: トラウマの疵 :




 

whiteemperorには大浴場とは別に、各部屋にバスルームがついている。
ジャックはベッドに寝転がっていた体勢を止め、上半身を起こした。
窓は片側だけカーテンが閉められ、その隙間からぽっかり浮かぶ月が覗く。
彼は数回瞬きすると、面倒臭そうに立ち上がり、バスルームへ向かった。

リングや鍵をはずし、着崩していた服を脱ぎ捨てる。
シャワーの蛇口を回せば、ジャックの綺麗な銀の髪を濡らしていった。

ふと鏡に映った自分に過去を思い出す。

あれは、まだ彼が学生だったある日の夜の事・・・




+++




「オイこらプリン頭。ありゃ何だ」


端正な顔を歪め、タオルを腰に巻いた状態で仁王立ちしているジャック。
アントラは“プリン頭”と呼ばれた事に傷つきながら「何が?」とパソコン画面から顔を上げた。


「何でバスに湯が溜まってんだって聞いてんだよこのバカが!!」

「あー・・・っと、日本じゃバスにお湯を溜めて入るんだよ」

「んな事聞いてんじゃねぇ!! 何でか理由を言え理由を!!」

「いや、ちょっと・・・やってみたいなーって思って・・・」


苦笑を零すアントラに、ジャックが蹴りを入れた。
「痛い痛い!!」とそそくさソファの後ろに隠れる哀れな先輩。


「別に良いでしょ?! 1回くらい!!」

「ざけんな!! 大体てめぇ何で俺らの部屋にいんだ!! ここの寮にゃ他にもたくさん部屋があんだろ!!」

「そ、そんな事言ったってしょうがないでしょ・・・ウチはジャックとガットの監督生としてこの部屋に割り当てられたんだから・・・」


「ただでさえガットと相部屋で狭いっつのに・・・!!」と顔をしかめるジャック。
アントラは何とか彼の機嫌を取り戻そうと慌てて立ち上がる。


「そうだよジャック!! ジャックも日本風のお風呂に入ってみなよ!!」

「・・・は?」

「ね? ね?」


ジャックの背中を押し、バスルームへ進む。
「オイ!!」とストップをかける彼を無視して、湯の溜まったバズにジャックを押し込もうとした。


「てめッ 誰も入るなんて言ってねぇだろ!!」

「いいからいいから」

「いい加減にしねぇと首刈んぞ・・・って、オ・・・!!」


ざぶん!!

言葉の途中でバスの中へ倒れる。
水しぶきにアントラが数歩後ずさった。


「どう? けっこうイケるでしょ?」

「・・・」

「・・・ジャック?」


何の反応も示さないジャックを訝しんで近付いてみる。
もう1度名前を呼ぶと、その手が微かに震えている事に気が付いた。
わずかに開いている唇から零れる掠れた声。


「あ・・・ぅ、ぁ・・・ッ」

「ジャック? どうしたの? ジャック?」

「ぁ、ぁぁ・・・あ、あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


湯に浮かんでいる自らの髪をかき抱くように、ジャックが頭を抱える。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」




+++




ガットは疲れた体をひきずって自分の部屋に向かう。
いくつか廊下の角を曲がると、部屋の前に人だかりが出来ているのが目に入った。
「何だ?」と眉を顰め、歩調を早める。
人だかりをかき分け部屋に入ると、ずぶ濡れのアントラが彼に気付いて駆け寄ってきた。

顔色が悪い。


「オイ、こりゃどーなってんだ? 何があった」

「そ、それが・・・ジャックが・・・!!」


血相を変えてガットの腕を引っ張るアントラ。
嫌な予感がして足を速める。
アントラに導かれてバスルームに入ると、バスの中で頭を抱え、苦しそうに唸るジャックの姿。
普段は鋭く長い目が、大きく見開かれ、エメラルドの瞳が焦点が合わず揺れている。

ジャックの座り込んでいるバスいっぱいにお湯が入っている事に気付いたガットが慌てて駆け寄る。
力が入りすぎて硬直しているジャックの腕を掴み、引っ張り上げた。

しかし、ガットの指先がジャックに触れた瞬間、勢いよくジャックが腕を振り上げガットの首を掴んだ。
がちがち震えてジャックの歯が音を立てている。
確かな殺気が、瞳に宿っていた。

ガットは首の圧迫に耐えながら、それでもその瞳をしっかり見据えた。


「さ、わんな・・・俺に、さわんな! 寄んじゃねぇ、殺すぞ!」

「ジャック!! 目ぇさませ!!」

「死ね、死ねッ ドクターどもは、皆殺しだ・・・ッ」

「オイてめッ よく見やがれ!! 俺はドクターじゃねぇだろ!!」

「死ねッ死ねッ死ねッ」

「ジャック!!! よく見ろ!! 俺はガット・ビターだ!!!」


「ジャック!!」ともう一度大きな声で呼ぶと、はっとしたように目に光が戻り、ジャックの手がガットの首から離れていった。
力が入って白くなった指先を確認するように、彼が視線を落とす。


「ぁ・・・? 俺、何をした・・・?」


まだ震えるジャックの体。
相当強く“水”への恐怖が刻み込まれているのだろう。
当たり前だ。

幼い頃から嫌と言うほど水の溜まった“試験管”の中に閉じこめられていたのだから。

困惑するジャックにバスタオルを掛ける。
一息つくと、彼のエメラルドの瞳が、ガットの首筋に向けられている事に気付く。
さっきとはまた別の恐怖を露わにするジャックに、苦笑を零した。


「ゔぁかが・・・」


心臓が止まるかと思ったぜ。

締め上げられていた首の跡を隠すように襟を立てた。
珍しく、力のない瞳がちらつく。


「・・・わりぃ・・・」


身を包んだバスタオルに顔をうずめ、消え入りそうな声が聞こえた気がした。




+++




冷蔵庫の扉を開き、ミネラルウォーターを取り出す。
それを一口含みながら、近くのソファに深く座った。
今でこそトラウマで発狂なんて事は数少ないが、忌々しい事に完全に無いとは言い切れない。

窓の外に見えるblackkingdomの屋敷に視線を向けた。


「チッ・・・ヤな事思い出しちまったぜ」


嘲笑うように笑みを零し、ベッドに放ってあった携帯を手に取る。
見れば、メールが一件。


+AM;1:28+
差出人:GB
宛先:JJJ
件名:(non title)
本文:よぉ、今起きてっか?


ふっと笑って、ジャックはのろのろ返事を打ち始めた。