちりという事もあって見ていて気分のいいものじゃない。

ジャックは舌打ちを一つすると,包帯だらけの男がこの屋敷に体よくいた事を思い出し,踵を返すと部屋を出た。


「あ゙ーさみぃ…風邪引いたら面倒だな」


濡れた髪を絞りつつ,真っ白な絨毯に水気を含ませながら歩く。
はっきり言わねぇからボコっちまったんだ,俺のせいじゃねぇ。
そんなことを口走りながら,ジャックはガットの銃のコレクションの中でも1,2を争う彼のお気に入りの品を罰として奪うことを勝手に決めた。