どうかあの戦いが偽善の復讐だったと謳わないでくれ




83.すさまじい春




+嘘だ、!!+

カツンカツンと響くブーツの足音。
その度に膝裏を叩く長い銀髪が揺れる。


「ファッキン、くそが」


道を歩けばそこら中の視線を集めるが、それら全てを視界からシャットアウトしてジャックは歩を進めた。
少し歩いた先に見える人間界の学校。
一定のリズムを刻んで進む彼は、校門を潜り、迷うことなく下駄箱をすり抜けた。

あぁ畜生。
何で俺がこんな雑用やってんだ。

心の中で悪態つくが、事実、彼が下りて来るのはしかたがない事だった。
whiteemperorのボス就任の総会を開く為に、現在のwhiteはごった返しになっている。
部下総動員、更には幹部まで動き回る中で「何で俺がそんな下準備しなきゃならねぇんだ」と突っぱねた彼に白羽の矢が立ったのは至極当然のことで。
あれよあれよと言いくるめられて現在人間界にいる。

用事と言うのも簡単な事。
それはいくつかの言伝と、whiteの扉に繋がる鍵を凌に渡すと言う事だった。

人間界で目立たないようにと選んだ私服は、色の薄いジーパンにオレンジのTシャツ、純白のパーカーという簡素なもの。
しかしそれを着こなした上で更にリングやネックレス、それにゴツくてパンクなベルトを腰に巻いた彼はまるでどこかのモデルようで。
校内が授業中ゆえに人気がなかった事が幸いだった。

腰にぶら下がるいくつもの鍵。
それがジャラジャラと音を立て、耳障りだ。
ジャックは下駄箱を過ぎた所で一旦足を止めた。


「・・・で、山本凌はどこだ・・・?」


しんとした廊下に消えるジャックの声。
乱暴に頭をかくと、盛大に溜息をついて彼は近くの階段を上り始めた。

昔通ってた俺の学校とは全く作りがちげぇ。
なんて狭さだ。
日本の建物ってのはどうも窮屈でおちつかねぇ。

イライラを募らせながら階段を上りきると、目の前に「職員室」の文字。
あぁ丁度いい。
探し廻るより聞いたほうが早い。

そう判断すると、ジャックは躊躇せずに扉を開く。

中を覗けば数人の教員と思しき人間がジャックを振り返り、教科書がプリントが山積みされたテーブルが所狭しと詰め込まれたその空間に目眩が誘われる。
なんなんだ。
日本人ってのは狭い所が好きなのか。
苛立ちが増すのを感じながら、ジャックはすぐ近くにいた教員に声をかけた。


「おい、山本凌ってのはどこにいる」

「・・・は・・・?」

「山本凌はどこのクラスルームだって聞いてんだ」


物わかりの悪さに思わず鍵を手にしそうになったが、なんとか持ちこたえる。
問われた教員は少しビクビクした様子で「山本に何か御用で?」と恐る恐る聞き返した。


「あぁ? 用があるから来たんだろーが!」

「あ、あの・・・」

「貴方はどちら様ですか」


不意に横から聞こえた声に、ギロリと不機嫌なエメラルドを向ける。
見れば歳のいったオヤジ教員で。
胸についたプレートに「教頭」の文字が見えた。


「・・・山本凌の知り合いだ」

「不審者ではないと言う確証は?」

「あぁ?」

「失礼ですが、来客用下駄箱の横には事務室がありまして、来客の方はまずそこで来客カードを・・・」

「ごちゃごちゃうるせぇな!! 山本凌はどこだって言ってんだ!! それだけ答えろ!!」


青筋を立てて怒鳴り上げるジャックに、職員室に居た教員が震え上がる。
教頭も「ひっ」と短い悲鳴を上げると、ずり落ちるメガネを押し上げて冷や汗も拭わずに声を荒げた。


「な、なんなんだ君は!! 突然入ってきて!! しかもブーツを履いたまま!! ここは外国ではないんだぞ!!」

「あぁ、そういや日本は靴を脱ぐんだったな。ファッキン面倒くせぇ」

「面倒だと?!」

「よしなさい教頭」


顔を真っ赤にして叫ぶ教頭を押し退けて、1人の女が前に出る。
にっこり笑ってスリッパを差し出すと、彼女は恭しく礼をした。
それなりに礼儀をわきまえるその様子に顰めていた顔をとき、渋々ブーツを脱ぎ始めるジャック。


「うちの教頭のそそをおゆるし下さい。私、この学校の理事長にございます」

「何でもいい。何度も言わせんな、山本凌はどこだ」

「山本凌は1年2組です。今案内しますわ」


うっとりとジャックを見上げる理事長。
その後ろで思い切り睨み付けてくる教頭を横目に、職員室を出た。

ちっ、スリッパだと歩きづれぇ・・・

彼には狭く感じる廊下を歩きながらもジャックに熱い視線を送る理事長だったが、スリッパに文句をつけて舌打ちする彼の眼中にはまったく映っていなかった。


+ + +

「山本、次の問題の答えは・・・?」

「・・・」

「山本ー」

「・・・」

「山本凌ー」

「先生、山本・・・寝てます」

「・・・はぁ・・・」


眉間に手を当てて大きく溜息を着く数学教員。
亜月は何度となく隣の席の凌の肩を揺するが、全く反応しない。
ずんずんとこちらに向かってくる教師を見て余計に強く揺さぶってみたが、それでも意味を為さなかった。
心の中でご愁傷様と呟いて亜月が手を引くと、凌の目の前までやってきた教師は数学のテキストを振り上げる。

しかし、聞こえたのはいつものあの盛大なスパーン!!という音ではなく、壊れんばかりに勢いよく開いた扉の音で。

吃驚して振り返ると、そこにはあまり校内では見掛けない理事長。
そして扉を開けた本人だろう銀髪の男が悠然と立っていた。


「・・・おい、山本凌」


ツカツカと長い足で歩み寄ってきたその男、ジャックは、ぐーすか眠ったままの凌の傍までくると容赦なく首根っこを掴み上げた。


そして、あろう事かそのまま窓の外へ投げ捨てる。


驚く事は何の戸惑いもなく凌を窓の外へ放った事もあるが、何よりもその豪腕だ。
見た目は平均よりも細いだろうその腕のどこにそんな力が隠されているのか。
しかし状況を判断すると同時にそのまま落下するだろう凌を思って、教室に悲鳴が響く。

だがしかし、それは必要の無い心配だった。


「・・・最悪な目覚めなんですけど・・・」


呑気な気怠い声が聞こえる。
冷静になって思えば窓の向こうにはベランダがあって、凌はそのベランダの手すりに打ち付けた腰を撫でつつ立ち上がった。

一体何事だと視線を自身の机へと向けて、そこに突っ立っている彼を見た。


「よぉ」

「・・・・・・あー・・・ガットのお友達」

「ジャック・J・ジッパーだ」

「はぁ・・・どうも。で、何で投げ飛ばされてんの、俺」

「起きねぇからだろ」

「いやーアンタの声で起こされた覚えはないんだけど」


「亜月と先生の声なら届いてた」とあっけらかんと白状する凌。


「で、あんたみたいな人が俺になんの用?」


確かジャックはついこの前whiteemperorの戦闘面のボスになったんじゃなかったか。
まだ正式な就任式はしていないとしても、元々闇と光の交わりは希薄。
この上方や一介の闇の住人、方や光界の頂点ときた。
多少の面識はあれどまともに会話を交わした事もなかったはずだが・・・
そう首を傾げる凌をまるで無視して、窓枠を乗り越えて教室に戻ってきた彼に向けて真っ白な鍵を放り投げる。

放物線を描いて飛んでくるそれをうまくキャッチすると、ジャックがだるそうに「whiteの鍵だ」と言いはなった。


「それと、渡すもんはこれで終わりだ」


パーカーのポケットから純白の封筒を取り出すジャック。
優雅な動きでそれを差し出され、受け取って裏返せば金色の紋が描かれている。

言うまでもなく、whiteemperorのエンブレムだ。

正式なものを示すそのエンブレムに顔をしかめ、乱雑に中身を取り出す。


「グリプが今度の就任式に来いってよ」

「えー、面倒臭いからパス」

「ぶっ殺すぞ」

「ごめんなさい。喜んでお受けいたします」


深々と頭を下げつつ棒読みな謝罪に、ジャックの額に青筋が浮く。


「で? 用事はこれだけじゃないんでしょ?」


わざわざあんたみたいなのが来るんだから、とまるで全てを見透かしたような凌の発言に、ジャックは眉間のしわを説くと、「それは後だ」と視線を反らした。


「後?」

「人がいると厄介な話だ、上にいるから終わったら来い」

「え、やだよ面倒くさい」


あからさまに嫌そうな顔をする彼に、ジャックは珍しく苛立ちもせず、ただ静かな眼差しを送った。


「いいから来やがれ」


いいな、と念押しをして教室を後にするジャック。
すらりとした背中に「俺も話があるんだけど」と零すと、その時にしろと短い返事を返される。
その銀糸が見えなくなるまでクラス中の視線が彼の後を追い、やがて女子たちの感嘆の吐息が漏れた。
凌は渡された手紙に再び目を通して顔をしかめた。

その表情を亜月が見ていたとも知らずに・・・


+ + +

放課後になってようやく凌と亜月が屋上へ向かうと、フェンスの上に腰を下ろし、起用にバランスをとって街並みを見下ろしているジャックを見つけた。
先程のスリッパは脱ぎ捨てられ、その長い足にはいつもの皮ブーツ。
彼は凌が屋上に出てきた事に気がつくと、フェンスに腰掛けたままの状態で辺りを見回した。


「俺と亜月以外は誰もいねーよ」

「殊勝だな。その方がてめぇには都合がいいだろうぜ」


それはどういう事だと首をかしげる凌。
先にお前の要件を言えという視線に気がつき「あのさぁ」と首をかいた。


「あんたの腰の鍵をちょっとだけ貸してほしいんだけど・・・」

「鍵?」

「ちょっと訳ありでさ、ある錠前を開けたいんだけどもしかしたらその鍵のどれかで開くかもなんだよね」

「鍵なんざ腐るほどある、好きにしろ」


ふんと鼻を鳴らすジャック。
案外あっさりとことが運んだ事に安堵する。


「話ってのはそんだけか?」

「え、あぁ、まあね」

「なら本題に入らせろ」


多少眉根を寄せたジャックは、パーカーのポケットから数枚の紙切れを取り出した。


「本当は俺の代わりにガットを来させるつもりだったんだけどな・・・生憎あの馬鹿は今イタリアにいるから俺が来てやったんだ、感謝しやがれ」

「・・・ありがとうございます?」

「おら」


差し出した書類を受け取るように促すジャック。
何の書類だと亜月が目を懲らしたが、生憎どこかの国の言語で書かれていて読み取れない。
凌の視線は暫く静かに文字を追っていたが、段々とその紅色の瞳が見開かれていく。

フェンスから降り、それを立ったまま見下ろすジャックは僅かに顔を歪めて漆黒の鍵を取り出す。
後方にある屋上の扉。
ジャックはおもむろにその鍵を鍵穴へ差し込んだ。

開いた扉の向こうは部屋と言うよりはロッカーのようで、分厚い書類の束だけが置いてある。
ジャックは戸惑いなくそれを取り出して凌の机へ放った。


「blackkingdomにソルヴァンて男がいるのを知ってんだろ?」

「・・・」

「その男の部屋からガットに盗ませた“今まで裁いてきた罪人のリスト”だ」


呆然とジャックを見る凌。
その書類に何が書かれているのだろうと首を傾げる亜月の視界を遮るように、ジャックは凌の前に立つ。


「てめぇの事はガットから粗方聞いた。獏の騒動はこっちの世界でもそれなりに有名だからな。だが、ガットの話すてめぇの話と、俺の知るそれとはどこか噛み合わなかった」


だから勝手に調べさせて貰ったぜ、と悪びれる様子もなく言い放つ彼は、凌の机に放り出されたリストを細長い指でさす。


「てめぇの知るハルヴェラって男が殺された夜の前後は、blackは大きなヤマにあたってて一つも裁判をしちゃいねぇんだ」

「そんな・・・ことは・・・」

「嘘じゃねぇ。丁度その晩、ガットをなんとしてもblackの幹部にしようと、この俺が直々にダーツに会ってたんだからな」


ジャックの背中越しに段々と顔が青ざめていく凌が見えた。
内容がいまいち理解できずにオロオロする亜月を見た凌は、今にも壊れそうなほど動揺していて、ゆっくりと彼女へ差し出された包帯だらけの手を思わず強く握る。

力なく亜月の手を掴んだ凌に引き寄せられるままに寄っていく。
近付くにつれて動揺の表情の中、一種の後悔の色が見えた気がして亜月の心臓が跳ねた。

しかしそんな二人の遣り取りなど眼中にないジャックの冷めた声が続く。


「あの日、あの晩、blackkingdomは裁判をしていねぇ。その証拠にそのリストにハルヴェラの名前はどこにもない」

「・・・・・・ッ」

「ここまで言えば分かるだろ?」


ゆっくりと亜月を抱き寄せた凌が震えている。

まるで催眠のようにジャックの声が脳内を響く。
そんな、ばかな、有り得ない。
否定の言葉を綴る頭を振り、そんな事あってたまるかと亜月の肩口に顔を埋めるのに・・・


「ハルヴェラを殺したのはblackkingdomじゃねぇ」


そんなはずはない。
だってハルは確かに漆黒の集団に殺されたんだ。
「罪人」だと罵られ、梅雨時で烟る雨の中、殺されたんだ。

そう、6月1日に。

それなのに・・・
握り締めてしわが寄ってしまった、ジャックから受け取った書類の文字に目眩がする。

“6月2日 whiteemperorより囚人を一人捕獲。囚人番号11928379101。男。天使。特徴は金髪、顔に十字の傷、左脇腹に銃痕。容疑はマフィア間の麻薬取引、フィラメンカに関わっていた模様。暗殺に長けており銃器類を得意とする。死刑囚にするには些か勿体ないので主と名乗るwhiteempror第U席ジャック・J・ジッパーの推薦より、他全ての作業を停止し、五日間の協議の末、blackkingdom第Y席に任命。以後、ガット・ビター及びジャック・J・ジッパーの行動を把握の上、blackkingdomに害なす場合、即刻処刑することを前提にこれを承認する。”

6月2日・・・全ての作業を停止しての五日間の協議・・・

ハルが殺害されたのは、6月1日


何かの枷が外れる音がした。